第1日目、今年の夏休みはまた日曜日から日曜日まで1週間、土曜日の午前中のみ診療を終えて急いでスタッフを追い出し、そして午後2時には家を出ました。いつぞやは飛行機の時刻を勘違いしてあわや乗り遅れかねない状況に追い込まれました。だから今回は時間的余裕を持って。日暮里から京成線のスカイライナーに乗れば35分ちょいで成田空港に到着、しかしその安易さが油断を招いたようです。空港には出発時刻の2時間前に着くのが原則、今回はきちんと飛行機の出発時刻(6時発の飛行機であれば、6時と言うのは飛行機のタイヤが陸を離れる時刻のこと)を何回も確認し、逆算しました。さて、今回は8泊9日の長旅、これだけの時間を費やせるのは夏休みしかない貴重な時です。家では昼食も摂らずに出掛けました。
女房に自宅近くの駅まで車で送ってもらい、電車に乗って日暮里を目指しました。そう、いつぞやは患者さんから預かった書類を書き終えてからなんて悠長なことをしていました。日暮里で20分の待ち時間を確保、昼食としました。カルボナーラから今回の旅行が始まります。
スカイライナーは1時間に2本しかないのに、何故かその間隔は20分と40分、30分ずつにすれば良いと思うのですが、ダイヤの関係かそんな半端な状態。しかも遅刻しそうになった時は本当にタイミング悪く、1-2分の差で電車を逃し、次の電車まで40分と言う状態でした。カメラにて時刻表を記録。
僕が持っている一番でかいトランクを引っ張り出しました。こいつの出番は恐らく数年ぶり? トニーノ・ランボルギーニ製で、ツーリングのオークションで競り落とした奴です。軽いのがメリットですが、やや柔らかく、ガラス瓶や壊れものなんか入れておくと危なそう。
余裕を持って空港ロビーに着きました。今回はマイレージでビジネスクラスを確保、すぐにチェックイン、パスポートも機械で読み取り、e-チケットのおかげで実にスムーズです。エコノミーはだいぶ混んでいるみたい。わざわざ夏休みを1週間後ろにずらして、混んでいるところを避けたつもりです。
忘れずに傷害保険に入ります。やはり海外の医療費は高い! もう決まった保険会社にFixし、名前と生年月日をカウンターで告げ、「前回と同じプランで。」と言うとこれまたスムーズに手続き完了です。今まで保険にお世話になった事はありませんが、旅行の際は必ず保険をかけて行きます。
出国手続きが終わり、出発ロビーへ。今回は長旅、娘へのお土産は向こうで買います。女房の好きなシャネルNo.19のトアレだけここで購入。以前モンブランだったDuty Freeはオメガに変わっていました。しかし、なかなか往きに数十万の時計を買って行く日本人はいないでしょう。外国人向け?
今日の搭乗口は奥のサテライト、だからこの電車に乗ります。このトンネルを抜けるともう後戻り出来ない、僕を縛っている鎖が切れ、自由になれる僕にとってはとても意味深いトンネルなのです。これから1週間以上、日本を離れ、そして今回は数年前から行きたかった初めての地を目指します。
良い天気、風もなさそうで、静かなフライトが出来そう。最近は飛行機が揺れても怖くなくなりましたが、やはりガタガタ揺れるのは不快なもの。電車の中にはJALのクルーやキャビン・アテンダントもいました。僕の飛行機のクルーだろうか? 心の中で「よろしくお願いしますね。」と挨拶します。
若干時間があったのでさくらラウンジへ。そして貧乏性丸出し、せっかく無料なら食べてしまおうと、さっきパスタを食べたばかりなのに、お寿司をつまみました。リポビタンDは一人1本限定のキャンペーン中。そして水割りではなく、好きなアップルジュースを取りました。そろそろ搭乗口へ。
今日の飛行機、またB-767です。日本航空は再建途上、でも前年度2千億円の利益を叩き出し、そしてもうすぐ再度株式上場する予定だそうです。心から応援していますよ。国の名前をつけたNo.1Airが破綻するなんてあり得ないじゃないですか? 余計なしがらみを全て断ち切って立ち直って欲しいです。
いつもお決まりの前から3列目、日本の夜景が見たくて必ず右側の席を確保します。マイレージで席を確保した時点で、インターネットを介して座席まで自分で指定出来るのです。今日はビジネスクラスはガラガラみたい。恐らくは離陸後眠ってしまうだろうけれど、それならエコノミーでも良さそう。
ポケットの多いガーゴパンツをはいていますが、更に今回は数日前にこのポシェット型のウェストバッグを買いました。吉田カバン、Porter製。これに雑貨をまとめてぶち込んでおきます。今回の旅行では何かと重宝しました。今後は旅行に行く度にこのバッグを使うことになりそう。
相変わらず成田の離陸は混みます。せっかく定刻にハッチを閉めたのに、滑走路手前で30分待ち、ようやく順番が回って来て飛び立ちました。30分の遅れなんてすぐに取り返せるはず、窓の外に家族もスタッフも友達も仕事も置いて一人で出て行きます。さぁ! 自由な時間の始まりです!!
安定飛行に移りすぐに機内食、今日はお肉ではなく、シーフードのフライ盛り合わせを頼みました。ちょっと仕事の疲れもあってか、アルコールが少し欲しくなり、シャンパンをオーダーしました。この後寝るつもりが、何故か今回は殆ど寝ずに本と映画を見ていました。
やはりマニラは近い! あっという間に到着です。エンジンの音が静かになり、徐々に高度が下がって来ます。怪しげなマニラの夜景が見えて来ました。今日は恐らくホテルでバタンキューだろな? この1週間結構ハードでした。今年の市の検診は昨年よりちょっとスローペース?
やはり夜便は入国審査が混まなくて助かります。僕もカウンターの二人目、相変わらずやる気のなさそうな審査官があくびをしながら仕事を進めます。Baggage Claimでは何故か僕の荷物は出て来るのに時間がかかりました。ピックアップしてホテルの送迎のMeeting pointへ。
約束の場所にはホテルのスタッフは現れず、結局30分も待たされました。タクシーで行った方が良かったかも。何と娘より一つ年下の女の子がダバオで語学研修とかで一人で初めての渡比ですって? いろいろフィリピンの危ないところを教えてあげましたが、そんな親切風日本人が一番危ない?
ホテルに着き、ツアーデスクと軽く今後のスケジュールについて打ち合わせ、更に簡単に荷解きをしてベッドに転がりました。このまま寝ちゃおうか? しかし、それほど疲れは感じずに、やはりちょっと外に行きたい気持ちがムクムクっと起きて来て、結局ジプニーに乗って街へ出ました。
一番歩き慣れたエルミタへジプニーで10分、もう12時近くなのに日本人が一人でジプニーに乗るなんて決して褒められた行動ではありません。でもタクシーを拾って何処どこまで幾ら なんて交渉するのも本当に面倒、ジプニーなら僅か8ペソ(15円くらい)で気楽に移動が出来ます。
空港で少しMoney Exchangeを済ませました。そしてこの近辺に僕がいつも行く信頼のおける両替屋があります。ここが一番レートが良いみたい。しかもスタッフも親切です。劣悪な両替屋に行くとごまかされたり一部を抜かれたり。だから知らない所ではなかなか両替は出来ません。少し余分に交換。
変わらぬ街の風景、「ああ、また来ちゃったな?」そんな気持ちで出て来ました。拡大するとお判りでしょうか? 2階のバルコニーにおねぇちゃん達がズラっと並んで日本語で「イラッシャイマセ〜!」って声をかけるのです。1時間千円くらい? ぼったくられるんじゃないかな? 僕は知りません。
第2日目、昨夜は移動だけ、今日もう一日マニラに滞在して、明日プエルトガレラに向かいます。今日はじっくり体力温存の日と決めました。そう、マッサージ三昧にしよう! こちらではマッサージは大凡1時間千円、だから3軒はしごしたところで日本の半額です。朝はシャキッと目が覚め、また昨日のエルミタまでジプニーに乗って、少しロビンソン・デパートでウィンドウ・ショッピング。そしていつも行くマッサージ屋さんでフット・マッサージとスクラブ(角質取り)、今度はホテルに戻って併設のサウナへ(サウナは宿泊客は無料で利用可)。更にサウナでフルボディのマッサージ。そして一眠りして夕食を終えてから更に別のマッサージ屋でヘッド・マッサージ。大いにリラックス出来ました。やはりフィリピンは物価が安い! 日本でマッサージのはしごなんて出来ません。疲れを充分に取り去って明日の移動に備えます。
朝はシャキッと目覚ましなしで午前6時半に目が覚めました。仕事がなければこれほど爽快な目覚めになるのか? 本当に不思議であると同時に如何に自分がストレスにまみれて生きているかが手に取るように判ります。愛犬はそばにいないけれど、ちょっと朝の散歩に出掛けることにしました。
初めてマニラに来た時、フラフラとエルミタのホテルからこのセブンイレブンまで2時間くらいかけて歩いて来ました。今にして思えばよくそんなことをしたものだ、無知とは怖いものだと改めて思い知りました。そもそもこの周囲は日本人が一人で歩いていはいけないような場所、ちょっとスラムに近い?
