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老後は?

 私が今の仕事を続けていられるであろう残りの時間は恐らく20年くらい? 最近老後どうしようか? と考えるようになってきました。今でこそ普通に仕事をして、少々仕事でも遊びでも身体に無理を強いても翌日は仕事ができますが、これから段々無理が利かなくなってくるはず。今老後の年金の積み立てなどが盛んに宣伝されていますが、今から20年後の保証を誰がしてくれるのでしょうか? 現に今受け取れるはずの年金が、支給年齢が引き上げられ、支給額では当初の約束を反故にされ、途方に暮れている人達がたくさんいます。現状より良くなる保証は何処にもありません。ましてや60歳で退職後から支給年齢になる65歳までの5年間の空白期間、それを埋めるべく政府はシルバーなんとかと称してこの年齢の人達を雇用する企業に対して僅かな餌を蒔き一時を凌いでいますが、こんな姑息的なやり方がいつまで続くのか? 今我々の最も不安なことは老後の生活であることが様々なメディアで報道されています。もちろん、私もその例外ではありません。

 過日ある知人と飲みながらそんなことも話しました。彼は英語も堪能でしょっちゅう海外に出張、英語圏でバリバリ仕事をし、欧米人と対等に渡り合い、日本と海外との違いを充分身にしみて理解している様子でした。彼曰く、日本で老後は過ごせないと。老後は具体的にアメリカのどこどこに定住し、こんな仕事を細々としながら生きていくと云う人生設計が出来ていました。私より僅か7歳年上の人ですが。彼も私に薦めてくれました。オーストラリア、東南アジアでのんびり老後を暮らすのが良いと。いつか女房と話したことがあります。今の地を引退できたら、何処ぞの僻地に行って、聴診器1本で診療が出来るところへ云ってのんびり暮らそうって。女房は海の青い所に行きたいと云っていましたが、私もそれには賛成です。でも20年後の日本に聴診器1本で診療が出来るところがあるのかどうか、最近不安になってきました。人口の少ない農村でも胃カメラや超音波断層撮影装置、はたまたCT Scanでもないと相手にされないのではないか? と。やはり海外なのでしょうか?

 日本は非常に特殊な国だと思います。島国だから、純血主義だから。私もオーストラリアや東南アジアで老後をのんびり過ごせれば楽だろうと云うのは充分理解できますが、おいそれほいほいと言葉の通じない土地に出ていく勇気は持ち合わせていません。私自身の身体にも島国根性や純血主義がしっかり染みついているのでしょうね。だからアメリカの国民性には非常に違和感があるのは事実です。イギリス、アイルランド系の人もいれば、イタリアやドイツ系、日系人にましてやアメリカ本土本来のインディアン、黒人も人種の区別なくともに生活していることに、自分との相当な考え方の隔たりがあるのは確かです。やはり英語が出来るか出来ないかで随分考え方が違ってくるような印象を持ちます。”悪魔の言語”と呼ばれる日本語も何とかならないですかね。ワープロで日本文を書くのも英語よりだいぶ遠回りしているようで、子供達が学校の宿題で漢字の書き順を一生懸命やっていたのを見る度に、なんて無駄なことをしているんだろうと考えたものです。日本の文化と云われるかもしれないけれど、英語ならたった26文字で日本語に全くひけをとらない表現が出来る、書き順を覚える間に単語や熟語を覚えていった方が遙かに優位に立てると考えたものでした。まず第一、私がワープロで日本語を書く際に書き順は全く関係ありませんものね。

 よく私のところに医療法人化を薦めるDMが来ますし、私の顧問税理士さんからも法人化への手続きならいつでもやるよと云うことを聞かされています。医療法人化すれば、老後の人生設計についてかなり具体的に計画が立てられることも充分知りながら、未だに個人経営の診療所のままです。もちろん多大な節税効果があることも熟知しています。しかし、まず一番の障壁が厚生年金、今更当院に10年、20年勤めてくれた従業員達に、「沈みかけた船に一緒に乗ろう。」とは私は到底云えません。先に書いた知人との話の中でも、彼は厚生年金は危ないと明言していました。でしょうねぇ? こんなのは鶴の一声ですぐに消滅するのではないかと私は考えています。そして後継者の問題もあります。私の子供が継いで診療所を継続してくれるのならそれは理想ではありますが、医学部へ行くだけの成績はとっていないし、彼等が一人前になるころの医療はいったいどうなっているのか全く想像もつきません。コマーシャリズムにのっとり、保険診療など皆無でディスカウントで患者を引き入れるような医療になり、1回ミスを犯したら二度と立ち直ることが出来ないような医療になっているのではないか? 或いは医師たる技術はコンピューターやロボットを操る技術にとって変わられ、患者さんのデータを入力した上でボタンを押すだけで癌の手術は1時間で終わってしまう? 万が一手術にミスがあっても、PL法によってそのコンピューターやロボットを制作した営利企業が相当額のペナルティを支払わされるが、大企業にとってはそんな金額は屁でもない? もしそんな時代であれば、自分の子供に医者になれとは云いたくありません。もっとも自分の歩く道は自分で決めろと云いたいのですが。