好きなものは海と音楽、車とバイク、夜景と絵、そして遊ぶこと!
海! そして音楽!!
相変わらず海が好き!
昔から泳ぐこと、そして青い海を眺めることは好きでした。女房と結婚したときの約束、3年に一度は海の外に連れ出して青い海を見に行く、忠実にその約束は果たして来ました。沖縄、バリ島、パラオ、トラック諸島、ハワイ......、だけど子供が大きくなるにつれ、段々家族大勢で出掛けることはなくなっていきました。結局最近は一人ぼっち、でも一人でも青い海は見に行きます。
最近は一人で東南アジアに出向き、海を眺めることが多くなりました。再びバリ島、フィリピンのミンダナオ島、タイのパタヤビーチ、そしてマラッカ海峡も眺めて来ました。パラオの海はきれい、そして静か、ダイビングをしなくても、シュノーケルをつけて泳ぐだけで充分に楽しめました。海に入らないまでも、海辺のビーチチェアに寝転がってiPodでサザンやTubeの音楽を聴くだけでそれはもう天国、青い海の前でビーチチェアとiPodとコーラとコパトーンの4点セットがあればこの世の天国です。海まで行けなくても都会のプールサイドでの4点セットでもOK、但し決して携帯電話の届かない、海を渡った先でないと駄目です。
そして1週間広島県尾道に泊まり込み、海技学校で1級小型船舶操縦免許を取得、そしてマリンジェットの免許も取りました。複数の友人がクルーザーやボートを持ち、日帰りで行けるマリーナに良く出向くようになりました。医師会の釣り部にも引きづり込まれ、年に数回船で海に出るようになりました。でも船舶免許に関してはまるでペーパードライバーのよう、もう既に1回目の免許更新となりましたが、正面から別の船が来たら右に避けるんだっけ? 左に避けるんだっけ......?
船の操縦をマスターすべく、当初はせっせとマリーナに通いましたが、そのうちにその往復に疲れ始め、釣りの前日に断れない飲み会があれば釣り当日は船から身体を乗り出して撒き餌の連続、マリーナへの往復、行きはパトカーを時速○○○kmで追い越してしまい、帰りには中央分離帯に乗り上げて車を壊す始末、結局最近は海に出向くのは年に2-3回まで減ってしまいました。無理して船を買わなくて良かった! 未だ海に出向くまでの気持ちが弱いのかも、もう少し身の回りが片付いて、木曜日を休診にしてものんびり出来るくらいの時間的、心的余裕が出来てからではないと無理かも知れません。でも10年後に船舶免許を取りに行くだけの体力はないだろう、そう思えば40歳代後半で船舶免許、それも1級を取っておいて正解だったと考えています。
音楽はクラシック以外なら何でも
思えば小学校5年生の時、パープルシャドウズの「小さなスナック」を覚えて以来、音楽が好きになりました。その後は黛じゅんの「天使の誘惑」、中学校に入ってMelody Fair、Shocking BlueのVenus、高校時代に天地真理に夢中になり、コンサートまで出向きました。2年の浪人後、全寮制の大学1年の大部屋で流れていたのはEaglesのHotel California、何回聴いたことか? 聴かされたことか? そしてジョン・トラボルタのSaturday night feverを観てから結婚前の女房と六本木ロアビルの中にあるBobby&Maggieと言うディスコに入り浸り、覚えたてのジルバを踊りまくっていました。ボニーMが好きでした。
医者になってから勤務医の時代にはなかなか音楽に馴染む時間的余裕がありませんでした。せいぜい手術室で好きでもない曲を流す、通勤途中の車の中でカセット(CDやiPodのようなデジタルではなくアナログ)の音楽を聴く程度。開業してからはホーム・オーディオに凝るほどの余裕はなく、車のカーオーディオにのめり込みました。VolumeをMaximumにして音楽を聴くには、高速で走る車の中しかありませんでした。車の中にいる時間が永ければ永いほど音楽のジャンルは増え、更に廃れるであろうとiPodがなかなか勢い衰えず(著作権の問題でiPodはいずれ姿を消すだろうと考えていました。今にして思えば、スティーブ・ジョブズがそのために豪腕を奮って著作権協会を押さえつけたのでした。そんな意味でもやはり彼は偉大でした。)、ついには数千曲の音楽をiPodで持ち歩くようになり、車で、飛行機で、ホテルのプールサイドで、そしてビーチで音楽を聴くようになりました。クラシック以外は何でも聴きます。クラシックでは唯一、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」が好きです。今では僕の傍らにいつも音楽があります。
車とバイク
スーパーカー達......、そしてバイク.......。
僕が高校生だった頃、週刊少年ジャンプに「サーキットの狼」と言う漫画が連載されました。フェラーリ、ポルシェは知っていてもランボルギーニを知らなかった僕は、医学部の受験と平行してその漫画にも夢中になりました。そしてその漫画に出て来るデ・トマソ・パンテーラに憧れました。その前に遡ること1-2年。未だ車の免許とはほど遠い高校1年の頃、回りと同じようにバイクに憧れました。クラスで僅か4人しか乗っていなかったバイクに乗っていました(うち一人は無免許で乗っていた)。世は暴走族を嫌い、バイクに乗っていると言うだけで白い目で見られる時代でした。
結局その時代を引きずることになりました。
そして大学に入ってからも車には良く乗っていました。排気量僅か1600ccのアウディ、時々目の前を通り過ぎて行くポルシェ、フェラーリ(カウンタックは学生時代に巡り会ったことはありませんでした)、時にパンテーラを見て、きっといつかは僕もと堅く心に誓ったものでした。もちろん、他にも夢中になったものはありました。膝を壊すまではバスケットをやっていましたし、トランペットを握ったこともありました。サーフィンをかじりました。ダンスに没頭したこともありました。そしてパチンコ、麻雀.......、おいそれ人殺しと盗み以外は何でもやった、そんな濃厚な青春時代でした。