これが今回投宿したホテル、日本人専用の、割と日本語が通じやすいホテルです。何よりも日本語を良く喋るスタッフがツアーデスクにいて、今回の旅行のプランも彼に任せました。サウナも併設、しかしサウナでは裸になると身体にたくさん絵の描いてある人が多いのも特徴です。
朝の7時半、朝食に行きました。ビュッフェ形式ですが、ハイアットやマンダリンに比べればその内容はちょっと寂しい。しかし日本人向けのおにぎりやみそ汁もあります。そして今朝は焼うどんがありました。また例によって朝のサラダはたっぷり、そして美味しいお米がありました。
食後少し部屋で一休みしてからまた出掛けました。ジプニーに乗って昨日行ったエルミタへ。ジプニーはなかなか外が見難く、気を付けていないと急に目的地から逸れて曲がってしまったり、気付かないうちに目的地を通り過ぎてしまったり。今日も気付かない間に曲がってしまい、また乗り直しました。
昼間からよく行くカフェへ。夜は座る席もないくらい混んでいるのに、昼間は割と空いているはず、でも今日は日曜日、午前中のうちから結構混んでいました。でもお気に入りの席は空いていました。さすがに朝からビールは気が引けるもの、酔っぱらって歩くのも億劫になると困るのでコーラをオーダー。
ロビンソン・デパートに来ました。毎回子供達へのお土産は衣類、少し下見をしました。この店にはいつも必ずショーケースにハーレー・ダビットソンが置いてあります。今回はV-ロッド。シルバーの渋い奴でした。でも街中でハーレーが走っているのを見た事はありません。きっとものすごく高価?
何も買わずに出て来ました。しかし2時間ほど歩いて少し疲れました。休憩がてらマッサージを受ける事に。いつも行きつけのロビンソン前のマッサージ屋さんへ。1時間約千円、今日はフットマッサージとスクラブの組み合わせ、床に落ちた自分の足の角質を見てビックリ、でもスベスベになりました。
また少し街歩き、いつまで経っても完成しないビルの工事が未だに建設中。恐らくもう2年くらいガタガタしてるのではないでしょうか? この下を通る時は上から何か落ちて来ないか? いつも上を見上げながら通ります。看板にも上からDebrisが落ちて来るから注意! と書いてあります。
やや遅めのランチへ。これまた行き慣れた中華料理屋さんで毎度の雲呑麺、決してものすごく美味しいと言う訳ではないのですが、何故か惹かれてここに来ます。薄い塩味のスープ、歯ごたえのあるカンスイの効いた麺、これで300円足らず。エルミタに来ると必ずこの店でこの雲呑麺。
午後はホテル併設のサウナに行きました。宿泊客は入浴料無料、そしてこれまた1時間千円のフルボディマッサージを受けました。今回の人は巧かった、いつの間にか気持ちよくなって眠ってしまったよう。α波ミュージックが流れる中、薄暗い部屋が静かな眠りを誘います。その後また夜の街へ。
明日は車と船で移動、初めての地に足を踏み入れます。だから少し体力を付けておきたい、そこで焼き肉屋さんへ。これまた行き慣れた店、どうしてもついつい慣れた店に行ってしまう、新規開拓と言うのはなかなか腰が重くなります。USカルビ、ハラミ、そして上タン塩でビール、そしてご飯はおかわりを。
第3日目、朝はまたシャキッと午前7時に起床、まずは朝食へ。そして部屋で荷造りを終えのんびりしているとピックアップの約束の8時より前に電話が鳴りました。今日Transportしてくれるドライバーから。もう下で準備が出来て待っている? 「フィリピン人にしては時間に正確じゃないか?」と言うと彼は「僕は日本人の習慣を良く知っている。」とのこと。ヘェ〜、頼もしいね? そんなやり取りをしてロビーに降りて行きました。ドライバーの名前はJ、スマップの中井くんに良く似たナイスガイでした。彼との出会いがこの旅行をものすごく有意義なものにしてくれることになります。さぁ、数年前から行きたいと思っていたプエルトガレラへ!!
しかし、船に乗り継ぐ港町、バタンガスで参りました。まずは港の構内で警備の警官にチップをせがまれたのがケチの付き初め。港湾使用料、50ペソを払うのにポケットの中の札を覗き込んでいたお巡りに見られてしまいました。そんなにあるんだからチップをよこせと言う勢い、ちょっとだけ渡してすぐに逃げました。そして船のチケット売り場では詐欺師のようなゴロツキと正規の警備員との区別がなかなかつきません。荷物を持ってやるよとか、別のブースで別の料金が必要だとか、釣り銭も抜かれました。一人の奴に散々つきまとわれました。頼りになるドライバーも一緒なのですが、彼も港の中は不案内みたい。帰りににこの港に来た時、自分でバタンガスのホテルに電話して迎えに来てもらう事になっていました。この街にはタクシーはない、少し距離の離れたホテルに行くにはバイタクかジプニーしかないのです。万が一海が荒れて船が欠航した時の予備日としてバタンガスのホテルに1泊予約を取ってありましたが、とてもこのゴロツキの中で送迎を英語で頼むなんて無理! 瞬時に判断して、この信頼のおけるドライバーに「木曜日の午後1時にバタンガスの港に必ず帰って来るから、迎えに来てそのまま直接マニラまで運んでくれ。」そう頼みました。バタンガスのホテルは向こうでキャンセルするから........。ドライバーからOKを取り付けました。とにかくここは酷い! フィリピンの裏の裏を見た感じでした。
朝はまたシャキッと午前7時に目が覚めました。体調は万全! まずは朝食、今日は永い時間、車と船に乗ります。だから食事は少しセーブしました。満腹で車酔いや船酔いは困りもの、ご飯を辞めてパンにしました。サラダも少し控え目、時間的余裕は未だたっぷりあります。
午前8時前、ホテルのロビーに降りて行って今日のドライバーと初対面、よろしくね と挨拶して握手を交わしました。彼には日本人の客が多く、日本人の性格や習慣を良く知り尽くしているとのこと、恐らく遅刻されてイライラすると思いきや、日本人以上に日本人っぽい、時間に正確な男でした。
車でバタンガスの港まで2-3時間と聞いていました。ただ車に乗っているだけでそれだけの時間は結構辛そう、だけど彼から日本人にしてはよく喋るじゃないか? と言われてから話しが弾みました。お互いの仕事の事、家族の事、話題は尽きず、喋りっぱなしで全然退屈しません。良いドライバーで良かった! 彼とは仲良く出来そう、今後もよろしくね。
車でマニラ市内を出て行くのは初めて。でもハイウェイがずっと先まで伸び、かなりアクセスが良くなったのだそうです。ハイウェイは最高速度110km、しっかり制限速度を守り丁寧な運転に好感を持ちました。彼を指名してルソン島なら何処でも連れて行ってくれるとのこと、今後の大きな足を捕まえました。そうだ!来年は彼を指名してスービックへ行こう!!
マニラから2-3時間と聞いていたのに、1時間半で着いてしまいました。通常はマニラ市内が渋滞してなかなかハイウェイまで時間がかかり、それだけの時間がかかるところ、今日は全然混んでいなかったからだと聞きました。酔うこともなく、退屈することもなく、快適なドライブでした。港の敷地をグルッと回るように走り、入り口に向かいます。
ちょっと港ではイヤなことがいくつかありました。前述の港湾使用料50ペソ、お巡りにチップをせがまれました。もう50ペソだけ渡して逃げ切りました。車を降りてから訳のわからない奴らが付きまといます。恐らく被害は1000円くらいで済んだと思いますが、釣り銭をごまかされたり、恐らくは余分な支払いもさせられたようです。
船の出発まで少し時間があることを確認し、ドライバーと昼食にしました。汚い店でしたがこんなところしかない、100円もしないラーメンを彼と食べました。さすがに旨くはない、しかしその間も彼と話をし、結局予定を変更して4日後にはこの店の前で落ち合うことになりました。
前述のような理由で予定変更、ドライバーと別れ、セキュリティチェックを終え、港の中の待ち合いロビーに来ました。船が出るまで1時間、心細い中、何と僕のドライバーは心配して中まで入って来てくれました。恐らく彼が入る事は出来ないはず、係員にチップでも出したのでしょうか?
さすがに「もう良いよ。」とドライバーを帰しましたが、別の港湾警備員からこの日本人の面倒を良く見てやってくれと頼まれたと言われ、細々と指示してくれました。日本人の性格と習慣を知り尽くしたドライバー? 本当に彼には感謝、感謝です。彼がいなかったらどうなっていたことか?
