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Macintoshにはまった訳

 開業するまで、私は殆どパソコンに縁がありませんでした。というより避けて通っていたという方が正解です。当時はまだMS-DOSの世界でしたが、正に訳の分からない呪文を唱えると、えらいコンピューター様が我々にお恵みを与えてくれる、そんな印象しかありません。勤務医時代も上司に無理矢理命令されたことに訳分からずボタンを押す、せいぜい暇な当直の夜にテンキーを使うゲームをしたくらいです。

 やがて父の診療所を引き継ぎ、何もかも手書きでやっていた診療を1年くらい続けたとき、ふと、もっと楽に、正確に患者さんのデータを整理できたらと思うようになっていました。そこでパソコンということになったのですが、いろいろカタログをかき集め、やはりシェアの多いNECにするか、或いは富士通のFM TOWNにするか迷っていました。FM TOWNには当時画期的であったCD ROMが標準で搭載されており、また患者さんへ見せる(プレゼンなんて素晴らしいものではありません)ための食事指導のソフトがあり、ほぼこれに決定! というところまで行っていました。あとは何処で買えば安いか、いろいろ教えてくれるかを捜すことと、資金繰りだけが仕事として残っていました。

SE.jpg ある土曜日の午後、池袋のサンシャインシティで医療器械の展示会があり、私は展示会を見終わった後、下のフロアで大勢の人が列をなし、順番待ちしているのを見つけました。ものすごく活気があったように記憶しています。入場無料ということで何気なくフラフラと会場に入っていき、ロープか鎖に囲まれた飾り台の上に燦然と輝くプラチナカラーの箱、これがMacintoshとの出会いでした。今思えば、Mac World Expoの前身の展示会です。何より私はカラフルなリンゴのマークに一目惚れしました。Graphic Interfaceなど知る由もありません。マウスが何かも知りません。しかしあの見てくれに惚れてしまいました。これがパソコンならこれを買おう! 手に触れることもできない遠くに見える箱を見て私はそう思いました。Macを買おうと思ったのはただこれだけの理由です。

 すぐに自分の家の近くに、このパソコンを扱う店がないか調べてみました。するとやや遠いけど、聖跡桜ヶ丘にキャノンゼロワンショップが、そしてもう少し遠くに企画室ゆう(後のPLUS YU)という店がありました。2件とも担当の人と話しましたが、どちらも熱心でいずれで買っても今後のパソコンライフは間違いなしと考えていました。見積もりも出してもらって、後は注文を出すのみと云うところまで煮詰まっていましたが、当時の診療所出入りの医療器業者が、是非うちを通して買ってくれと云うことで、非常によくしてくれたキャノンゼロワンショップと企画室ゆうに不義理をし、その業者から購入することになりました。時は1989年、当時最速と云われたMacintosh llciにメモリを増設して20MBとし(当時ではものすごい増設なのです。今で云えば1GBのRAMといったところでしょうか?)、13 inchのカラーモニター(当時ようやくMacでカラーが扱えるようになった時です)、スキャナー、レーザープリンター(残念ながらPostScript のプリンターは高くて手が出ませんでした)、それにファイルメーカー、EG Word他ソフトを数点、以上しめて200数十万円の買い物です。医療器屋を通して少し値引きしてよと迫ったところ、400数十円の端数しか負けられないとのこと、ほぼ定価です。これにはかなりムッと来ました。更に納品当日、専門家(どこの会社か書きたいんだけれど我慢します)が来て機械をセッティングしながら最初に私に言った言葉が「これはパソコンですから、後は自分でやって下さい。」......何それ? やがて私は例によってブ厚いマニュアルを片手に格闘を始める結果になりました。値引き無し+ 最悪のサービス、仲介した医療器業者に復讐したのは云うまでもありません。もう何が何だかさっぱり分かりません。取りあえずマウスを動かせば矢印は動く。そこで何かを指してボタンを1回押すのか、2回押すのか、或いはずーっと押しておくのか? キーボードにはバラバラにアルファベットが並んでいるが、何故ABC順にしないのか?基本的な知識欠落にも関わらず、何かすごいことをこの機械がやってくれるという期待感で頭の中がかき回されるような思いでした。一方で、更にお金をかければ色々なことが出来ると聞きました。Macはグラフィックが得意だから手術記録には本のような絵が描ける、llciはキャッシュカードを入れるとすごく性能が上がるとのことだが、僕の三菱銀行のキャッシュカードは使えるのだろうか? 期待と裏腹に徹夜続きの私の体力はどんどん消耗されていきました。しかし、私の不幸な空回りはある人との出会いを境にグッと好転していきました。

 私の診療所の目の前に小学校があります。ここの小学校は生徒にMacを使って絵を描かせたり、ハイパーカードというソフトを使って非常に創造的な教育を行っていました。私はそれを知る由も無かったのですが、たまたま以前から風邪をひいては受診にくるその小学校の女の先生が私の診察室の机の上にあるMacを見て、「あら先生! Mac 買ったの? じゃあうちの先生でものすごく詳しい人がいるから紹介してあげる。」と云われ、数日後にそのものすごく詳しい人に会わせていただきました。たちまちその先生と意気投合して(医者嫌いだそうですが、私は例外だったようです)面倒を見てもらうようになり、私も目一杯その人から知識を吸収しました(S先生、大変お世話になりました)。そうこうするうちに、何とか一人立ちできるようになり、処方箋をデータベース化してプリントアウト、血液検査データをやはりデータベースとして管理、内視鏡の画像をデジタル化し、ついには診療報酬のレセプトまでMacでやるようになりました。こうなると面白くて面白くてしょうがありませんでした。医学書よりもMacの本がみるみる増えてきました。仕事にも充分フィードバック出来、最初は苦労したものの、後に大いに省力化が出来たと思っています。今思い起こせば私はこうした人脈に恵まれていたようです。久々に集まった高校時代の親友の中にMacで飯を食ってる男がいたり、中学の後輩がLANやインターネットにものすごい知識を持っていたり。そのおかげで、私の診療所もMacの雑誌や医学雑誌が取材に来ることがたびたびありました。しかしずいぶんこのおもちゃにお金を吸い取られました。まだまだ続きそうです。

 以前Macは宗教でした。Macユーザーを信者と呼び、他人にTipsを伝授することを布教活動と云ったり。今でこそMacもシェアは少ないものの、世間一般によく知られた存在となりましたが、かつてはマニアックな、ギミックな存在でした。爆弾マークと泣き顔マックに青ざめながらも、やっと仕事のツールとしてMacを使い、今では診療所内で7台のLANを組むに至りました。やがて院内のMacが色とりどりのスケルトンに変わる予定です。ああ、Mac OS(アップルとは云いません)よ、永遠なれ!