ここではパタヤ旅行の編集後記として書いてみます。今回も長旅だったので、その日その日ごとになるべく早めに記事を書き残しておきました。またずいぶん写真はたくさん撮りました。ノートパソコンをまた持って行き、写真を編集したり日記を書いたり、そしてもう既に現地でこんなTasteの頁を書き始めていました。海辺に行かないでホテルの部屋に閉じこもってパソコンに向うなんてもったいない、そんな気もしましたが、やはり僕の旅行の目的の中でホームページに記録を残すと云うのは重要な課題なのです。デジカメかノートパソコンが現地で使えなくなったら、旅行の魅力は半減、と云うよりも半分以下になってしまいます。
さてパタヤ、実は女房が僕と結婚する前に職場の旅行で行ったことがあるそうな。そしてすごく良いところで楽しめた と云うことは聞いていました。だから一緒に行こうよ と誘われたことも覚えていますが、それは結婚間もない頃、今回は僕から誘ってもものの見事に振られました。結局昨年と同じ、ビーチリゾートに一人旅。診療所のスタッフ皆が、誰かと一緒に行っているのだろうと疑っているようですが、僕は一人で充分、下手に連れがいたりしたらこんなリラックス出来る旅は出来ません。プールで寝っ転がるも、何処で何を食べるもの全く自由、誰に気兼ねするでもなく、お伺いを立てるでもなく、自由気侭な時間が僕にとっては何とも貴重なものなのです。楽しい街でした。街全体が毎日休日、毎日お祭り、そんな感じでした。やはりこの街はベトナム戦争に出向いたアメリカ兵が休息に来ていた街、そんな戦場から一時引き上げて来た兵隊さんが充電をした街、僕自身はそんな印象を持っていましたし、街自体もそんな雰囲気が未だに色濃く残っているような、そんな感じを持ちました。アメリカとタイは日本並みに仲が良い? 映画「ステルス」でも、3人のトップパイロットが休息に来たのは、パタヤではありませんでしたがタイのビーチ・リゾートでした。だから今回行った先でも西欧人が多く(アメリカの退役軍人かどうかは判断出来ませんが)、ちょっと僕には違和感がありました。当地の人間はそんな白人を特別な呼び方をしているようですし、むしろ僕のような東洋人は何となく現地の人間に近い、だから逆にそれ故現地に溶け込みやすいのか、或は浮いてしまうのか、どちらか判らないと云うのが現状でした。どうやら犯罪も結構多い? 治安は決して良くはないと後にも先にもそんな風に聞き及びました。
今回の旅行、確かに僕は大いに楽しめました。まず投宿したホテルは如何にもアメリカナイズされたハードロックカフェと同じ経営、スタッフもアメリカ人のようなノリで、宿泊客を喜ばせることに自らの喜びを感じるような、はたから見ていても好感の持てる、楽しくなるような雰囲気でした。とどのつまり、強い陽の光とプール、又はビーチがあれば僕はそれで満足ですが、それに加え安い物価、美味しい食べ物があれば更に満足、大いに人生の充電を楽しめました。それが例え寂しい一人旅でも、僕自身はそれが嬉しくてしょうがないのです。パタヤで一番大きいとされるこのホテルのプールには毎日のように出向きましたし、ビーチチェアに転がってiPodで好きな曲を聴くのは何にも代え難い至福の時です。幸い天気にも恵まれ、かなり日焼けしました。間違いなくストレスはずいぶん洗い落とせました。やはり熱帯の太陽は気持ち良い、今までバリ島やミンダナオ島でそんな陽の光を浴びてきましたが、本当に幸せを感じます。生きていて良かったと感じる瞬間、大いに堪能してきました。それともう一つ、今回良かったこと、レポートの中でも書きましたが、国際免許を持って、パタヤでビッグ・バイクを借りて市内を走り回りました。大きく世界が変わったような気がしました。実はバイクに乗るのは本当に久しぶり、自分自身がバイクを所有するのは大学時代のホンダ・モンキーが最後で、医者になってからしばらく同級生の250ccのオフロードバイクを通勤に使っていた時期がありましたが、恐らくはバイクにまたがるのはそれ以来? 勤務医時代、特に日赤に勤めている時は事故に遭って死んで行く16歳、17歳の若者を嫌と云うほど見てきましたから、4輪に乗るようになって、ましてやスピードの出る車に乗って以来バイクに乗りたいなんて云う気持ちはとうに消え去っていました。