海を見ると結構波が荒い、決してコンディションは良くなさそう、更に不安は募ります。この航路では台風なのに無理矢理出て行ったとか、定員オーバーで船がひっくり返って死人が出たとか、日本の新聞報道にも出ていました。それにストレスのせいか、急に腹痛と下痢が始まりました。
午前11時30分発のサバンビーチ行きの船のアナウンスがありました。先ほどの警備員もあの列に並べと手で合図をします。ありゃ〜、結構な乗客、定員オーバーじゃないだろうな? 船が沈んでも救助がくるまでは泳いでいられるだろう、その辺は心配ではありませんが、腹痛、下痢が何ともストレス。
「両手に荷物を持つと危ないから、重い方は肩からかけろ。」警備員はそんなことまで僕にアドバイスをくれました。桟橋に上ると本当に海に落ちそうになるくらい揺れていました。ちょっとプエルトガレラへ行くの辞めようかな? 本当にそう思うくらいの不安が湧き上がって来ます。
さりげなく船は出港しました。ホント、こんな荒海を越えるのに大丈夫? と思うような粗末な船で。船の中ではポリエチレン製のエチケット袋が飛び交うように配られました。僕も欲しかったのにもらえませんでした。やがて窓にはビニールの水よけシートが下ろされました。波.....、すごいよぉ〜。
どう見てもライフベストは乗客の人数分はない......。特に航路の後半は相当な荒れ模様でした。もう吐きまくっている人も。船が大きく上下に揺れると、船内に悲鳴とも嗚咽とも言えない声が響き渡ります。うねりが酷くなると船はスロットルOff、Stop & Goの繰り返し。
僕のすぐ目の前の20歳代前半のフィリピン人の女の子、吐きまくった上に過換気症候群を起こしてしまいました。手がしびれて動かないみたい。クルーが一生懸命手を揉んでいますが、そうしても無駄、そこで日本人ドクターはビニール袋を彼女の口に当て、治療を施しました。4-5分で回復しました。
僕の前に座っているフィリピン人のおばちゃん、もうちゃっかりライフベストを着込んでいます。そう、島の沿岸を走っているので万が一船がひっくり返っても何とか陸までは泳いで行けそう、少なくとも溺れ死ぬ恐怖は感じませんでしたが、何時自分に吐き気が襲って来るか? それは不安でした。
本来は1時間のクルージングだったはず、しかしStop&Goの航行は結局2時間かかりました。青ざめてグッタリしている人もたくさん、僕は少し活躍の場があったせいか船酔い、下痢ともに大丈夫でした。クルーからは治療に感謝され、親指を立てられました。ようやく向こう岸が見えて来ました。
プエルトガレラ、サバンビーチの街並みです。いや〜、永かった。過換気を起こした女の子にとっては地獄のようなクルージングだったでしょう。今にして思えばスリル満点? こんな経験もフィリピンならでは.....。しかし港が混んでいるのか? 沖合でまた15分くらい待たされました。
ようやく上陸、僕の予約しているホテルは港から歩いて2分、すぐに判りました。その間にも「ホテルは決まっているのか?」とか「僕があなたのホテルの係員だ。」とか、訳の判らない奴らが寄って来ます。ついて行ったらえらいことになるでしょう。ホテルのフロントでは直ぐに予約してある僕の名前が確認出来ました。スタッフの女の子も聞き取りやすい英語を話し、親切で好感が持てました。
チェックインして僕の部屋へ。このホテルにはプールが二つあるよう、これは一つ目。もう午後の二時、でもプールサイドには誰もいません。恐らく明日は街巡り、プールサイドでのんびりiPodで音楽を聴きながら寝そべっていられるのは明後日だけ? 今回はマニラのホテルもプールがなく、好きな日焼けは出来ないかも。のんびり日焼けするよりも今回は街を見て歩きたい、そう考えています。
こちらがメインのプールのよう、アクアラングをつけてダイビングのレッスンをしているようでした。今日はあいにく天気もあまり良くなく、日焼けは無理そう。でもなかなか奇麗なホテルでホッとしました。いつぞやはこんなホテルに3日もいられるだろうか? と心配したこともありましたが、このホテルなら大丈夫そう。
これが僕の部屋、大きなキングサイズのベッドで手前にリビングのセットがあり、それほど狭苦しい感じもありません。全てツーリストデスクに任せっきりだったのですが、良いChoiceをしてくれました。これで1泊5千円以下なら充分、街へのアクセスも良好、と言うよりは街全体がそれほど広くなく、充分に徒歩圏内のようです。
ツーリストに頼んだのは唯一セイフティボックスがあること、やはり長旅故、そこそこの金額を持って来たのと、パスポートなんかなくした日にゃ大変なことになります。しかしこのセイフティボックス、英語の説明書通りに操作してもロック出来ない。スタッフを呼んで尋ねたら、壊れていて唯一この部屋だけBではなくAのボタンを押せだって?
バスタブはついていませんでした。シャワーだけ。まぁそれは良いでしょう。格安ホテルならやむを得ません。だいぶ暑いので、バスタブにゆったり浸かろうとは思っていません。汗を流す事が出来ればそれで充分。そしてルームクーラーはガンガンに効くようです。これなら3泊4日、快適に過ごせそうです。ただお湯の出はあまり良くありませんでした。
さて、簡単に荷解きをして早速街歩きに出掛ける事にしました。街は狭いながらも割と賑やか、如何にもビーチリゾートと言う感じで、何となく湘南や江ノ島のイメージに似ていました。これが数年来来たかった街か? そう思うと何となくワクワクして来ました。ここはホテルを出てすぐのところ、海まで2分足らず、良いロケーションです。
ジプニーもいました。ここからプエルトガレラの中心地までジプニーで15分ほどと聞いています。取りあえずはこのサバンビーチの街だけ、今日歩いてみようと思いました。更に奇麗なビーチのあるホワイトビーチまではバイクタクシーで20分くらい? でも明日はバイクを借りてプエルトガレラ全てを見ようと思っています。
まずは港にもう一度出てみました。初めて来た街を歩くのが大好きです。あいにくここのビーチはあまり海の水はきれいではない、泳いでいる人もいない。むしろプエルトガレラの玄関口と行った趣でした。ビーチ沿いに結構洒落たレストランやカフェが並び、食事やスナックには不自由なさそうです。さて、今度は繁華街の方へ歩いてみます。
狭い路地が結構複雑に入り込み、周囲に土産物屋さんやレストラン、カフェが並んでいて、歩いていて楽しくなります。特にシーフードレストランはたくさんあり、夕食は何処でしようか迷うほど、歩いていて飽きません。土産物屋さんはそれほど高価なものは置いてなくて気軽に立ち寄れる雰囲気、西欧人が多いようです。
土産物屋さんに眉毛のあるブルドッグがいました。この店の看板犬か? そう言えば結構この街には犬や猫が多い。動物に優しい街は居心地が良いはず、このブルドッグの飼い主に僕の携帯の愛犬の写真を見せたら受けました。そう、ナースに預かってもらっています。今頃元気にしているんだろうか? ちょっと寂しくなります。
ビーチ沿いに立ち並ぶレストランやカフェ、日本の海の家、ビーチハウスよりはもうちょっと高級な感じがしますし、メニューも結構本格的。値段もそこそこ高く(と言っても日本に比べれば大したことはありませんが)、いかにも観光客相手と言う感じでした。海を見ながらの食事が楽しそう。ちょっと一人なのがもったいないような気もします。
小一時間歩いたし、実は大したランチを摂っていなかったので休憩がてら店の椅子に腰掛けました。僕の席からの海の眺め。300mくらい向こうに先ほど到着した港があります。何か座っても未だ身体が揺れているよう、本当に船酔いにならないでよかった、もし酔っていたら食事をしようなんて気にならなかったかも知れません。
店はこんな感じ、未だ4時過ぎくらい、あまりお客さんは入っていません。夜になれば少し賑わうのだろうか? しかし路地を歩く人は結構な人数です。観光客はどうやら西欧人と韓国人が半々くらい? 未だ日本人とはすれ違っていないようです。「無事にプエルトガレラに着いたよ。」女房とスタッフと友達にメールを出しました。携帯メールは良好。
ものすごく空腹と言う訳ではなかったので、軽くサラダと飲み物だけにしました。ああ、また遠くまで来たな? そんな想いが感慨深げに頭に浮かびました。でも今は僕を縛るものは何もない、申し訳ないけれど、僕の患者さんが今急に具合が悪くなってもどうしようも出来ません。今の僕にはストレスが全くありません。これなら長生き出来るのに!
路地で麻雀をやっていました。フィリピン人が漢字を読めるのだろうか? 余計な心配をしましたが、捨て牌の並べる位置が違うし、牌も見慣れないものが混ざっていました。恐らく僕がやっている麻雀とは多少ルールが違うのでしょう。廻りに人が立ち眺めています。しかも掛け金なのか? テーブルにはお札が無造作に散らばっていました。
ずいぶん多くの犬と遭遇しました。リードで縛られている訳でもなく、勝手気ままに歩いているよう。リードをつけなければ行けないと言うルールはなさそうです。やはり手を出して噛まれても困るので、なるべく目を合わせないようにやり過ごしました。でもきちんと首輪はしているので、やはり飼い主はいるのでしょう。急に愛犬に逢いたくなって来ました。
猫ものんびり、人を恐れる気配はあまりありません。どうだい? この街は? 住んでいて楽しいかい? 決して痩せ細っている訳ではなく、そこそこ栄養状態は良さそうです。レストランで残り物でももらっているのでしょうか? こんな風景を見ているだけで、ストレスのない生活に憧れます。でも永住するにはこの街は小さすぎるかも?
