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ジェネリック薬品


 僕はカウンターに座って食べるサクサクの天ぷらが大好きです。そして外食する機会の減った最近でも1軒だけ、それも最高に美味しい天ぷら屋さんの行きつけがあります。そこには時々家族、友人や当院のスタッフを連れて食べに行きます。その店は厳しい眼を持ったマスターが素材を厳選し、美味しい天ぷらを最高の技術をもって揚げ、そして熱々の揚げたてをカウンターで食べさせてくれます。僕にとって至福の時です。僕のクリニックのスタッフも時々連れて行って一緒に食C-Tempura1.jpgべますが、もちろんそんな時は院長のおごりです(クリニックの経費として接待交際費で落としますが)。

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 さて、例え話として聞いてください。クリニックのスタッフの女性3人を連れてそのお店に行くことにしましょう。たまたま今回はお店に払う金額の7割を院長が、残りの3割をスタッフの自腹で払ってもらう約束をしてその美味しい天ぷら屋さんへ行ったとしましょう(そんなことは決してないはずですが)。スタッフの彼女がお好みで車エビの天ぷらを食べたいと、マスターに注文しました。そこで院長がもしこう言ったら……?
「イヤイヤ、○○ちゃん、車エビとバナメイエビは同じ品質で味も同じだよ。それに今日の約束では君に3割を払ってもらうのだから、君が車エビではなくてバナメイエビの天ぷらを食べてくれれば君の支払いも300円くらいは少なくなるよ。だから車エビはやめなよ、バナメイエビの天ぷらにしなよ。」

 この僕のクリニックの女性スタッフはこんなことを言う院長のためにちゃんと仕事をしてくれるでしょうか? 恐らく彼女はこんな院長の下では仕事は出来ないと考えるのではないでしょうか? 僕の叔母は独身時代の寿司屋でのデートで「ウニは高いからやめよう。」と云った男をその一言から一発で振ったそうです。もっとも僕の好きなこの天ぷら屋さんにバナメイエビは置いていませんが。

