告発!
ちょっとすごい題名にしてしまいました。私も医者になって18年、今でこそお山の大将になり偉そうなことを云っていますが、ご多分に漏れず、安い給料でこき使われた研修医時代があります。医者の世界は閉鎖的、そして上司には絶対服従。しかし、その上司が必ずしも的確な判断や行動をしてくれるとは限りません。そんな中で苦しむ研修医も多いはず、そして私自身も今から十数年前に苦しんだことが多々ありました。そこでもう全て時効を過ぎたと判断して、こんなことで苦しめられたと憎しみを込めて(と云うほど大袈裟ではありませんが)告発をしたいと思います。まあ、笑えない話もないわけではないのですが、当時の患者さんに知られるとまずいようなことは差し控えさせていただきます。こんなこともあったと昔を思い出すように順不同で書き並べました。まあ聞いてください。
Episode one)
ある夏の私が当直の夜、産婦人科の分娩室から電話で呼び出されました。「今生まれた赤ちゃんなのですが。」と云うナースの声。私は消化器外科医であって小児外科医ではありません。病名は控えさせていただきますが、その赤ちゃんは未熟児で、しかも直ちに手術が必要な状態でした。これは直ちに小児外科の先生を呼んで手術をしなければなりません。しかし、小児外科の担当の先生は夏休みを取っていました。夏休みとは云ってもそんなことは云っておられず、その先生の自宅に夜中電話をかけました。その先生の奥様が出て、今先生は山へ泊まりに行かれているとのこと。そしてその先生が宿泊していると云うペンションの電話番号を奥様から聞き、戻って来られないにしても指示を仰ごうとそのペンションに電話をしました。ペンションの人が出て私は「○○先生と云う方が宿泊しているのですが、ちょっと緊急でお話がしたいのですが。」とお願いしました。返事は予想外のものでした。「そんな方は宿泊していらっしゃっていませんが.......。」奥様から聞いたペンションの名前は一致しています。「..........。分かりました、ありがとうございました。」と云って電話を切りました。結局その赤ちゃんは私と私の上司(消化器外科の先生)とで夜中に緊急手術をして無事に事なきを得ました。そして後に聞いた話ですが、その子は何のハンデキャップもなく小学生になって元気でやっていると云う話を私が開業してから聞きました。(△△先生、何処へ行っていたの?)実名書いてやろうか?
Episode two)
外科病棟には必ず末期癌の患者さんが入院しています。なすすべもなく、苦痛を取り除くための治療に専念せざるを得ません。時にそんな患者さんは急変をします。突然血圧が下がり、呼吸が止まってしまうことがあります。私がそれこそ医者になって数週間目のこと、受け持ちだった胃癌末期の患者さんが突然血圧下降を来しました。当時は今ほどQOLや尊厳死のことは話題にされず、とりあえず様々な処置をして生き長らえさせるような治療が殆どでした。今、私がこの知識をもってその患者さんに対処するならば、急速に補液をして脱水状態を改善させ、それでなおかつ血圧を維持するための昇圧剤を注射すべきでした。しかしその時はそんな知識もなく、また上司が不在だったため、病棟にいた別の先輩医師に助けを求めました。その先生は直ちに昇圧剤を注射しましたが、脱水を補正しないまま心臓を引っぱたくような薬を注射したもので心臓は空廻り、ますます患者さんの状態は悪くなりました。この患者さんも一時は状態を持ち直し、とりあえずその時は事なきを得ました。しかしその時不在だった私の直属の上司に後で怒られました。何故その先輩の先生がやる注射を止めなかったのか? と。その時用いられたのがカルニゲンと云う昇圧剤でしたが、病院勤めを始めて未だオリエンテーションの最中、こんな患者をどうすれば良いのかはおろか、カルニゲンが何かも知らない時でした。かたや助けてくれた先輩の先生は10年選手、私が止められる訳がありません。そうな風に怒られても「済みませんでした。」と云うしかなかったのです。ザケンナヨナ!