路地を歩いて行くと洒落たホテルがありました。ありゃ〜? こっちのホテルの方が良さそう。高台から海を見下ろすロケーション、ただプールサイドに宿泊客はいないみたい。困った事にこの複雑に入り組んだ路地は突然民家の路地に変わる事も。「Wrong way?」と尋ねると、「そうだ、出て行け!」と怪訝な顔をされることが数回ありました。
街歩きを2時間ほど、ちょっと歩き疲れてホテルの部屋に戻り、しばし午睡をしました。2時間ほど寝てしまったでしょうか? 起きても未だ身体が揺れていました。今度はゴム草履に履き替えて、改めて食事に出掛ける事にしました。時刻は8時過ぎ、もう外は真っ暗でした。何処で何を食べようか? そんな悩みも旅の楽しみの一つです。
結局、少し賑わっているレストランでリブアイステーキ、サラダ、フライドライス、そしてビール(サンミゲルライト)をオーダーしました。これで1500円ほど、もちろん、現地の人にはかなり高い食事になるでしょう。でも味はなかなか、充分に満腹になりました。今はPCも持って来て、今日の出来事を少しだけ日記につけました。
一人で食べていると足下に猫が数匹、そして後ろには犬もいます。ねだるような顔でこちらを見つめています。少しステーキの肉を食べさせてみました。結構お腹が空いているみたい、凄い勢いで食べています。そして結構しつこい、そろそろ終わりだぜ、僕のステーキの1/3くらいはこの猫達の胃袋に入ってしまいました。今日は早めにホテルに戻ります。
第4日目、さて今回の旅行のメイン・イベント、今日はバイクを借りてプエルトガレラを走り廻ります。ガイド本には日本人がバイクを借りて走るのは危ないから辞めておくように書いてありましたが、やはり街全てを見てみたい、バイタクではどうしても自由には行かないでしょう。昨日のうちに唾をつけておいたレンタルバイク屋で115ccのスクーターを借りました。そして目指すはプエルトガレラもう一つのビーチ、ホワイトビーチへ。今日のために今回の旅行を組んだような次第、素晴らしいビーチと景色を堪能しました。
朝、ドアを開けて外に出るとなかなかの天気、気分よく目が覚めました。このホテルはバスタブこそないものの、まぁまぁの雰囲気、1泊5千円の料金を考えれば上出来でしょう。少し伸びをして身体も揺さぶり起こします。さてどんな素晴らしい景色を見る事が出来るのか? ワクワクしてきます。
あいにくこのホテルには朝食がついていません。少しビーチ方面に歩いて、朝からやっているカフェを目指します。ビーチ沿いにはいくつか目ぼしい朝食を出してくれそうなカフェがありました。ビーチまで歩いて2分、津波が来れば間違いなく流されるロケーションではありますが。
海の目の前のカフェに座り込みました。他に客は西欧人のおじいさん一人、恐らく退役軍人なのか? 僕と目が合うと軽く挨拶、気持ちのよいロケーションです。朝食メニューはアメリカン・ブレックファスト、フィリピーノ・ブレックファスト等4種類ほど、アメリカンを選びました。
アメリカン・ブレックファストはトースト2枚に簡単な肉料理(ハムかベーコンを選択)そして卵料理(例によって2Fried eggs,Sunny side upをオーダー)、それにバターとジャムが付きます。ジャムなんて食べるのは久しぶり、でもこのスローライフが日頃溜まったストレス洗い流しには最高!!
コーヒーはドリップやサイフォンではなく、インスタント? カップに熱いお湯が入っていて、自分でインスタントコーヒーの粉、砂糖、そして粉のクリームを入れるようになっています。でもインスタントにしてはまぁまぁの味、何よりもここからの景色が今日一日の素晴らしい始まりを予感させます。
朝食はアッと言う間に終わってしまいましたが、このロケーションが気に入って居座る事にしました。コーラを頼んで、持って来たCPで日記を追記。実はここ数日、日記をつけていませんでした。未だ忘れないうちに昨日、一昨日の事を書きます。約2時間、のんびりさせてもらいました。
さて朝食と日記の追記が終わり、ホテルに戻ります。途中マッサージ屋さんが数軒あって、外で女性スタッフ達が暇を持て余してたむろしています。Strictly Massage only! だって。何かと良からぬ期待をして入って行く輩もいるのでしょうか? いずれマッサージは受けに来る事にします。
ホテル前からビーチ方面を見た図、ここがメインストリートです。右の黒い服を着た女性から声をかけられました。「昨日バーであんたを見かけたよ。」って。誘えばお付き合いいただけるのでしょうか? そう、この街は小さい、ましてや一人で来ている日本人なんて珍しいのでしょうね?
さて、スクーターを借りて出発です。サバンビーチから半島根元のプエルトガレラの中心部を経由して、西にあるホワイトビーチを目指します。恐らく10kmくらい? 一般の人はバイタクに乗って移動するようです。道の真ん中にヤギがしゃがみ込んでいました。家畜? のんびりしています。
これがプエルトガレラの中心地? わずか200mくらいの街道沿いにせいぜい2-30軒の商店や家が並ぶだけ。ヘ? こんな小さな街なの? と面食らうようなところでした。全部合わせても100軒はない? 街と言うよりは集落と言う感じ、僕の予想とはかなりかけ離れているようでした。
実は借りたのはこのスクーター、90ccくらいかと思っていましたが、後に尋ねたら115ccとのことでした。結構パワーはあります。しかしスピードメーターが壊れていて動かない......。ガソリンは殆ど入っておらず、出先でガス欠も困るので満タンにしました。と言っても2リッターしか入りません。
さて、満タンになって気持ちも落ち着いたところでのんびり走ります。しばらくは舗装された奇麗な道を気持ちよく走ります。気に入った景色があるとバイクを停めて写真を撮ります。目的地のホワイトビーチまで約10kmくらいのはず。時間的な制限はありません。やはりバイクを借りて良かった。
お天気には恵まれました。見ていて胸のすくような青空、ここに憧れてはるばる出て来ました。ヘルメットもするように薦められて暑い事は暑いのですが、走れば爽やかな風が顔を撫でます。湿気はあまり感じず、あのうんざりするような湿気の多い東京の夏とは全く違います。
ずっと1本道、時々バイクやバイタクとはすれ違いますが、自動車はあまり走っていないみたい。たまにジプニーを見かけます。右側には時々海が見えて、バイクを停める事も。ここまで来ると空気もきれい、新鮮な空気を胸一杯に吸い込みます。身体が奇麗になって行くような感覚に陥ります。
停まっては一休みを繰り返しながらのんびり走って来ました。小一時間で頭の上に横断幕が。ここからは海は見えませんが、どうやらホワイトビーチに着いたようです。ここから右に入って行く細い道が何本かあり、そのうちの一つを北に上がって行きます。
先ほどの1本道から右折して2-300m北に走るとレストランが数軒あり、そこの駐輪場へバイクを停めて海に出て来ました。これがホワイトビーチです。ラグーンではありませんが、奇麗な白い砂浜に結構青い海の色、波は静かで、向こう側にはいくつもの島が見えます。ここに来たかったのです!
未だそれほどお腹が空いている訳ではない、西の方を見ると海岸線が続いています。何処まで行けるのか、行ってみたくなりました。このビーチで20分ほど海を眺めて、再びバイクのエンジンをかけました。そう、あの岬のあたりまでは行けそう、それほど遠いとは思いません。また走り始めました。
こんな素晴らしい景色のところがありました。しばしバイクを停めてボーッと景色を眺めていました。如何にもフィリピンの田舎らしい、手つかずの自然がそのまま残っています。思いっきり深呼吸、ああ、来て良かった! 心の底からそう思いました。今の僕には本当にストレスがありません。
更に1本道が続きます。さすがにすれ違う車もバイクも少ない、たまに現地に住んでいる人が歩いているだけ、見慣れない風体の外国人をジッと見ていました。お天気は最高、バイクで走っているだけで腕は灼けて来そうです。でも決してうんざりするような暑さではなく、風もさわやかです。
まだまだ道は続きます。道の先には青い海も見えます。こんな所に住んでいたら長生き出来るだろうな? でも1週間もいたら飽きちゃうかな? 今までフィリピンのあちらこちらを見て来ましたが、こんな景色にはなかなか巡り会えなかった、正に僕にとっての非日常が現在進行形で進んで行きます。
いよいよ舗装道ではなくなり、オフロードバイクではないスクーターでは走り難くなって来ました。山賊でも出ないだろうか? ちょっと不安も頭に過りましたが、もうじき終点が来るはず、行ける所まで行ってみよう、冒険心をくすぐられます。本当に! バイクを借りて出て来て良かったぁ!!
ついに! 行き止まりまで来ました。道が海岸にぶち当たり、これ以上は西に行けません。奇麗なビーチ、静かな波の音と鳥の鳴き声くらいしか聞こえません。自分が忙しない日本で患者を診ているなんて遠い過去のよう、今から1週間後に自分が何をしているのか、考えると悲しくなって来るようです。
この海を眺めていてふと不思議な感覚に陥りました。何となく朧げに覚えている、いつだか忘れたけれど、未だ学生だった頃? 夢の中に出て来た自分だけが立っていたビーチこそこんな景色だったのではないか? って。こんなところに来たいって30年も前から考えていた? デ・ジャブーかな? もちろんこのビーチに来るのは間違いなく初めて、でもやっとここに来た? 前から来たかった所? 不思議です。
こんな誰も来ないような所(失礼!)にポツンと2軒のレストランがありました。その内の1軒に入りました。なかなか良い雰囲気、ここの女将さんと話しが合いました。彼女の英語は非常に聞き取りやすく、ずいぶん話し込みました。さすがにここまで来る日本人は殆どいないとのこと、日本の津波のことも聞かれました。ずいぶん心を痛めたそうな。でもメニューの食事は殆ど出来ない? 20ペソのコーラだけいただきました。
ずいぶん走って来ました。恐らくホテルから20kmくらい? 直前に国際免許を取って、ガイド本が辞めろと言うバイクを見知らぬ店で借りて、そして1時間半くらいかけて走って、でも本当にこうやって良かった! そう思う瞬間でした。早くリタイヤしたい、そんな願望にも駆られました。
さて、また来た道を戻る事にします。天気も気分も最高! さすがにお腹も空いて来ました。さっき一休みしたホワイトビーチのレストランで何か食べよう、そう考えながらゆっくりと、また一度見た景色を反対方向から眺めながらバイクを走らせました。その後はホワイトビーチまでノンストップ。
ホワイトビーチに20分くらいで到着、バイクを停めてビーチ前のレストランに来ました。さっきコーラを飲んだけれど、やはり喉が渇きました。スプライトを一気飲み。目の前は青い海、そしてすぐ向こう側に他の島が見えます。そう、フィリピンは7107もの島からなる国なのです。
廻りには結構観光客がたくさんいます。西欧人が多い、ここはダイビングの基地になるところ、南米のカッコいい美女もいました。最高に気持ちよい海風が頬を撫でます。向かい側に見えるのは恐らくルソン島? そう、首都マニラがある島です。ただ.....、もの売りが結構うるさい。Leave me alone !
