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生き残る努力

 過日、女房とデパートに買い物に行ったときに、そのデパートの私担当の外商の女性と話をしました。その担当者から、今AUDEMARS PIGUET(スイスの4大宝飾時計メーカーのひとつ)のフェアをやっているから帰りに是非見ていってくれと云われました。もともと私には身分不相応なメーカーではありますが、実は私の父の形見としてこのメーカーの時計を1ヶ持っています。もちろん自分では到底買う気にならないし、第一買うことも出来ません。でもその15年以上前に父が買った形見の時計と同じシリーズは今も現存し、値段は当時の半分以下(それでも買えませんが)、ずいぶん父の形見も価値が下がったものだと嘆いているところです。そこで外商の担当者と話し込みました。「僕の父が○○シリーズを買ったときは定価が幾ら幾らで、それを安く幾らにしてもらったみたいだけれど、それが今ではこの値段だものねぇ。当時は円が弱かったにしても、今では父が買った値段でダイヤがたくさん入っている時計を買ってもお釣りが来るものねぇ。」と少し皮肉を込めて云ってやりました。彼女の弁では「今このような時計も企画化されて生産効率が良くなり、お値段も手頃(それでも高いのですけれど)になってきました。」とのこと。本当かどうか分からないけれど、昔に比べて個性的な良いものが減ってきたと彼女は云います。そこで更に私が突っ込み「贅沢で高いものではなく、たくさん売れるものをAUDEMARS PIGUETも作るようになってきたのではないですか?」と云うと、彼女はちょっと意表を突かれたような顔をして「まさにおっしゃる通りなんですよ。」と身を乗り出してきました。これは全ての分野に共通して云えることではないでしょうか?

 1ヶ月前に私が参加したJapan Lamborghini Owner's Clubのミーティングの際に、則竹会長がモデルチェンジ後の次期ランボルギーニについて述べられた時のことを想い浮かべました。今ランボルギーニ社は西独のアウディ傘下に入り、1車種しか作っていません。一つの自動車メーカーがただ1車種しか生産しないと云うのは非常に特異な事だと思います。しかも今のモデルは今抱えているバック・オーダーを吐き出して生産終了、その後フルモデルチェンジとなり、今我々ファンは固唾を呑んでそのニューモデル発表を待っているところです。則竹会長は実際にイタリアのサンタ・アガタ工場に出向き、その時に見た次期モデルの様子を我々クラブの会員に話して聞かせてくれたのですが、ボディは一回り小さくなり、インスツルパネル等は少しシンプルになり、アウディとの共通部品を流用し、値段も少し抑え、結局”多く売れる車を作るようになった”とおっしゃっていました。まさに私がデパートの外商の担当者に云ったのはこの言葉だったのです。買える人だけが買ってくれれば良いと云うものを作っていたのでは、一時期最高の贅沢品を作っていたAUDEMARS PIGUET社もLamborghini社も自身が存続できなくなってきた、そんな時代になってきたと考えています。

 そこで私が非常に不安に思うこと、人件費がものすごく高い日本がこれからどうやって生き残っていくことが出来るのか? と。今ユニクロと云うメーカーの衣料品がもの凄い勢いで売れています。街を歩いてもユニクロの製品を着ている人がホントにたくさんいます。とにかくこのメーカーの製品は安い、しかし品質は決して他に引けを取るものではありません。安かろう、悪かろうではこんなに売れるはずがありません。でもユニクロのオーナーは今年の長者番付の上位に位置するほどの高収入を得ていました。もちろん、この製品は人件費の高い日本では到底作れないでしょう。如何に良いものを安く作るかを徹底的に検証した上での勝利と私は踏んでいます。

 今や贅沢品を買える人だけが買ってくれれば良いなんてプライドだけで商売をすれば、生き残って行けない時代なんですね。良いことなのかそうでないのか、私は判断できませんが、これも時代の移り変わり。かつて日本人は勤勉だと云われてきました。敗戦後の戦後処理に始まり、昭和30~40年代の高度成長時代、そしてやがてバブル全盛の時代、そしてそのバブルがはじけ、今やその時のつけに我々は苦しんでいます。勤勉であったはずの日本人は今でも勤勉であり続けているのでしょうか? みんなが豊かになり、みんなが意見を述べるようになってきました。その一方で消費者は賢くなり、値段に見合わないものは買わない、そして値段に見合わないものを売る人間は生き残っていけない。良いものを安く作って売る人にはやはり冨が廻ってくる。要するに生き残る努力をしない人間は陶太されるようになってきた訳だと思います。私の仕事だってそうだと思います。医者だなんて偉そうな顔をしていた時代はもう終わりです。かつては医者であると云うだけで銀行は幾らでも融資してくれました。それも無担保で。今や私くらいの年齢になると、医者の仕事を現役で続けられる時間を勘案し、仕事をやっている間に回収できそうもないと判断されれば相手にされません。ものの本によると、今銀行は医者に対しての融資は40歳~43歳が限度だと何かに書いてありました。実際に開業をアシストする医療関連の雑誌を読むと、この辺のところがホントに詳しく書いてあります。私の友人が数年前に開業しましたが、その時に開業コンサルタントを入れて充分なマーケティングを行い、開業予定地の周囲の人口、人口構成、そして競合する医療機関の調査にはじまり、適合する診療科目、投資すべき金額などを恐らくコンピューターに入れて徹底的に調べ上げ、実際に1日に何人の患者さんが来て、どれくらいの水揚げになるかがかなり具体的な数字になって出てくると云うことです。彼は成功し、今の私の数倍の外来患者さんを受け入れ、ついには一等地に土地を買って家を建ててしまいました。

 私は飲み歩くのが好きですが、今こんな飲み屋さんは繁盛しているところとそうでないところに二極分化しています。やはり繁盛しているところ(あまり混むところは却って閉口してしまいますが)で飲むのは居心地の良いものですし、繁盛していないところはやはりそれなりに魅力を感じるものが少なく、結局私の足も遠のきます。楽しく呑めずに、なおかつ値段が高ければその店に行かないのはあまりにも当然の事です。

 今日本の政府は自らの責任をドンドン民間に押しつけています。しかし逆にそれは、お前らが自分で努力して生き残る努力をしろよと云っているようにも聞こえます。努力もせずに政治家に陳情して今の生活レベルを維持しようなんてせこい考え方ではもう生き残れないでしょう。我々医療機関も生き残る努力をするよう促されています。大手企業は様々な合併、提携をして生き残りにかけています。そんな中で企業のお荷物になるような役に立たない人間は切り捨てられていく時代になりました。アメリカはかなり以前からそのような手法を取っており、またその手法に雇う方も雇われる方も慣れており、一生涯雇用の定着していた日本ではこれから痛みを伴う改革が進んでくるはずです。我々クリニックもただお店を開いているだけでは生き残りが難しくなってきています。収益を追求することは医師法にて厳しく戒められていますが、今政府が進めている医療への企業の参入を認める方針が固まれば、当然その医師法も改められるでしょう。もともと3次産業(サービス業)である医療は、よりサービス業としての色合いを濃くし、そして生き残りをかけての努力が要求されるようになるはずです。企業はもちろん、大学等の教育機関も、そして個人商店も、更には水商売でも。私もこれから”生き残る努力”を頑張ってやっていくつもりです。