Second opinionの本音
1年以上前にsecond opinionについてGrumbleに書きました。その後もそんな場面に私は何回も遭遇しています。特に最近多いのは、私が初診で診察してその状況を説明すると、患者さんから「実は数日前他の医院で診てもらったんですけれどねぇ。」と。ひねくれた性格の私は「ボクを試した?」なんて考えることもあります。前の先生と診断(と云うより意見)が一致する場合と、真っ向から相反する場合と。更に私自身も私以外の医師からsecond opinionを求めたいと云われる場面が時々あるようになってきました。特にそれを止めることは絶対にありませんが、私自身、自分が巧く行っていると考える診療の中で紹介状を書いてくれと請求された場合には「ご自分でその医師にあなたの病状をよく説明してください。」と云って別れます。もともと、私自身が今の患者さんに対する診療が思うように行かないような場合は、電話でより専門分野の親しい医師に相談したり、紹介状(医療情報提供書)を書いて「この先生に一度診てもらって、意見を聞きたいと思います。」と私自ら患者さんに診察を受けて行ってもらうこともあります。だから私自身からsecond opinionを求める行為もしている訳です。最近ある患者さんが、漢方だけで治したいと私のところに初診で来られ、2ヶ月ほど通われました。2週間毎の再来の度に僅かながら症状が改善している旨本人から聞いていましたが、私自身はこの人の疾患は漢方ではなく、西洋薬を使えばもっと劇的に良くなると考えていたのでジレンマがありました。しかしある日突然second opinionを求めるので資料をよこせと請求され、私は求められるものを渡しましたが、結局そちらの医師に診てもらうと云う結論でした。その先生の診断は何だったのですか? と云う質問に対して聞いた答えは、それはこの人の訴えた症状を説明出来るものではありませんでした。何でも保険が利かない医師だとか? もちろん私はそれも止めようとは思いませんが、私自身が手を縛られながらも(漢方薬しか使わせてもらえない)やった診療で、僅かながらでも本人が少しずつ良くなっていると云われていた矢先の突然の出来事で、正直なところ憤懣やるかたないと云うのが私の気持ちです。
今やsecond opinionを求めるのはアメリカでは全く当たり前(またアメリカとの比較になってしまいますが)のこと、また私自身も尊敬している先輩医師から”今や日本でも積極的にsecond opinionを求める患者に対して情報を開示していく医師がステータスが高いと考えられるようになった”と云われたことがあります。実は最近ごくごく身内でもう手の着けようのない悪性腫瘍で、私が彼より次から次へとsecond opinionを求められたことがありました。もちろん一流の病院に入院し、その主治医と私と何回も個室で顔を合わせ、患者も交えて時間をかけて、本当に詳しい説明を受けました。正直なところ、十数年前にそんな悪性腫瘍の患者ばかり扱っていた私をしても”先行きが見えている患者本人にそこまで全てを話してしまうのか?”と思わしめるほど包み隠さず、ありとあらゆるこれから起きる可能性のあることを話していました。その中には本人にとって良い材料、楽観できるものは殆どないと云う状態でした。そしてその病院で出来るであろう事を全てやり終えた時点で、他の病院で他の治療をするにも自分達が全ての資料を提供する旨話がありました。これがsecond opinion? 患者によっては見放されたと云う気持ちにもなりうる言葉です。しかしそれだけ詳しい説明をしてくれる主治医に対して、特にその主治医にはいつでもsecond opinionを求めるために今入院をしている病院から気軽に出ていける雰囲気がありました。正にその主治医の人柄、結局彼はその主治医に全てを託し、そして亡くなりました。私自身も彼が望んだ病院で、しかも素晴らしい主治医に当たったことを感謝し、彼の葬儀が終わって気分的にも少し落ち着いた頃、その主治医に御礼の電話をしました。その主治医も身内に医師である私がいて、非常に難しい話が家族にうまく伝わる橋渡しをしてくれたと感謝してくれました。でも私自身は彼に何の役に立つことも出来なかったのは結果が物語っています。我々の仕事は結果が全てですから。
だから、敢えて批判を恐れずに私の考えを述べるなら、全ての人がsecond opinionを求めることに対しては反対です。second opinionを求めるべきケースがあることも確かですが、先進国アメリカを追随して全ての患者さんが他の医師にsecond opinionを求めるのならば、保険医療の体系を根本から見直さなければならないと考えます。只でさえ医療財政は逼迫し、道理の通らない改悪がなされているなか、医療費が倍になるやり方がまかり通るはずがありません。カルテを中央のサーバーに置いて、サテライトたる我々医師がサーバーにアクセスしてカルテを書き込む、そんな構想も進んでいるようですが、それが完成するのにあと何十年かかることやら。過日昔の医学部時代の同級生が私のホームページを見て、私の家に来たことがあります。彼は保険医療を外して自らsecond opinionを提供するクリニックを開きたいと、それも最新鋭の診断のための機械と技術を使って。素晴らしい発案ではありますが、現状でどれだけの患者が集まるか、保険外診療で彼が食っていけるどうかは疑問であることを話しました。むしろsecond opinionを積極的に考える人から見れば、私の考え方は保守的で古いと思われるかも知れません。しかし現実を見据える必要はあると思います。second opinionが気軽に求められる土壌はまだまだ日本には出来上がっていないと考えるからです。