フライドライスとトマトのサラダを頼みました。これで300円! そしてこのフライドライスが何とも美味しい! そう、プエルトガレラは結構食べ物が美味しい事に気付きました。昨日のステーキも美味しかったし。やはり観光客が多いとそれなりに洗練されて行くのかも知れません。さて、そろそろ帰ろうかな? 満腹にもなったし、景色も充分に堪能しました。
ホテルに戻りました。実はレストランにサングラスを忘れて取りに行き、10kmほど余分に走ったのです。途中慌てて危うく子猫を轢いてしまうしまうところでした。転倒しそうにもなりました。急ブレーキをかけ、2-30cmのところで子猫を避けましたが、猫を潰したら折角の良い気分も最悪だったでしょう。サングラスは無事帰還、バイクも返してきました。
バイクは6時間の約束で300ペソ、600円弱。500ペソ札を出したのですがおつりがないと言う事で、デポジットとして200ペソ預けておきました。結局120ペソしか帰って来なかった。大した金額ではありませんがチップとしてもらっておく って? これまたフィリピンのいい加減なところ。
だいぶ遊び回ったし、気持ちも充分満たされて少し眠くなりました。ベッドで少し午睡、食べたい時に食べ、眠い時に寝る、本当に自由です。連れがいてはこんな自由は謳歌出来ません。2-3時間寝たでしょうか? 目が覚めたらもう外は真っ暗、そのまま街に出て行きました。
今日は何を食べようか? そんなことで悩むのも一人旅の楽しいところ、美味しそうなシーフードの店があったのですが、お客さんは誰もいない、やはり賑わっている店の方が美味しいのだろう? そう考えてもう少しふらつくことにしました。そろそろまた空腹になってきました。
ビーチ沿いに結構洒落た店が並びます。またPC(MacBookAir)を持って来ました。実は最近買い換えたのですが、軽くて持ち運びに便利です。かつてのiBookG4は結構重かった、モニターはやや小さくなりましたが、断然持ち運びが楽です。iBookG4は10年近く使いました。
そしてこの辺のレストランは大体WiFiが入ります。そして携帯電話も良く通じます。ただ残念な事に、imodeで写真が送れない、家族やスタッフにこの素晴らしい景色、雰囲気を伝えたいのですが、それが思うに任せません。そして医師会のメーリングリストにはCPで写真付きのレポートを送りました。
ちょっと賑やかそうなこの店で食べる事にしました。廻りはカップルばかり、それも西欧人のカップルが多いようでした。こちらは一人ぼっち、何となく寂しくはありますが、むしろそれだからこそ自由を満喫出来るのではないでしょうか? さてメニューを見ながら、まずはサンミゲルライト!
シーザースサラダを頼みました。サラダはずいぶん安いようです。これで300円くらい、野菜は不足しないように積極的に食べます。ドレッシングの味もなかなか、廻りで酔っぱらって歌を歌う人もいたり、何故か店専属? の若い女の子もいたりしてずいぶん賑やか、こちらもhappyになってきます。
結局またステーキ、ここ3日連続で焼き肉、リブアイステーキ、そして今日はペッパーステーキです。最近は日本ではあまり肉を食べなくなりました。日本は農耕民族、肉を食べる西欧人には勝てないよ、と言うのが僕の友人の持論でした。でもこれだけ肉が欲しくなるのは身体が調子良い証拠でしょう?
実は前菜にシーフードのソテーを頼んであったのです。でもメインディッシュの後に前菜が出て来る、これぞ出来た順番に出て来るフィリピン流、しかもそのシーフードたるや前菜なんて量ではありません。これをご飯と一緒に食べても満腹になりそう、さすがに残しました。本日の夕食代、1500円。
そして夜食に韓国料理を食べる事に。これは韓国風BBQと呼ばれるもの、お肉を野菜で包んで食べます。ことの成り行きで、何故かゲイボーイ達と一緒に大騒ぎしながら食べる事になりました。このビーチは韓国人が多く、ゲイボーイを認めない韓国人の手前、彼ら(彼女ら?)は肩身が狭いそうです。
第5日目、今回の旅行もいよいよ後半に入ります。今日は何もしない日、そう決めていました。ほぼ半日、プールサイドで転がって日焼けに専念、そしてあとでプエルトガレラで初めてマッサージを受ける、そんな計画をしていました。まるで計ったように素晴らしい天気、僕のフィリピン旅行の中でもトップクラスに入る好天でした。街歩きもほとんどし尽くしたし、昨日はプエルトガレラの全てを見て回ったし、本当にやることはなし、しかしそんな時間を持ちたくてここまで来たのです。まずはお決まりの店のでの朝食から。
また気持ちよく目が覚めました。外に出て行くとすっごい良い天気! ストレスがないとここまで爽快な気分になれるのか? 本当に長生き出来そうです。今日はあまりバタバタ動かず、ホテルのプールで日焼けをしようと決めていました。まずは腹ごしらえ、昨日のレストランへ向かいます。
あまり青く見えなかったサバンビーチの海もこれだけ天気が良いと奇麗に見えます。未だ朝の8時、港の前にはもう結構な人がいます。もう既に船も行き来しているみたい。朝からこのプエルトガレラに上陸する人も多々あるようです。思いっきり深呼吸をします。お腹も空いています。
明日はもうマニラに帰る日、実は昨日のうちに船のチケットを買っておこうとチケット売り場が何処にあるか? ホテルのスタッフに尋ねて探したのですが見つかりませんでした。何とこんなチンケなOpen Airの売り場。ないはずです、昨日の夕方にはもう既に閉まっていたことが判りました。明日のチケットを買いました。
さて今日の朝食は? 昨日はアメリカン、今日はフィリピーノ・ブレックファストでオーダーしました。パンではなくガーリックライス、日本のガーリックライスと違いスライスしたニンニクを炊き込むフィリピン風のご飯にソーセージ、そして定番の目玉焼き二つです。またサラダはなし、ちょっと野菜が欲しくなりますが。
朝の9時過ぎからプールサイドで転がることにしました。もう最高の天気! これなら日焼け出来るだろうな? 今回のマニラのホテルはプールがありませんでした。恐らくずっと日焼け出来るのは今日だけ、それには充分過ぎる南国の日射しがあります。もちろんiPodも同行、聴く曲はTUBE !
この日射しです。でもマニラの時ほどチリチリ来ない、熱帯の強烈な日射しでありながら、何となく皮膚には優しい、長時間転がっていて嫌にならないむしろマイルドな日射しなのです。プールは貸し切り状態、少し泳いでもみました。Ferrari Clubのミーティングでは残念ながら優勝を逃しました。
今まで10数回来たフィリピン旅行でこれほどの良い天気の時があっただろうか? あいにく太陽が雲に隠れてしまったり、突然スコールが降って来たり、まる一日日照りが続いたなんてことは珍しいケースです。今日は朝の9時過ぎからランチも抜きで夕方4時までここに転がっていました。充分に灼けました。
かなり火照った身体を癒しに、プエルトガレラで初めてマッサージに行きました。やはり1時間で千円ほど。しかし今日のマッサージ嬢、ちょっと素人に毛が生えた程度のテクニックしかなさそう、その点マニラのホテルのサウナでは間違いなくプロの腕でした。しかしほんのりと眠気を誘ういい気分でした。
本当に今日は何もしなかった、旅の疲れも癒される一日でした。マッサージが終わってから、またサバンビーチの街中を歩きました。時間がもったいない? いいえ、こんな日を過ごせるのも夏休みだからこそ、何もしない贅沢、これこそ日頃の疲れを取るためのビタミンとも言える時間でした。
少しビーチにしゃがみ込んで暫し海を眺めていました。向こう岸はもうルソン島、よく見るとバタンガスの街も遠く見えるようです。一人ぼっちでちょっと寂しいながらも、こんな時間をくれる女房に感謝、一緒に来れば良いのにとも思いますが、それはそれで自由な時間を奪われることになるでしょう。
夕食は3日連続でお肉でした。今日はいい加減辞めておこう、そんなことでイタリアンレストランで、カルボナーラとシーフードサラダをオーダーしました。そしてサンミゲル・ライト。ふと気付きました。プエルトガレラは他のフィリピンの街に比べて食べ物が美味しいと。今日のメニューもなかなかです。
女房、そしてクリニックのスタッフにメールを送りました。夕焼けが奇麗だよって。今は間違いなく非日常の中にいます。そして仕事の事も忘れ、ストレスもなく、この世の天国を味わっています。リタイヤしたらこんな毎日が送れるのか? フィリピンに移住出来るのだろうか? 未だ老後の計画は未定です。
第6日目、さて今日はマニラに戻る日です。プエルトガレラにいたのは3泊4日、もうちょっとこちらを永くしても良かったかな? とは思いましたが、何さま船で島から島への移動がありました。海が荒れれば欠航になることだってあり得る状況であまりタイトなスケジュールは組めませんでした。やはり今回の旅行は少しアドベンチャーの部分もありました。まぁ今後はもう少し気軽にここに来られるかも知れませんが、やはり初めての地は緊張するもの、慣れたマニラに戻るのはホッとする一方で、まだやり残したことがないか? もう少し滞在したかった とか若干の名残惜しさもあります。さて相変わらず早起きのまま行動開始です。
プエルトガレラ最後の朝、何となくもの悲しい気持ちにもなってきます。数年前から来たいと思っていた街、小さな街で、3日間で全てを見尽くしてしまった感じもないではありません。また来るのだろうか? 移住するにはちょっと街が小さすぎるような、そんな感じもします。
今日はまたアメリカン・ブレックファスト、ハムではなくベーコンにしました。カリカリに焼いたクリスビー様、そしていつもと同じ目玉焼き二つ、今日はこちらから言う前に店の人がSunny side upでしょ? と尋ねて来ました。もう顔馴染みになってしまった?