Episode three)
今でこそ輸血用の血小板は2~3日の有効期限があり、出血傾向があったり、肝硬変の患者さんの手術の際には術前から相応の出血に備え、輸血用の血小板を用意しておくことが出来ます。しかし私の研修医時代はまだその保存するための技術がなく、血小板輸血をするには当日献血された血液から抽出し、夕方にしか手に入りませんでした。ある肝硬変患者の胃静脈瘤の手術があり、私は術後にICUに入った患者さんに血小板を入れるべく準備をしておきました(夕方にしか輸血出来ないのです)。ところが朝から始まったその手術は出血量が3800ccにも及び、術後の回復にだいぶ時間がかかりました。後日その執刀をした私の上司から云われました。「お前が血小板を準備しておかないからあんなに出血してしまった。」と。その上司は血小板が夕方にしか手に入らず、前日から取っておくと効果がなくなることを知らないのです。それでも「済みません。」としか云いようがなかったのです。数年後、私は別の病院で全く同じ手術に入りました。当時の出血量を思い出し、私はこの二人目の患者に対しては4リッターの新鮮血を準備しました。しかしこの手術では出血量が少なくて輸血は不要となり、4リッターの新鮮血は廃棄になりました(保存血は次の手術に使えますが、新鮮血は使えません)。この手術はやりようによってはそんな少ない出血量で済むのです。輸血を必要としない手術に新鮮血を4リッターも依頼したと云うことで私は血液センターからお叱りを受けました。何でも下っ端のせいになるんですよ。
Episode four)
手術中の輸血に関する管理は麻酔科医に委ねられます。通常手術中に出た出血量の8割くらいを輸血するのが普通で、決して出血量と同じ量を入れるものではありません。私が麻酔科に研修で廻っているとき、他の大学からやはり研修で来られている先生がいらっしゃいました。この先生は他大学で10年外科医をやってきた先生で、いろいろ教わることもあり、仲良くなりました。ある外科の私の先輩(外科医5年生)が執刀する手術、その10年目の先生が麻酔をかけました。そして規定通りの輸血を行い手術は無事に終わりました。しかし翌日になって外科の先輩(5年生)が担当の麻酔科の先生(10年生)に輸血が多すぎたのではないかともの凄い剣幕で怒鳴りまくっていました。輸血量は決して多すぎるものではなかったはずです。後でその10年生の先生から「あいつは5年目か? そうか、一番自分が何でも出来るって自惚れる時期だからなぁ。」と云われていました。敢えて私は自分の直属の先輩である5年生に、怒鳴った相手が自分より5年もキャリアが上であることを話しませんでしたが、後日「あの先生、10年目なんだって?」って尋ねられました。私は「そうですよ。」と一言だけお話ししました。非常に気まずそうな顔をしていましたが、その10年生が私に「あいつ、路上で会ったらぶん殴ってやる!」って云っていたことは話しませんでした。教えてやりゃ良かったかな?
Episode five)
B型肝炎、それもHBe抗原陽性の患者さんの手術は何ともイヤなものです。非常に感染力が強く、患者さんの血液から医師が感染してしまうことがままあります。こんな時は心して手術に入るものです。そして私が上司と一緒に入った手術でやはりHBe抗原陽性の患者さんがいました。自分では充分に気を付けていたのですが、その上司が手を滑らせて掴んでいた嚢庖が潰れ、血液が飛んで私の顔に引っかかりました。血液の一部は私の目に入り、ナースがガーゼで私の顔の血液を拭いてくれました。焦りまくる私に上司が一言、「そんな程度ではうつりゃしないから焦るなよ。」って。そのまま何事もなく手術は続行されました。そして手術の終盤、今度はその上司が自ら注射針で自分の指を刺してしまいました。さすがその先生は取り乱した様子はありませんでしたが、手術が終わって私が片づけをしているときにナースがその上司に注射をしているところを偶然見かけました。その注射はB型肝炎感染防止のガンマー・グロブリンでした。もちろん私にはしてくれません。因みに私は今でもB型肝炎陰性です。私の方がはるかに若いのですが。
Episode six)
