これから指をつめますんで宜しくお願いします
まだ研修医に毛の生えたような頃、大学病院の給料(当時で目一杯当直、臨時当直をして10万円くらい)では到底食っていけないので、我々は一般病院にアルバイトに出ます。ある日、土日の泊まりのバイト病院でこんなことがありました。
夜9時頃、事務室から電話で、「電話での問い合わせなんですが、先生に直接お話してお願いしたいことがあるそうです。」とのことでした。電話を繋いでもらうと非常に丁寧な口調で「先生でいらっしゃいますか? 夜分に誠に申し訳ないんですが、実はこれからある男の指をつめますんで、あとの処置をお願いできるでしょうか?」「...............。」しばしの沈黙の後私は「どうぞ、いらして下さい。」と云ってしまいました。直後に看護婦さん達に「受けちゃったんだけど、よかったかなあ?」と聞いたところ、「いいんですよ、うちではよくあることなんです。」と云って手際よく処置の準備を始めていました。20分位経ったでしょうか。輪ゴムで指の根本をしっかり縛って止血し、その先っぽがない50歳位の男性の患者さんが来院しました。まず本人の第一声、「先生、夜分に誠に申し訳ありません。宜しくお願いいたします。」「いえいえ、これが私の仕事ですから。」そんな会話を交わしながら、処置を始めました。
指をつめた場合の処置は、断端がまっすぐに切れていますから、傷口を包む皮膚に余裕がありません。結局、麻酔をしたあと骨を器械で削って、指を短くして、余った皮膚で包み込むように縫うわけです。ところがこの患者さん、同じ指をつめるのが今回で3回目だそうで、もう指が殆ど残ってないんです。やっとの思いで掌ギリギリのところで傷を塞ぐことが出来ました。「落とした部分を持ってきてくれれば、それを使うことが出来たんですけどねえ。」と私が云うと、あれは親分に献上するから持って来るれないんですという返事でした。月1回しか来ないバイト病院ですからこの患者さんと顔を合わせることもないだろうし、それではいついつこちらの病院の外来に来て下さいと話してお帰りいただきました。もちろん指をつめる人ですから、まぁ恐い人なんだろうと気構えていたため、患者さんが帰ってからどっと冷や汗と疲労感が出てきました。しかし、約1時間かけて処置をしましたが、なんとなく仕事を終えたとき、良い患者さんだったな、来てもらって良かったなという気分でした。ここまでは愚痴ではないんです。これからです。
この患者さんを処置する間、当然指を切り落としているわけですから、ものすごい激痛があるはずです。傷をいじっても、麻酔の注射をしてもこの患者さんは痛いの一言もおっしゃいません。また私との会話も全く丁寧なしゃべり方でしたし、非常に礼儀正しい患者さんでした。まあハッキリ云って指をつめる立場に追い込まれる人ですから、その筋の人でしょう。愚痴はこれからです。
この人に比べてその筋ではない人なのに礼儀正しくない人が多々います。確かに最近医者の権威なんて地に落ちました。権威なんて威張れることは何もないんですが..........。水商売や風俗関係の女性達に一番嫌われる客は、金を払っているんだから何をしてもいいという態度をとる人だと何かに書いてありました。医者だって同じです。お互いに相手の立場を思いやる、人と人との関係の基本だと思いますが、今現在こんな気持ちの崩壊がどんどん進んでいるように思えてなりません。特に個人的に親しい友人のような患者さんを除いて、私は年齢に関係なく敬語を使って日常の診療をしています。しかし、言葉使いひとつを聞いても、こいつ、まともじゃないなと思わざるを得ない人が、年齢に関係なく見受けられます。こんなこともありました。大学受験生は2年浪人すると受験に際して診断書が必要なようです。ある浪人生について8枚もの診断書を書かされました。それも今この場で受け取って帰りたいとのことでした。当院では診断書を二千~三千円で書いていますが、同じ内容なので最初の一枚は二千円で、あとは五百円でいいですよと彼に云いました。私自身二年浪人しているので、彼にエールを送ったつもりだったのですが...........。しかし、帰ってきた言葉は「紙切れ1枚で五百円かよ? 医者っていい商売だな。」しばし唖然とした私は、「五百円で診断書を書くことなんてないんだよ! 君に僕と同じ二浪ということでサービスしたつもりなんだけどね。」と言い返しましたが通じたかどうか? 彼は大学に入れたのでしょうか?