海を眺めながらの朝食、最高に気分が良いです。ここは居心地が良くて、朝座っているには最高、他のレストランは試していませんが満足です。初日はドリンクを追加オーダーして申し訳ない事に2時間以上ここで日記の追記をしていました。でかいバンカーボートが入って来ます。恐らくこれもバタンガスへ行く船かな? 今は午前8時半、僕の船は3時間後です。どうやら波は静か、往きのように大揺れになる事はなさそう。しかも2時間もかかったけれど、今日は定刻の1時間で帰れるのではないかと考えています。今日はマニラに帰ります。
3日続けて朝食を食べに行ったレストランの女主人、最終日の支払いの時に少し話し込んでいると、唐突に言われました。「あんた、医者でしょう?」って。驚いて`Why did you see me so?`と尋ねると、いきなりシャツをめくり上げてお腹の手術痕を見せながら、1ヶ月も入院すると医者の雰囲気が判るとのことでした。僕にはその雰囲気があるって.....。日本では到底医者には見えないと言われているのに、本当に驚きました。しかも初日にずいぶん永い間、ラップトップで何かを書いていたでしょう?って。ずっと見られている?
ホテルに戻る途中に呼び止められました。彼は一昨日借りたレンタルバイク屋の主人、小さな街だとあっという間に顔見知りになります。デポジットの分お金返してよ、そう言いましたが、笑ってかわされました。彼からの「また来るんだろう?」の質問にはちょっと首をかしげ苦笑い。
ホテルに戻り、もうほぼ出来上がっていた荷造りを仕上げ、チェックアウトの準備。大きなトランクはマニラのホテルに預かってもらい、こんな小ぶりのバッグに必要な分だけ着替えを入れて持って来ました。船が出るまであと1時間ちょい、港までは歩いて2分、早めに出て行きます。
後で判った事ですが、このホテルはむしろ韓国人向け、日本人はいなかったみたい。でも結構居心地は悪くなかったですよ。直接名刺をもらい、今度はe-Mailを通じて自分で予約出来るように話しを付けておきました。果たしてまた来るのだろうか? そう、来年はスービッックに行きたい!!
港に着くと何と僕の予約した11:30の船はCanceled、「Why?」と尋ねると怪訝に「I don`t know !」と突き放されました。だからすぐにこの10:30の船に乗れ! 次は13:00だって? 不定期とは聞いていましたが、やはりいい加減なスケジュール、フィリピンならではの光景です。
早めに港に出て来て良かった! 本当はもう一度カフェでコーヒーでもなんて考えていたのです。いやぁ、参ったなぁ、1時間も早く着いてしまうと、バタンガスの港でずっとドライバーが来るのを持っていなければならない、一抹の不安が頭を過ります。海は静か、まるで僕を待つように出航!
今日の船は4日前のものより小ぶり? 客も20人くらいしかいません。席は割とスカスカ、波は静かだし、船のエンジンの音も往きの時ほど苦しそうではありません。これなら1時間で着いてしまうのかな? 僕の向かい側の乗客は日本人の家族でした。お互い日本人と遭遇するのは初めて!
この船はどうやらバタンガス-プエルトガレラ間を1日で3往復するようです。一番早いのは午前5時45分? もしかしたら船で仕事に通う人もいるのでしょうか? しかしもうちょっとしっかりした船でも良さそうな気がするんですけれど。さすがに今日は気分悪そうな人はいません。
もう出航した時から対岸のバタンガスの街は見えていました。恐らく時速20kmくらいで1時間、それくらいの距離なのでしょうか? 本来だったらそのバタンガスの街に今日は1泊する予定だったのですが、どうもバタンガスの港が居心地悪そう、泊まらないでマニラに直行することにしました。
このフィリピン人のおばさんから尋ねられました。マニラに行くのに車があるのか? って。もうドライバーが迎えに来てくれる約束になっている旨答えると、その料金を尋ねられ、その2/3の金額を提示され、それで私の車に乗って行かないか? って。もう約束しているから良いよ と断りました。
本当に1時間でバタンガス港に到着、未だドライバーとの待合わせに1時間以上あるのに、出口に歩いて行くと僕に手を振る男がいるではないですか? 何と! 彼は約束の1時間半前に来て僕を待っていたようです。ホント! 涙が出るほど嬉しかったです。すぐに車に乗ってマニラに向かいました。
途中のハイウェイのサービリエリアみたいなところでトイレタイム。彼を誘って、御馳走するからランチして行こうよと言うことになりました。あいにく良い店はなさそう、安くて申し訳ないのだけれど、ハロハロが食べたくてINASALに入りました。でもハロハロはないんだって........。
また1時間半でマニラに到着、もちろんドライバーにチップを弾んだのは言うまでもありません。また同じホテル、でもやはりもう少し広い部屋に泊まりたくて、ペントハウスをオーダーしたら空いていました。3千円くらしか違わないなら断然こちらの方が良いです。部屋は1.5倍の広さ!
でも疲れました。決してプエルトガレラは遠くない。はたと思いついて、やっぱり行こうか? と思えば行ける距離だと言うことが判りました。まだまだフィリピンの行きたい所はたくさんあるので、例え行くとしてもずっと先になると思いますが、思い返せば良い街でしたよ。食べ物は結構美味しかったし。
マニラに夜の帳が降り始めました。実はホテルに着いてから一眠りしたのです。また例によって雲が多くて、奇麗なサンセットは見られませんでした。さてこれからどうしようか? 連れがいないからこそ、どんな行動を取るか? 全くの自由です。明日は少し買い物、家族へのお土産を探しに行きます。
第7日目、今回の旅行もいよいよ終盤に入ります。ここまででも結構楽しかった。1週間仕事をサボり、かなりの収入減でしょうが、それ以上のものを得られるような気がしています。僕を知る悪友は「君はそれをしないと死んじまうよ。」と言っていました。確かにそうかも知れません。さて今日は買い物をします。また慣れたマニラ市内をほっつき歩きます。
朝、やはり気分よく目が覚めました。あいにく天気はやや曇りがち、しかもちょっと風邪症状が出て来ました。考えてみれば子供のように遊び回っていましたから。今回はあまり日焼けするチャンスがなかったので、一挙にやり過ぎました。灼け過ぎで少し悪寒がするのかも。
取りあえずまたエルミタ方面へジプニーで向かう事にします。ここはちょっと通るのが怖いような雰囲気、日本人が歩いているとみんな物珍しそうにジーッと視線を投げ掛けて来ます。時に子供が金をくれと手を出すことも。約200m歩くと裏通りに出て、ジプニーがたくさん走っています。
珍しいものを見ました。ジプニーのエンジン、第二次大戦後にアメリカ軍が置いて行った車を改造して使っています。考えてみれば60年前のエンジンが今も現役で走っているのです。だから10年くらいで古いと言って価値がゼロになってしまう日本もおかしいと思います。僕の車だって未だたった10年!
ジプニーに乗りました。充分に現役で仕事をしていますよ。今回のマニラではずいぶんジプニーに乗りました。タクシーよりかなり経済的、又値段交渉をしないで済むので余分なエネルギー消耗もしないで済みます。でもホテルのフィリピン人スタッフですらHold upに遭ったって......?
未だフィリピンに来て好きなハロハロを食べていない、心残りのまま今日こそとここに来ました。ここは以前ハロハロを食べた事がある店、ようやく食べられると思いながら入って行き、カウンターでオーダーすると今はないとのこと......。INASALはハロハロを辞めたのだろうか?
INASALでは何も食べずに出て来ました。再度ジプニーに乗ってエルミタへ。やはり空腹になってきたので何を食べようか、探して歩きました。そう、洋食ばかりだった、さすがに少し日本食が食べたい、そう思ってショッピングセンター内の日本食レストランへ。アスパラ巻き、これは美味しかったです。
そして天ぷらを頼みました。ウゲェ、まずい! 衣は確かにサクサクでしたが、衣が多過ぎる、そして揚げる油はだいぶ古そう、いやな油の匂いが鼻をつきます。天つゆを付けるとその臭み、匂いは若干消えますが、やはり喰えたものではない! 結局残しました。マニラで天ぷらなんぞを頼む奴が悪い!?
さて、ロビンソン・デパートで子供達にお土産の買い物です。娘には.....? ちょっと一目惚れしたカーフのハンドバッグ、高いだろうな? と思ってスタッフに尋ねたら充分に射程範囲内、これなら傷つけても、最悪なくしてもそれほどの後悔はない、すぐに娘のお土産は決まりました。
そして息子達、ポロシャツやTシャツを買って行く事にしました。Made in Philipineではないので安くはないけれど、日本では手に入らなそうなものを選びました。説明してくれるスタッフも結構熱心、購入を決めると如何にも嬉しそうな顔をします。そう、買い物はやはり気分よく出来なきゃ。
そして今回の旅行で2回目のこのマッサージ屋さん、今日はヘッドマッサージをお願いしました。結局マッサージは5回、日本では到底このペースでは行けません。はしごすら出来ない? 実はこの店、奇麗に改装されていました。Renovationとスタッフは言っていました。結構儲かっているのかな?