 こんなことが実際にごくごく身近で行われているのです。いわゆるジェネリック薬品です。元々ジェネリックと言う耳当たりの良い言葉が使われ始めたのはここ数年くらいのことです。先発メーカーの特許期限が切れ、特許料を払わなくて良いメーカーが作って世に出すその薬を呼ぶものですが、その存在は僕が医者になった30年前からありました。もちろん30年前はジェネリックと言う言葉はなく`ゾロ`と言ういかにも馬鹿にしたような呼び方をしていました。元々Genericとは「ノーブランドの」、「商標なしの」と言う意味で、あまり英語として日本では馴染みがなかったように思います。僕は亡くなった父のクリニックを継承して現在に至りますが、亡くなった父の遺品である薬の在庫も相続しました。その中にももちろん`ゾロ`がありました。例えば肝庇護剤であるプロへパールと言う薬の`ゾロ`品、先発品のプロへパールをもし薬問屋に注文するなら恐らく1000錠単位くらいのところ、似ても似つかぬ名前の`ゾロ`品は1箱5000錠単位、しかも注文の時はそれを6箱以上ずつ、つまり注文するには最低3万錠からと言うシロモノでした。担当の卸問屋に注文すると当日、翌日ではなく数日経ってから業者が来て、でかい箱を持って駐車場と当院の薬品庫を2-3往復して納品していました。しかし仕入れ値は薬価の2割とか高くても3割くらい、院内処方だった当時の当院にとっては`ゾロ`の種類を増やせば増やすほど薬価差益が転がり込む計算でした。でも`ゾロ`を使うことは当院へ来てくれる患者さんを欺くような気がして、結局数年後には当院の`ゾロ`品をすべて一掃、先発品メーカーのものだけを扱うようにしました。開業して間もない平成一桁年の頃、自分の患者さんが他医からも処方を受けている場合には手を尽くしてその別の先生の処方を確認しました。そして時に…、「何だよ? △△先生は`ゾロ`ばっかり使っているのか?」などとがっかりしたものでした。今や当院は世の趨勢に習い院外処方とし、実際にジェネリックを在庫することはなし、つまりジェネリックを卸し問屋から買い入れることもなくなりました。しかし前述のバナメイエビのような話を保険支払基金が推奨し、国がそれを後押しし、更には一流の芸能人を使ってテレビCMを流し、更に個人個人にそれを推奨する手紙を送っているのが現状です。僕の発行する処方箋は、当方に連絡なく処方内容をジェネリックに変更して良い旨の印がつき、最近では処方を変更してはいけない場合だけ印をつけるようになってきました。段々ジェネリックに対する障壁が低くなり、更にはジェネリックの名前を処方箋に入れると我々が得られる処方料が高くなる、いや、むしろジェネリックの名前を入れないと処方料が安くなると云うしくみになってきました。
 確かに欧米ではジェネリック薬品が一般に浸透し、更に国や公の組織がそのジェネリック薬品の品質チェックを充分にしているようです。しかし日本では……? ジェネリック薬品がきちんと日本の公の機関からチェックを受けていると云う話は聞こえてきません。そんなポスターが役所に貼られていたのは見たことがありますが。一方でそのジェネリック薬品の中で、実際には全く同じものではないようなものが出回っていると云う話も耳にします。例えば薬を精製する最終段階に使う触媒、これをあまりコストのかからない他のものに替えてしまうと出来上がった製品の質なり力価(薬の強さ)が変化してしまうと云うことを聞いています。皮膚科領域で使われるある薬剤は、ジェネリック薬品では先発品に比べ力価が1/3くらいに減ってしまう、だからこの薬のジェネリックは使うなと云う話がもはや皮膚科医師の中では常識となっています。僕自身もこの皮膚科領域のこの薬剤をよく処方しますが、処方箋には先発品の名前を書いて患者さんに渡しますが、薬局でこの処方箋に対して先発品を渡すかジェネリック薬品を渡すかは薬局の薬剤師と患者さんの話し合いの中で決まります。僕がこれをジェネリック薬品に替えてはいけないと云う印を処方箋に記載すべきなのでしょうか? 大いに悩むところです。
 更にこの世の処方薬が全部ジェネリック薬品になってしまったら? ジェネリック薬品の製造メーカーは新薬の開発研究はしません。新薬を永い時間と手間とコストをかけて開発し、世に出すのは先発品メーカーです。ジェネリック薬品が横行すれば当然先発品メーカーへの収入は減ることになります。そして新薬の開発には手が回らなくなります。特許の切れる前の短い期間でその莫大な投資は回収できるのでしょうか? ましてや開発中に断念され、日の目を見ない新薬は山のようにあるのです。特に日本の製薬メーカーがそんな競争力をドンドン削がれていくような状況に陥れば、日本の処方薬は輸入に頼らざるを得なくなることでしょう。それは資源のない日本、ものを作ることでしか生きていくことが出来ない日本の利益になるでしょうか? こんなところにも舵取りが下手な日本の政治に対して大いに危機感を持っているところです。
 最近は先発品メーカーがジェネリックに移行されないように合剤をよく出します。カルシウム拮抗剤とアンギオテンシンレセプター阻害剤、アンギオテンシンレセプター阻害剤と利尿剤、カルシウム拮抗剤と抗コレステロール薬であるスタチンとの合剤、或いは違う作用機序の糖尿病治療薬、合剤には元の薬と似ても似つかぬ名称が与えられることも多々あり、その薬が何と何の合剤であるか? アンチョコを見ないと判らない程数が増えてきています。実際には用量の組み合わせに限界があり、微妙な調整が出来ずに不安定な患者さんには使い辛い側面もあります。
 僕自身は……? 僕もいくつか慢性疾患を抱えて服薬していますが、自分の処方薬をジェネリックに替えられるのは嫌です。やはり一流の薬を飲みたいと考えています。今の国や支払い側保険者のジェネリック推奨はあまりにも露骨で酷すぎます。ジェネリックは必ずしもキチンとした検証が行われていません。僅かな無作為抽出の検査だけです。僕の予言です、そう遠くない将来、ジェネリックの危うさが露呈します。そして先発品への回帰が必ず、必ず来ます。「やはり一流品を使おうよ。」と云うことに必ずなります!!