そして大人に.....、家族が出来、ある程度自由になるお金が出来た時、やはり買ったのは車でした。ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニと乗り継ぎ、そして昔を取り戻すような想いで、かつて憧れたバイクまで手に入れました。でもちょっと遅かったかも知れない.....、手に入れた時にはでかいバイクを自由に操るだけの体力は残っていませんでした。でもそれで良かったのかも。もし自由に操っていい気になっていたら、今頃生きていなかったかも知れません。そう、飾って眺めているだけで、そうしてこんなものに憧れていた青春時代を思い返すだけで幸せなのかも.......。
夜景と絵
昔から高所恐怖症のくせに、高い所から眺める夜景は好きでした
タイのバンコック市内にあるBanyanTreeと言うホテル、60階建てのビルの屋上は屋根のないOpen AirのBar、写真で見たときからいつか行ってみたいと思っていました。Vertigo(眩暈)と名のついたBar、そこには思わず涙が出て来るような素晴らしい夜景が待っていました。そこで夜風に当たりながら飲むスコッチは最高! 1mほどの手すりを越えれば真っ逆さま? そんな場所でした。
初めてそのbarに行ったときは一人、それでも時間が経つのを忘れ、頭の中が空っぽになったような状態で景色を眺めていました。オンザロックのスコッチ(初日はマッカラン)のグラスだけを手に持ち、ただただ景色を眺めていました。それだけで生きている幸せを感じていました。日本では絶対許可にならないロケーション、バンコックにはそれがありました。3日連続、そのバーに出向きました。
心和ませる絵がある生活
カフェ・ベラ・ノッテ初めて足を踏み入れた絵の展示会、それまでまで絵なんて興味がありませんでしたが、何気なく入った展示会、そこで笹倉鉄平氏の「ソングオブストックブリッジ」と言うシルクスクリーンの絵を観ました。吸い込まれるような想いでした。しばし....、30分ほど......? ずっとその絵に見入っていました。当時はスーパーカーは買っても、絵に数十万のお金を出すつもりは毛頭ありませんでした。ただ眺めて幸せになれるだけのもの、憧れても自分で手に入れようとは思いませんでした。
それからしばらくして、自分のクリニックを改築しました。待合室も広く、きれいに、そして明るくなって、ふとそこに患者さんに僕と同じように心が和める、或は幸せになれるような絵があったら良いだろうな? と思い始めました。幸いにして新しい待合室はそんな絵をかけることが出来る壁のスペースが結構ありました。やがて絵を買おうと言う気持ちになって、そんな展示会に足繁く通うようになりました。そしてあの「ソングオブストックブリッジ」を探しました。でも巡り会えません......。
クリスチャン・リース・ラッセン、笹倉鉄平、そしてBlue Dog
そんな展示会を観て歩くうち、クリスチャン・リース・ラッセン氏の波の描写に心を引かれるようになって行きました。「ソングオブストックブリッジ」にはどうしても巡り会えず、結局こっちを振り向いてくれない相手には興味が薄れて行くのと同様、僕の心はラッセンに傾いて行きました。そしてクリニックの改築の完成とともに、2枚のラッセンの絵が待合室の壁を飾りました。そのうちに、その絵を買った画廊とも親しくつき合うようになり、2年後に更にラッセンの絵が2枚追加になりました。そんな画廊から送られて来る新作の資料の中に、笹倉鉄平氏の「カフェ・ベラ・ノッテ」と言う絵を見つけました。「ソングオブストックブリッジ」の時の衝撃に対して、その絵は心の底から 欲しい!! と思わせる絵でした。僕自身の絵を買い入れると言う考え方が変わって来たのも理由の一つでしょうか? 発表後1週間目にして、絵を買うつもりで出向きました。展示会に行くと.....、もう売り切れ? ウソ......。僕自身はこの時、笹倉鉄平氏と縁がないんだ と思い込むようになりました。そしていつのまにか「ソングオブストックブリッジ」も「カフェ・ベラ・ノッテ」も心の中から薄れて行きました。
数年後、受け持ちが変わった担当者に「見せたいものがある。」と呼び出されました。わざわざカーテンをかけて片隅に置かれた大きな額縁、カーテンを取り去るとそこにはあの「ソングオブストックブリッジ」がありました。僕の話しを聞いていた新しい担当者が偶然見つけたものを僕のために抑えてくれていたようです。
待合室には7枚の絵が
でも、その時にはもう僕の頭からは「ソングオブストックブリッジ」も「カフェ・ベラ・ノッテ」も、もう手に入らないもの、手に入れたい欲求も消えていました。だけど、昔話したことを覚えて一生懸命やってくれた担当者に要らないとは云い難いもの、そこで頭を働かせました。「ソングオブストックブリッジ」はあるけれど「カフェ・ベラ・ノッテ」はない、「カフェ・ベラ・ノッテ」には相当なプレミアムが付いていることも知っていました。結局「ソングオブストックブリッジ」と「カフェ・ベラ・ノッテ」をプレミアムなしの価格なら2枚とも買ってやるよ、と彼に告げました。これは到底無理な注文であることは重々承知、これで彼が諦めてくれればお互いにストレスはなし、そして1週間後に彼から帰って来た返事は......? 「先生! 上司から許可が降りました!!」
そんなことで何故か結局今.......、当院の待合室には「ソングオブストックブリッジ」と「カフェ・ベラ・ノッテ」2枚の笹倉鉄平氏の絵が、更にラッセン氏の絵が4枚、そして以前から欲しかったブルードッグ、合わせて7枚のシルクスクリーンの絵が飾ってあるのです。