マッサージから帰って来て、またこのホテルのサウナでさっぱりしてきました。サウナでのマッサージはなし、良い気分で一眠りしました。はたと目が覚めて外を見ると、道路は濡れて結構な雨のようです。雨に沈むマニラの街、良いじゃないですか? 異国情緒たっぷり。暫し窓の外を眺めていました。
上海の雨の夜景も良かったけれど、僕はもう中国は行きたくありません。何か息苦しくって。今回はマニラでも官庁街、マカティには行きません。マカティは治安は良いけれどフィリピンらしさがありません。まるで先進国、アメリカみたい。僕はマラテやパサイ、エルミタのようなところが好きです。
第8日目、ずいぶん楽しみました。長旅もいよいよ終わりが近づいて来ました。今回は数年来の願望が叶ってプエルトガレラに行きました。そのためにベースとしたマニラにも合計5泊、今度フィリピンに来るのはいつだろうか? 今年の秋は友人に誘われ、バンコックに行く事になっています。恐らく年内はフィリピンに来ないだろうな? というよりそれ以外の海外旅行は無理でしょう。そう来年はスービックに行くつもりです。陸続きだから今回よりももう少し気を張らないで済むでしょう。さて街歩きが出来る最終日、名残惜しみながらも最後の一日を目一杯堪能します。
朝、やはり気分よく目が覚めました。東京に帰ればこんなにスッキリした目覚めはないんだろうな? 割と良いお天気、今回の旅行はお天気には恵まれました。天気の善し悪しも旅の気分を大きく左右します。明日は早朝から行動して帰国するだけ、実質今日が旅行の最終日、何となく寂しくなります。
また一人で朝食、あまり食べ過ぎないで済むし、これくらいの方が僕には合っていそう。あまり種類が多いと貧乏性の僕はあれもこれもと手を出して、結局ランチが入らないくらい食べてしまいます。ドリンクはもう少し種類があっても良いと思うんだけれど。さて、今日は何処をほっつき歩こうか?
またジプニーで移動しようと思っていたのに、ホテルの玄関でスタッフにTaxi? と尋ねられてつい首を縦に振ってしまいました。今日はバクラランに行ってみます。そこはマニラの下街のようなところ、そしてバスステーションでもあります。遠距離バスもバクラランから出て行きます。
ホテルのスタッフが停めてくれるタクシーはきちんとメーターで走るのです。ナンバーを控えて紙に書いて渡してくれます。もしぼったくられたらその紙をホテルに渡して文句を言うと、どうやらドライバーにはペナルティが行くみたい。それでもメーターを途中で切る奴もいますが、今日は大丈夫。
ここがバクララン、露天等が出ていて、歩いていると結構楽しくなります。奇麗な折りたたみ傘が売っていて結構安い、お土産に良いかな? と思い尋ねると、何とMade in China、フィリピン製なら買ったかもしれませんがやめにしました。物売りが結構しつこくつきまといます。
この近辺も何回か来た事があります。割とレートの良い両替屋もありました。今回も最後のExchange、ずいぶん長い旅行の割にはお金を遣わないで済みました。もしハワイ旅行だったらこんなものでは済まなかったでしょう。今日は少しレートが良くないようです。ここでは1ペソ2円。
かつて面白いところがあるよ と言われてタクシーの運転手に連れて来られたKTV、そんなドライバーの口車に乗るとリベート分も含めてたっぷり取られます。今では知恵がつきました。そんな誘いには絶対乗らない、どうしてもしつこければ自分でドアを開けてタクシーを降りる、成長しました。
フルーツ屋さんもありました。ドリアン? いつかもう一度チャレンジしたいとは思いますが、初めてダバオで食べた時は美味しくなくて食べ切れなかった。きっと当たりはずれはあると思うのですが、今日は辞めにしておきました。でもフィリピンはフルーツの宝庫です。
またINASALがありました。チキンは食べませんがダメ元で中に入ってみました。ヤッタァ〜! ハロハロがありました。49ペソ。やっとたどりつけました。紫色のアイスクリームではなく、あんこみたいなものが乗っていましたが、まぎれもなくハロハロです。今回は食べられないかと思っていました。
だいぶ歩いたので暫しここで小休止、やはり日本で言うマクドナドみたいな感じで、学生らしき若い子達がしゃべくりながら楽しそうに時間を潰しています。あまりお金はかからないし、長居は出来るし、彼らにとっては利用しやすいのでしょう。でもとにかくこの店のチキンは美味しくない!
ここを入って行くと駅があり、またその周辺は結構栄えています。と言っても正に下町みたいなところ、一度だけその電車に乗った事がありましたが、異様な雰囲気で廻りからジロジロ見られていたのを覚えています。何でこの電車に日本人が乗っているんだよ? みたいな感じで、ちょっと嫌でした。
実は.....、一昨日プールで灼き過ぎたのか? 或は風邪を引いたのか? 結構な悪寒がして、どうやら熱が出て来ました。それと辛いのが持病の後頭神経痛、ここ最近にない強い痛みでした。そして準備が悪く、鎮痛剤のロキソニンが持参薬に2錠しか入っていなかった、意を決してDrug Storeへ。
この時ほど医者になって良かった思う事はなかった? 知識があるので薬屋との交渉は楽でした。あいにくロキソニンはない、しかしイブプロフェン(ブルフェン)とメフェナム酸(ポンタール)は処方箋なしで手に入りました。惨めでしたが、これで一眠りして神経痛は収まって来ました。
夜に起きてからホテルの前で。これはホテルの警備員が持っているショットガン、本当に警察ではないホテルの普通の警備員がこんなものを持って立っているのです。彼に尋ねました。「How much is this?」そうしたら答えは「Cheep! Only 8000pesos.」 エッ? 1万5千円!?
第9日目、今日は東京に帰るだけ、帰国後の余裕を持つために朝の飛行機を取りました。本当に楽しかった! つい海外へ出て来る癖がつきましたが、思い立って良かった。夏休み、日本でくすぶっていてももったいないと言う気持ちになっています。楽しかった想い出を残しつつ、帰国の途につきます。きっとまた来るからね。
さあ! 日本へ帰ります。本当に楽しかったぁ! 今日は午前9時にNAIAを出発する飛行機、この飛行機に乗る時はいつもそうですが前夜から貫徹、寝ると寝過ごしてしまいそうですから。そして飛行機の中で爆睡、目が覚めると午後2時過ぎ、千葉上空と言う計算です。今回も寝ずに朝を迎えました。お天気はまぁまぁ。
マニラの街並、これで見納めか? と思うと何となく寂しい気持ちになって来ます。明日からもう仕事、特定検診も最後の1ヶ月、ラストスパートで1日10人から20人の検診をこなさなくてはなりません。しかし今回もストレスをすっかり洗い流した旅、恐らく11月までは気持ちよく仕事が出来るはず。
もう昨夜のうちに完全に荷造りは終わっています。でかいトローリーを転がし、部屋を見渡し忘れ物がないか? 充分にチェックします。クローゼットの中、セイフティボックスの中、洗面台......。そしてドアを開けて出て行きます。僕の気に入りの部屋1001号室、今度はこの部屋を指定します。
時刻は午前6時、朝食ビュッフェが始まったばかり、飛行機の中では恐らく眠ってしまい、機内食は食べない? だから朝食は目一杯詰め込んでおきます。そしてフロントでチェックアウト、そして僕を空港まで送ってくれるのは今回本当にお世話になった例のドライバー J、本当に、本当にありがとう!!
僅か15分で空港に到着、ドライバーの彼と別れを惜しみ、再会を誓い、カウンターでチェックインしました。NAIAのセキュリティは厳しい、金属探知器に引っかかる物は全て身体から離し、バックに入れます。ベルトも外し、靴も脱いで。ところが最後の最後にトラブルがありました。金属探知器を通り抜けてブザーが鳴らないのに、ボディタッチの係官がしつこく僕のカーゴパンツのポケットをまさぐります。そして僕の顔を見上げながらウィンク、ポケットの中にあったペソの束を見つけてチップの要求です。
`Come o〜n ! You cought such a poor passenger !?` 「こんな貧乏乗客を捕まえて何を言っているんだよ!?」と言ってやりました。するとこいつのニヤニヤしながらながらウィンクしていた顔から酷い形相に変わりました。何か怒鳴っています。`Ten thausans`だけ聞き取れました。フィリピンからは法律で1万ペソ以上は持ち出せない事になっていますし、僕はそれを知っています。`I have only four or five thausands pesos !` そう怒鳴り返して、ポケットの中の札を奴に見せました。
本当に不愉快です! 空港のセキュリティのためのボディチェックの正規の職員が平然と旅客に金をよこせと要求するのです、気持ち悪い顔でウィンクしながら。それで断れば逆ギレ? 良くやってくれた人にチップは厭いません。空港のチェックインに長い列が出来ていると、空港の警官が割り込ませる代わりにチップを要求する事もあります。フィリピンの病理はここにあります! 旅行の最後の最後に本当に嫌な思いをしました。
今日はチェックインがスムーズ、時間は未だ結構あります。嫌な思いをしてイライラしながら少しお土産を買いました。恐らく僕が万が一1万ペソ以上持っていたら、何処かに連れて行かれるのでしょう。NAIA、Terminal1のセキュリティチェックは厳しく、本当に神経を遣います。しかしそれはテロ対策ではなく、客から金を巻き上げるため? そこまで勘ぐってしまいます。イスラム勢力のテロに怯えている? そうではないようです。
未だ時間がそこそこあり、アメリカンエクスプレス、プラチナカードのラウンジがありました。僕も入れるはず? 入口でカードを見せながら`Can I enter here?`と尋ねると`Sorry,Local issue only.`だって? フィリピン人でAmexのプラチナカードを持っている奴って何人いるの? お前ら、仕事になるの? これも何となく不愉快!
