過日悲しい別れがありました。4年半連れ添った愛馬との別れです。思えば様々な想い出が詰まった愛らしいパートナーでした。こんな車は一般の人の認識では気難しくいつ機嫌を損ねるか分からない、クラッチやステアリングが重く運転しにくい、普段の足に使えない等々ろくな事を云われないのですが、彼女は違いました。出先で動かなくなって困ったのは4年半で1回だけ、それも納車間もなく、ディーラーの担当者が我々の責任ですと断言するくらいのやむを得ないものでした。真夏でもオーバーヒートは起こしません。結構普段の足にも使える、段差以外はあまり気を遣わないで済む車でした。この車の整備をずっとしてくれた担当のメカニックの人も「先生の車は当たりでしたよ。」と他の個体に比べてはるかに故障が少ないと云うことを話してくれました。彼とは友人のような感覚で話が出来ました。
彼女はずいぶん遠くまでつき合ってくれました。真夏の能登半島、秋の那須高原、そして何よりもこの車を通じて本当にたくさんの友人が出来たことが嬉しかったものです。白金台のカフェで偶然フェラーリのオーナーから声をかけられ、それ以降多くのツーリングクラブに入会し、つき合いの範囲が大幅に拡がりました。もちろん初めて声をかけてくれた彼とももう親友の仲です。様々な職種の人がいて、それまで医者同士のつき合いが殆どだった私も、ずいぶん人とのつき合い方が変わりました。そしてその人の専門分野で相談をすることが出来るようになったのも収穫でした。逆にそのような人達から医療相談を受けることも結構あります。同じ趣味を通じて友人の輪が拡がったこと、それは人生における大きな収穫だと私は考えます。
私は車を取りに来たディーラーの若い男性に云いました。「可愛がってくれる人に売ってね。すぐ売れるかなあ......?」 不況の今、この手合いの車は本当に市場では動かないと云うことを聞いています。にも関わらず彼は「こんな綺麗な車、すぐに売れちゃいますよ。」と云ってくれました。悲しむ私を慰めてくれたのでしょうか?
こんな別れを、まるで人との別れのように擬人化して悲しむ私に対して、家族を含め廻りの人は結構クールな反応です。そう、云ってみればたかが機械なんですけれどね。でも私に云わせれば違うんです。正に恋人(私はもう結婚しているから愛人?)のようなつき合いでした。このページに掲載したローダーに積んでいるところの写真、皆さんには馬鹿にされるかも知れませんが、実は私は泣きながらシャッターを押していたんですよ。排気管から出る煙に霞むテールランプがものすごく悲しく見えました。洗車した直後の車です。夜暗い中、我が車ながらすごく綺麗に見えました。査定をした数名のディーラーの中にも、「すごく可愛がられていた車だと云うことはよく分かりますよ。」と云ってくれた人がいました。そうですよ、ホントに可愛がってきましたから。もしかしたら、クラブのツーリングでまた彼女に逢えるかも知れませんね。そうしたら、影からそっと見守ることにします。決して「それは......、」と云ってはいけないのがルールだと思っています。
いつもツーリングに一緒についてくる私の娘も、この見送りの時には家の外に出てきて一緒に見守ってくれていました。ローダーが走り出したとき、私の目からは大粒の涙が溢れ出てきていました。ふと横の娘を見ると、彼女も声を出して泣いていました。娘にとっても想い出深い車だったことと思います。なにせ、私の家族の中でただ一人、この車に乗ることを楽しみにしていてくれたのですから。唯一私の道楽を理解してくれた娘です。「お前も泣いてくれるのか!?」呆然とローダーが見えなくなるまで見送り、私は娘を抱きかかえて家に戻っていきました。「あ~あ、行っちゃった.......。」 そんな気持ちですごい虚脱感を感じました。その後、私が飲みに出掛けたのは云うまでもありません。その日はかなり飲んでしまいました。
エッ? 次の私の恋人はどんな奴かって? 新しい彼女はもう整備が済んで、私が迎えに行くのを待っています。それは近いうち、またツーリングの記事を書いたときに報告したいと思います。