これは私の大学ではなく、外の大学での出来事を聞いた話です。世の患者さんには教授に手術していただくことをありがたがる人がいらっしゃっるようです。経験的にも手術とは現役で毎日やっている人が巧いもの、つまり大学病院では講師クラスの先生が一番巧いものなのです。大学では教授ともなると目は老眼でダメになるし、体力も弱ってきて、しかも他の医局や大学に関する仕事に忙殺され、あまり手術に入らなくなる人が多いものです。しかし教授に手術をしてもらうには特別に御礼をしなければならないことも多々あるとのこと。またそのような偉い先生は手術の大事な部分を終えると「後は頼む。」と云って手術を降りてしまうことも多いのです。ある大学ではその教授が吻合(胃や腸の切り取った部分同士を縫って繋ぐこと)を終えると、やはり手を下ろして出ていくそうです。教授が出ていった後、残った先生達が「それ~!」って云ってその教授の吻合を全てほどき、もう一度やり直しするんだそうです。
Episode seven)
これももう一つ、他の大学で聞いた話。どこの大学でも週に1回、病棟の教授回診があります。教授は患者さんに具合を聞いて、聴診器を当て、目の前で主治医がカルテを見せながら廻ります。その病棟の全ての患者さんについて回診前にカンファレンスルームで教授に経過を報告します。私も週に1回緊張する時間ではありました。ある大学で医局の誰かが悪戯をして、教授の聴診器のチューブの中にティッシュペーパーを丸めて突っ込み、聴診器が聞こえない状態にして渡したのだそうです。その教授は全ての患者さんに聴診器を当て、何事もなく回診は終わったそうです。
Episode eight)
これは他大学卒業の私の上司から聞いた話。その上司が未だ若く研修医を終えて間もなくのこと、出張に出ていた病院で胆石の手術がありました。その病院の院長が執刀で、その若き上司が助手、お腹を開けて胆嚢を診てみると、何故か石がない。結局お腹を開けただけで中には何も操作をせずにお腹を閉めて帰ってきたそうです。上司はその院長がどのように患者さんの家族に話をするのかを注目して聞いていました。院長曰く「胆嚢を取らなければならないほど悪くはなかった。」と。それで家族は納得していたそうです。
Episode nine)
現在では予防的に使う抗生剤を注射する際には耐性菌を作らないためにも、初めからあまり強い抗生剤を使わないのが原則です。しかし私が勤務医時代の頃には未だ耐性菌なんてものがあまり話題にならず、なるべく強力な抗生剤を使った方が安心できると云う認識でした。しかし私のいた病院にはことさら抗生剤の使用法にうるさい先生がいて、カンファレンスの時に抗生剤の使い方についていろいろ文句を云われたものです。当時はセファロスポリン系の第3世代と云われる抗生剤が広く使われていました。第2世代、第1世代でも大丈夫だろうと思われる症例でも。ある時、私の同僚が外傷で入って来られた患者さんに第3世代の抗生剤を使っていたので、例によって朝のカンファレンス時にその先生から怒られました。「何故お前は外傷の患者に第3世代を使うんだ?」と。すると彼は答えました。「救急外来で慌てていた上司の○○先生が、手袋をしないで素手で静脈カテーテルを入れたからです。」
Episode ten)
私がアルバイトで夜の救急病院に当直で行った時の話。受付から当直室に電話がかかり、医師を出してほしいとの外線がかかっているとのこと。外線につないでもらい、私がその患者さん?と話をしました。どうも話を聞いてみると、昼間の外来で診察した医師の態度が気に入らないと云うクレームの電話。事前に病院の職員から「この人は右翼のボスだから逆らうな。」との話を聞きました。私は冷や汗ダラ~リ。昼間の当番表を見ると、その人を昼間に診察したのは私の同級生。まあ、私は怒鳴られるままに「それはごもっとも。」と相槌を打つのみ。「俺達は日本のために戦っているんだ!!何なら今から(午後11時頃)宣伝カーでお前の病院の廻りに凱旋してやろうか?」とまくし立てます。友人思いの私は自分が夜だけの当直で昼間の先生は全く知らないとしらを切り通しました。何とか相手をなだめて電話を切り、宣伝カー(街宣車)は来なくて済みました。翌日、大学病院でその同級生に文句を垂れたのは云うまでもありません。感謝しろよな、俺がゲロっていれば今ごろお前は東京湾の海底か?
まあ、10ヶのエピソードを書き並べましたが、その気になればまだまだいくらでもあります。でもあんまり暴露しちゃうとちょっとまずそうなので、この辺で止めておきます。これらの話はよく酒の肴に使うのですが、親しい学校の先生から「お医者さんのそんな話を聞くのが大好きなんです。」なんて云われたこともあります。やはり笑うに笑えない話があるのも事実。今回は笑って見逃してやって下さい。