何故かマニラ空港では気分の悪い事ばかり、せっかくプエルトガレラで楽しかった想い出もこの空港でかき消されそうです。もう本当にこの空港には来たくない! 今度はJALのラウンジへ。以前はタイ航空のラウンジに入りましたが、そこのフライドライスがものすごく美味しかった、JALのラウンジには大したものがないことを知っています。しかし怒りで疲れが.......。
何となくムシャクシャしながら、またサンドイッチとコーラをもらいました。疲れて眠気も。やがて搭乗の時刻を迎え、最後にもう一度セキュリティチェックを受け、待ち合いロビーにたどり着きました。もうヘトヘト、こんな状態でジャケットや眼鏡を忘れるんだよな? 今日は充分に気をつけています。今までいろいろなものをなくしました。
飛行機は定刻に出発、楽しかったフィリピン(最後は不愉快なことばかりだったけれど)を後に、窓の外に奇麗な海を見下ろします。また来るね.....、そう思いつつ現実に引き戻されて行きます。たまたま隣に座った日本人の人と話し込み、名刺交換もしました。リタイヤして今はフィリピンで工場を持っている? 羨ましいリタイヤです。
結局その人とずいぶん話し込み、機内食も食べる結果になりました。しかしさすがにもう既に2食食べているので入らない、メインディッシュだけいただいて、直ぐに片付けてもらいました。今度フィリピンに来るのは来年だろう? 今年の11月には友人に誘われてバンコックに行きます。
何故か僕の飛行機はいつもと違うコースで、台湾の真上を通るようです。落ちたら危ないのに......。そう言えば台湾は行った事がないな? 食べ物は美味しいだろうな? 沖縄よりちょっと遠いだけだし、今度行ってみようかな? 台湾では日本の医師免許が有効であると聞いた事があります。
台湾、結構広いですね。実は台風が発生してフィリピンから北へ向かっている情報を得ています。いつもと違うコースなのはそのせいだろうか? プエルトガレラからバタンガスへ帰る時も、もう一日遅かったら海が大荒れだったと聞きました。もしかしたら船が欠航になっていたかも知れないらしいです。
そう思うと、すんなり予定通りに行った今回の旅行も、実はギリギリで危ない所だったのかもしれません。やはり台風等で足止めを喰らったら仕事に影響します。診療時間が始まっても、ドクターが帰って来ていません なんてことになっていたのかも。でも本当に楽しい旅行でした。
来年の夏休みはルソン島のスービック、もう決めました。また移住先探し? スービックは昔に比べて寂れたよ とも聞いています。しかし陸路で行けるので、今回よりはハードではないスケジュールが組めそうです。スービックに3泊、そして悪名高いアンヘレスに2泊かな? 結局機内では寝ませんでした。のんびり映画を見ていました。
もう着陸です。ああ、また現実に引き戻されちゃった.....。8泊9日の長旅だったのに、アッと言う間の出来事だったように思います。でも今回の旅行では本当に人脈が確保出来ました。未だパラワン、ボラカイ、行きたいところはたくさんあります。まだまだ死に場所探しの旅は続きます。そんなことを糧に仕事に頑張りましょう。
東京も良い天気、しかしフィリピンとは違う湿気の多いうんざりするような暑さです。赤道直下の熱帯の方が居心地は良い? 確かに日本は四季があって良い気候です。でも夏は暑過ぎるし、冬は寒過ぎるし。それも幸せなのでしょうか? しかし日本は物価が高過ぎる、100円のタクシー代の攻防も良い?
わずか20分待ちでタイミングよくリムジンバスに乗れました。電車でも良かったけれど、バスの方が楽かも。バスの中では結構寝てしまいました。バスは結構混んでいて、席はビッシリでした。そうだ、好きなラーメン屋さんへ行こう! 女房とスタッフに「無事に着いたよ。」のメールを送りました。
プエルトガレラ旅行反省記
初めて来た憧れの地
仕事中でも少し患者さんの合間が出来たとき、夜の雑用の合間、ちょっとブレイクするとき、何気なくインターネットを見て、次は何処へ行こうかな? などと考える事がありました。数年前、ふとそんな検索をしているとき、`プエルトガレラ`がHitしました。首都マニラからそれほどアクセスが悪い訳ではない、奇麗なビーチがある、あまり開けすぎる訳でもなく、かと言って寂れすぎている訳でもなく、そんなことでいつかは行ってみたいと考えていました。しかし、やはりマニラからバタンガスまで車で2-3時間? 船は僅か数百円のボートで頻繁に出ていることは掴めましたが、そのバタンガスまでの足を見つけるのが大変そう、知り合いのフィリピン通に尋ねると、「そんなツーリストは知っているけれど、先生が医者だと判ったらぼったくられるだろうなぁ?」なんて恐ろしい話も聞きました。以前泊まったハイアットのドライバーに尋ねると、ハイアットのツアーデスクでも世話出来るとのこと、しかし何時いつマニラに来て、何時にPick upしてもらって、日本からはなかなか予約の取り難いホテルを確保してもらって、またバタンガスの港まで迎えに来てもらって、そんなことを英語で電話なりMailなりで交渉するのはなかなか大変そう、結局二の足を踏んでいました。
ところが以前知人の紹介で泊まったホテル、決してデラックスではないけれど日本人向けの日本語が通じやすいホテル、そこに日本語の通じるツアーデスクがあることを知りました。そしてそのスタッフと懇意になり、日本とマニラの間でメールでやりとり、細かなことは彼に全て任さざるを得ませんでしたが、こちらの希望をそつなくこなしてくれて、更に素晴らしいドライバーをつけてくれて、今回の旅程に至りました。取りあえずツアーのPlanningには文句なし、特に今回担当してくれたドライバーは今後必ず彼を指名したいと思わせるキチンと仕事をこなしてくれる男でした。No Troubleで僕のわがままなオーダーをこなしてくれました。今後、またフィリピンの何処かに行くにしても、絶大なる力と足を手に入れたと言えそうです。
そしてこのような素晴らしい旅行になった次第、プエルトガレラ、サバンビーチはこじんまりした街でしたが、如何にもフィリピンの田舎らしい、取りあえず滞在するには不自由のないところでした。そしてバイクを借りて地域全体を見て回り、現地の気さくな人たち(おかまも含めて)とふれ合い、充実した、そしてもちろんhappyな旅を堪能することが出来ました。荒れた海の上でのバンカーボートの揺れも何のその、それ以上の収穫を得る事が出来ました。そして更にこのIsland Hoppingはいとも気軽に出来ることを知りました。初めてだからこそ、悪意ある輩のTrapに片足を突っ込みかけましたが、今後は全てNo ! No!ですり抜ける事が出来ると思います。
移住の地としては?
さて、プエルトガレラに出向いた目的、それは数年前から始まったBKK、チェンマイ、パタヤビーチ、KL、マラッカ、バリ島、更にフィリピンではセブ島、ダバオ(マニラはちょっと無理)など、老後の移住先を探すこと、果たしてプエルトガレラは移住先として適しているか? 少し考え込みました。残念ながら答えはNo!、この街は狭すぎます。恐らく1ヶ月いたら飽きます。間違いなく.....。
ただ意外だったのは食べ物が美味しかったこと、フィリピンはマレーシア、ベトナム、タイ、インドネシアに比較しても美味しい物はなかなかありません。それは間違いない事実だと思います。でもプエルトガレラではその認識はちょっと変わりました。西欧人や韓国人が多く、そんなグルメ達を満足させるだけのパワーがあることを知りました。まずいものはなかった、そう言って良いでしょう。これは発見でした。だからたまにフラリとプエルトガレラに出向くのは良いと思います。アクセスも決して悪くないし。
一方で最近、移住と言う考え方に少し変化が出て来ました。何処どこと決めてそこから動かない必要はないのではないか? 例えばコンドミニアムを借りてそこに2-3ヶ月滞在、飽きたらまたそこから動く、そんな生き方も良いのではないかと思うようになりました。最近読んだ本でも『海外別荘はいいけれど海外移住は疑問だ』(江坂彰著:50代でしておくべきこと してはならぬこと すばる舎リンケージ)とありました。素晴らしい景色は借景で良いと。何処かに決める事は自分を縛る事ではないか? そう思うようになりました。きっと数年後、またプエルトガレラには行くでしょう。でも移住は出来ない、それが今回の旅の結論でした。
最後に今回の旅行で大変お世話になった二人に感謝の意を表したいと思います。
Special & Great Thanks for two Guys ,J&J ! Then, I could have a so good time at Manila & Puertogalera own to you. The tour desk stuff Mr.JI,Your planning for me made me Special time,and next time,I will order to you to make planning again! And Sincerely driver Mr.JM,much! much thanked you. If you were not ,I would be stumped on my trip. I will surely nominate you next time,See you again!