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法制化された安楽死


 オランダで安楽死が法律で認められることになりそうです。これはものすごく大きな出来事だと思います。人には勿論生きる権利があります。そして死ぬ権利はあるのでしょうか? 正にオランダはその”死ぬ権利”を認めたことになります。もう手の施しようのない不治の病、あとは苦しむことだけが残っているとしたら、皆さんはどう考えますか? リビング・ウィルのところで書きましたが、苦痛を取るために麻薬を使い、それが死期を早める結果になっても構わないと。この意味と安楽死、勿論違いますが、よくよく考えてみると共通点があるように思えてなりません。私自身、勤務医時代に受け持っている患者さんから「先生、もういいよ。」って云われたこともあります。未だ若かった私は、精一杯その人を命を長らえるべく努力をしたのですが、それは単に患者さんの苦しむ時間を延ばしていただけなのでしょうか?

 日本でも医師によって安楽死が実行に移されたことがあります。数年前、某大学病院で多発性骨髄腫の末期の患者さんに、家族から頼まれた医師が大量の塩化カリウムを注射し、患者さんは死亡しました。この医師は殺人罪で告発されました(告訴ではなかったと思います)。大量の塩化カリウムを静脈内に注射すれば、心臓が停止することは、医師であれば誰でも知っている周知の事実です。この医師もずいぶん悩み、実行し、そしてその後も悩んだことでしょう。結局安楽死を依頼したはずの遺族もこの医師をかばうような発言はせず(恐らく弁護士から止められたのでしょう?)、殺人罪で起訴されました。でもこの先生はテレビで裁判所に入るところを写されていましたが、拳をギュッと握り、廻りの人を見つめていました。なんとなくそのテレビを見ていた私には、その先生からのメッセージが伝わってきたような気がしていました。「俺は患者のためにやったんだ。」と云いたかったのではないでしょうか? まだその時はそんな行為は決して認められません。私自身もこのような状況にニアミスしたことがあります。私は断りました。やっぱり出来ませんよ..........。

 末期医療の現場では、本当に患者さん本人が安楽死を望むことがあるんです。そんな患者さんを見るにつけ、もし自分自身がその立場だったらと考えたことが何回もあります。私は医師ですから、自分でそれを実行することは可能です。本当に痛くて苦しければ、自分自身に対しては、実行しないと断言は出来ないと思います。自分でどんな薬を使えば一番楽か? なんて考えたこともあります。多分医師であるならば、誰もが一度はそんなことを考えたことがきっとあるでしょう。

 数年経って、日本でもこのような考え方が出てくるのでしょうか?恐らく議論はなされると思います。もし仮に日本でも安楽死が法律的に認められ、自宅の畳の上で死にたいと患者さんが 希望するのであれば、その注射をするのが私であると云うケースもあり得るかと思います。今現在の私の心境ではそれは無理でしょう。でも、社会の風潮が変わり、私自身の考えもそれに感化されたら、あるいはなんてことも考えてしまいます。オランダが安楽死を完全に合法的と認めるようになると、必ずアメリカでこのことが議論されると思います。そして、日本は20年遅れてアメリカに追随します。そうすると今から20数年後。私はまだそのころ生きていれば、まだ医者をやっているでしょうね。もしかして、安楽死をするためにオランダに行く、なんて人も出てくるのではないでしょうか? これから長い、そして多くの議論がなされることと思います。