確かに高校時代、流行病いの如くバイクに乗りたい時期があって、更に暴走族全盛の時代、原付に乗っているだけで周囲から白い目で見られ(家の近所で幼稚園ぐらいのガキに「あっ、気違いだ!」と指差されたことがあります。きっと親がバイクに乗る奴はみんな気違いだと教えたのでしょう。もしかしたら、その親もガキも、今の僕にかかっている患者かも知れません)、やがてバイクへの熱は冷めて行きました。今回パタヤでバイクに乗るのも多少なりとも事故を起こすかも知れない一抹の不安があったことも確かですが、それ以上にあちらこちら走り回ったために得たものは大きかったような気がします。何さまパタヤは全部観た、と行って良いくらいのフットワークを手に入れることが出来ました。なまじ1300ccなんてでかいバイクを借りたために体力はずいぶん使い果たし、更に自分の体力の衰えを思い知りましたが、それこそ最近は550馬力のマニュアル車も体力的に持て余して来るような状況です。でもバイクを借りなかったら、これほどの充実感は得られなかったと思います。
パタヤでの食べ物、これは僕には全く問題ありません。特にパクチーは僕の好きなものの一つ、トム・ヤム・クン スープは昔から大好きですし、ビーフンのスープ麺は一体何杯食べたことか? また焼きそばや炒飯、そして屋台の焼き鳥は安くて美味しくて、粗食でも構わない僕にとってはこれまた天国でした。よく外米はまずいと云われます。昭和のある米不足の時に政府がケチって安い外米を輸入して日本国内に広まった間違った認識です。米を作る農家を保護するために国が高く米を買い取る、日本国民を守るために出来たシステムで、決していけないことだとは思いませんが、タイやフィリピン、ベトナムではやはり同じように美味しい米がもっと安く手に入るのです。何も米は日本人の専売特許ではありません。前回の旅行ではバンコックのホテルでものすごく美味しい3種類の緑と赤と白の米を食べました。むしろ炒飯ならベシャベシャする日本の米よりも適しているような気すらします。結構美味しかったですよ。独特の焼き鳥、それも砂肝焼きはまた何とも云えぬ美味しいものでした。
さてバンコックに移ってから。もうバンコックは少し慣れてきましたが、そろそろ飽きて来たと云うのが本音のところです。今回はたまたま前から泊まりたかったホテルで良い部屋がとれたので、それなりにホテルライフを楽しめましたが、やはりバンコックは移住には適さないところ、少なくも僕の選択の候補地からは洩れています。たまに遊びに来るならバンコックは良いところ、ショッピングもグルメも楽しめます。今回はタイ・シルクの店、ジム・トンプソンで診療所のスタッフ一同のお土産を買いました。家族にはそれぞれ数点ずつ、シャツや財布など、シルクのシャツもなかなか格安で手に入ります。それから自分のものもそこそこ買いました。少し使い過ぎたかも。
それと今回でBTS、つまりバンコック市内の高架線電車の乗り方はマスターしました。だいたい自分が行きたいところ(ショッピングセンターなど買い物をするところが殆ど)にはどの駅で降りれば良いか? 地図が頭に入りました。まだ地下鉄があるのですが、それは未だ頭には入っていません。さすがにパッポンの偽物にはもう食指が動かなくなりました。上海やマニラにもありますが、やはり本物を持とう、そんな気になっています。
今回、バンコックでははホテルの上層階がとれ(パタヤでは2階でがっかり)、夜景を多いに楽しみました。前々回のシェラトンホテル、前回のパン・パシフィックホテルではあまり夜景は楽しめませんでしたが、今回のペニンシュラでは最高のロケーションを得られました。バンコックの夜景独り占め、ちょっと一人というのはもったいなかったかも。やはりこの街は大都会であることが再認識出来ました。もうしばらくはタイは来ないかな? 今後行きたいところはまだまだたくさんあるので、また改めてタイに来るのはだいぶ先になりそう。でもパタヤには少し名残惜しい部分があります。
パタヤは移住するに叶う地であるかどうか? 答えは残念ながらNo、ちょっとここにいては心は休まりません。この雑踏、喧噪、そして西欧人の多さ、移住地はもうちょっと静かなところが良い。たまに遊びに来るなら楽しいところ、でも住むところではない、これが僕の結論です。