Dr.Takのトラウマ
トラウマと云う言葉、最近でこそ市民権を得、一般の人にも認知されるようになってきました。もともと医学用語でTraumaとは外傷のこと、身体的な怪我のことを指します。私が救命救急センターに勤めている時に着ていたユニホームには「Shock &Trauma」と胸に書いてありました。しかしその後Traumaとは心の傷をも指すようになったようです。子供時代のトラウマなんて言い方で使われるようになりました。私もそんなトラウマ、たくさんありますよ。仲の良かった従姉妹が飛行機事故で死亡したのも大きなTraumaですし、触られたくないこともたくさんあります。私が時間に正確であることを自分にも他人にも求めるのはかつてのTraumaに起因するところがあります。実はもう忘れかけていたことなのですが(治りつつあった傷?)、先日電車の切符を買うときに券売機のエラーがあり、昔の大きなTraumaを思い出しました。
私の家はJRの駅と京王線の駅のちょうど中間、良く買い物や飲みに行く新宿に出るにはどちらの電車を使っても行けます。しかし京王線の方が安い、早い(特急、準急が多い)ため京王線の駅に出ることが多いものです。しかしバスでもタクシーでも先に来た方に乗り、それでどちら経由かが決まることもままあります。この日は雨が降り始め、JR駅へ向かうタクシーが先に来ました。そしてJR駅へ。新宿駅まで380円、私はタクシーを降りてすぐにポケットから380円を揃え、そのまま券売機に流し込みました。しかしどうやらコインが引っかかったよう、150円の表示が出て380円のボタンを押しても「金額が不足しています。」のアナウンスが流れるだけ。やむなく取り消しのボタンを押しました。すると戻ってきたのは150円だけ? 残りの230円は? 確かに380円入れたはずなのに? 自分の行動に自信も失せてきました。もしかして150円しか入れていない? いいや、そんなはずはないだろう........。駅員を呼び出すボタンを押しました。券売機の横の窓が開いて若い駅員が顔を出します。その瞬間、大昔の私の大きなTraumaが鮮明に蘇りました。私はその駅員に事情を説明しました。「いや~、困ったな。実は入れたお金が引っかかったらしくて取り消しボタンを押しても入れたお金が全部は帰ってこないんですよ。信じてもらえないかも知れないけれど........。」 いぶかしげに私の顔を見る駅員に少し間を置いてから云いました。「間違いなく新宿までの380円を入れたはずなんだけれど、機械の中に引っかかっていませんか? 取り消しボタンを押してしまって僕が380円入れたって証拠はないんだけれど.......。」と。暫し裏側から機械をいじっていたその駅員が突然「ああ、すみません、お金が引っかかっていました。」と云って私にコインを手渡します。結局380円を回収できました。「じゃあ僕への疑いは晴れましたね?」 そう尋ねる私にその駅員は「申し訳ありません、この機械は良く調べますから他の機械で切符を買っていただけますか? 本当に申し訳ありません。」 と云うことで一件落着しました。
そこで私のトラウマとは......? そう、同じような状況で入れたはずのコインが消え、私がうそつき呼ばわりされたことがあるのです。正確な年齢は忘れましたが、確か小学校の低学年時代だったはずです。今でこそあまり見かけなくなりましたが、デパートの屋上や最上階にはゲームセンターがよくありました。私もよく昔はそんな遊び場に出入りしていました。恐らくは同級生よりは小遣いが多かった私、結構頻繁にそんな良からぬ処に出入りしていました。そして当時はもちろんテレビゲームなどはなく、鉄の玉を打ち込んで横のボタンを押しながらボールを跳ね返して点数を上げていくフリッパーと云うゲーム、最近で云うところのピンボールマシンです。良くこれをやっていました。当時1回のゲーム代が20円、そして50円玉を入れると3回出来るようになっていました。その日初めてやるお気に入りのゲーム機に私は50円玉を入れました。しかしこのコインが引っかかったようでした。通常なら50円玉を入れるとゲームが3回出来るようにカウンターの数字が上がるところ、うんともすんとも云わない。コインの返却ボタンを押しても何も反応しない。やむなく私はそのゲーム機を離れ、係員のいるボックスまで行ってコインを入れた旨話しました。顔は憶えていませんが、まだ若い女性、今にして思えば20代前半くらいの女性でした。彼女は機械を操作してカウンターの数字を1上げて「どうぞ。」と云う仕草をしました。しかし私が入れたのは50円、カウンターは3にしてくれないと困ります。50円玉を入れた旨話すと彼女は機械の中のコインが貯まる箱を確認しました。しかしそこには10円玉しか入っていなかったのです。間違いなく50円玉を入れた旨抗議する小学校低学年の私に彼女は「箱の中に50円玉がないのにどうして信用出来るのよ!!」と大声で怒鳴りました。間違いなく私は50円玉を入れたのです。当時の私にはどうして入れたはずの50円玉がないのかが理解出来ませんでした。今にして思えば私がゲーム機を離れた隙に他の金のないガキが返却ボタンをガチャガチャ押して運良く私の50円玉が返却口に戻り、そのまま持ち去ったのでしょう。しかし真実を訴えたことを頭から否定され、大勢の人の前で大声で怒鳴られた私は大いに傷つきました。それ以来そのデパートに行かなくなったのは云うまでもありません。別に隠す必要はないので書いてしまいます。西友ストアです。今はとっくに閉鎖され、現在では建物すら残っていません。当時のあの女性、顔は憶えていませんが、今生きていればもう60歳くらいになっているはず、恐らく子供も一人前になっているのでしょうけれど、心ない彼女の言葉が鼻を垂らした小学生をどれだけ傷つけたか知る由もないでしょう。気分的に立ち直るのに数日かかったことを今でも覚えています。
それから数年後、私が高校生の時、やはりゲームセンターで一悶着ありました。今度は学校の帰り、私はゲームをするためにゲームセンターのスタッフに両替をしてもらいました。1万円札を1000円札10枚に換えてもらうつもりでした。私は高校生時代にも1万円くらい持ち歩いていました。決して良いことではないでしょうけれど。これもやはり20代半ばの女性、この人はなかなかの美人で未だに朧気に当時の顔を憶えています。両替のお金を受け取った瞬間に私は彼女に云いました。「1万円渡したはずだけれど。」 帰ってきた1000円札は5枚しかありません。受け取ったのは5千円札だった、彼女と押し問答になりました。やがて彼女の上司らしき中年の男も来ました。たった今両替したばかりなのに、それを検証するすべはないようでした。キャッシャーの中にいくら入っていたかの管理もなされていないようでした。その上司はやんわりと高校生の私に私の勘違いであろう云いくるめようとします。私は絶対に引き下がりませんでした。間違いなく1万円だった(はずです.......。)と。私は喰い下がり、結局あと5千円をせしめました、と云うよりもともと私のお金ですから。この女性とは後日談があります。偶然にも私の家の近くのバスの中でこの女性とバッティングし、聞くところでは私の家のすぐ近くに住んでいるとのこと、更には彼女が開業医である私の父の患者であることを知りました。バスの中では数週間前に起きたことが自分のミスであったことを彼女が制服を着ている高校生である私に深々と頭を下げて謝りましたが、それが真実なのか、私の父の患者であるが故なのかは分かりませんでした。別に今回のことを父に話してもらっても構わない旨私は意地を張りましたが、決して彼女はそんなことはしないようでした。お金にまつわること、何とも後味の悪いことですが、偶然駅の券売機でコインが引っかかったことでこんな過去のTraumaを思い出しました。Traumaをテーマにしたらいくらでも続編が書けそうですが、また気が向けば書こうかと思います。