当院の待合室には、水草の水槽があります。欧米ではこのような水槽をメンタルクリニックの治療に取り入れているところもあるようです。きれいな水には人の心を落ちつかせる効能があります。赤や緑色の水草、宝石のように輝く魚達を見て気分を悪くする人はいないでしょう?(もっともピラニアや大ナマズあたりになると話は別ですが.........。)
私がこのように水槽が好きになって、これをやり始めたのは研修医時代に遡ります。
当時私は大学病院の外科に勤務していましたが、ローテーションで小児外科に廻ったとき、小児外科のチーフが魚好きでした。小児病棟の医師控え室に90cmの海水魚の水槽があり、時々患児を連れてきては見せて喜ばせていました。もう10数年も前のことで、時効となっていますから全部話しちゃいましょう。小児外科では、一人重症の患者さんが入ってくると大わらわなのですが、そういう子がいないと割と暇なのです。そんな時、そのチーフが「じゃあ行こうか!」と号令をかけると、勤務時間内でも車で熱帯魚屋さんに行ってしまうのです。そして気に入った魚、珊瑚やイソギンチャクがあると買ってきてその水槽に入れるのです。我々研修医は、誰でも一度は小児外科に配属されるのですが、結局50%の研修医がそのチーフの影響を受けて、自宅に水槽を買ってしまいます。私もその口でした。時には魚やイソギンチャクを買って、自宅の水槽に早く入れなければならないと云う理由で早退してしまうこともありました。初めはなけなしの小遣いで小さな水槽を買うのですが、段々大きな水槽にエスカレートしていきます。勤務医時代までは45cm、60cmの水槽で満足していましたが、開業して間もなく、患者さんにも見せてあげたいと思うようになり、待合室に180cmの巨大水槽を上下2段で作りました。なかなか好評だったのですが、手入れが結構大変でした。3週間に1回水換えをするのですが、バケツで水を運び、海水の素を溶かして海水を作ります。たまには天然海水を入れた方がよいと云うことで、車で三浦半島のとっさきまで行き、ポリタンクに海水を汲んでくることもありました。しかしそのうちに体にもガタが来て、半日かけて水換えをした翌日には腰痛に悩まされるようになりました。またサーモスタットの故障で、煮魚を作ってしまったこともありました。患者さんの目に触れる水槽ですから、やはり手入れをさぼる訳には行きません。
だいぶ水槽の手入れに疲れ始めていた頃、当院を改築する事になりました。今度ははじめっから、水槽の手入れが楽にできるように設計しました。しかし、海水はやはり水をバケツに入れて運ばざるを得ないのと、海水の塩分が周囲の家具や壁に悪影響を与えることを考慮し、遂に海水は断念!そこで前から浮気心を持っていた水草へ転身する事になりました。待合室のトイレを拡張したため、以前より余分なスペースが少なくなり、水槽を置くスペースについて建築業者とずいぶん喧嘩になりました。理想としては240cmの大水槽を置く計画を私なりに練っていたのですが、業者:「先生、どうも余裕がないんで、待合室に水槽を置くのは諦めてくれませんか?」院長:「冗談じゃねえ!水槽を置けないんだったらこの改築は中止だ!」こんなやりとりを繰り返し、私なりに妥協して出来上がったのが、今待合室にある150cmの水草水槽です。水草の場合は、水換えこそ週に1回やらなければならないのですが、水道を水槽のすぐ横に引いたので、水をバケツで運ぶ必要はなく、海水の素を溶かす手間もないので、小一時間で終わってしまいます。手入れもまあ気分転換と考えればそれほど苦にはなりません。現在の水槽も患者さんにはなかなか好評で、診療所に来るのをいやがるお子さんを「魚を見に行こう。」と騙すお母さんも結構いらっしゃるようです。水草は間近で見るより、少し下がって遠目に見る方が綺麗に見えます。水槽を眺めるなら、受付向かいの椅子の位置が特等席です。
こんなわけで、当院には自慢の水槽があります。水底を泳ぐコリドラスがなんとも愛嬌です。前述のチーフと仕事をしたことから、多趣味の上にまた一つ加わってしまいましたが、残念なことにそのチーフは最近、50代前半の若さで亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りしたいと思います。