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価値観の違い

 世界情勢は今混沌としています。私の誕生日に始まった大きな事件、誰もが望むはずの平和が揺らぎ、世界を巻き込む形で戦争が始まりそうです。今度世界大戦が始まれば地球は滅びる、私が小学校時代の社会科(一番嫌いな科目でしたが)で今度戦争が起きたら何人死ぬのかと云う先生の質問に60億人(当時の世界人口)と答えた優秀な同級生がいました。何故人間は争うのか? 一番の原因は”価値観の違い”にあると私は考えます。世界の中には数多くの宗教があり、それぞれの価値観があります。しかし、その中で選民思想と云うのがあり、自らが神から選ばれた民族であり、排他的な考えがここに生まれます。これは決してイスラムに限ったことではないのですが。そして個人的な価値観の違いが宗教の教えを歪曲し、そして排他的な考えが更に助長され、ついには自分以外を敵として考える、敵が自分に危害を及ぼすと被害妄想にも似た感覚が芽生えてくるようになります。まさに今回の出来事はそんなところに根があるように私は考えています
 現皇太子が未だ結婚される前、記者団の「お妃になる方の一番の条件は?」と云う質問に「価値観の同じ人」と答えておられたことをニュースで見たことがあります。”おお、さすが!”と当時の私は思いました。私の今の自分の仕事の上では、現在の健康(WHOの健康の定義は肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも正常な生活が営めることが条件です。戦争下では社会的な健康とは決して云えません)に一番の価値観を見いだし、それに対して最善の努力をすることを目標としています。しかし宗教的な考え方から、現在の健康よりも来世での幸せに重点を置き、我々の意図と違って治療を拒み、ホントに手をつけずに自分の小さな子供が死んでいくのを見守る親を私は経験しています。この時は正に価値観の違いに打ちひしがれた想いでした。
 そんな中で今アメリカは、人種を超え、平和と云う同じ価値観の下に集おうとしています。それらの人々と同じ価値観を持つはずの日本人が今、同じ目的のために何が出来るのか、憲法の制約の中で如何に貢献できるかを模索しています。10年前の湾岸戦争の時と同じようにお金だけを出して汗も血も流さないと云う態度を取れば、日本の国際的な立場は20年立ち遅れると云う意見がありますが、正に私もそのように思います。私も含めて日本人が対岸の火事と見ていた今の事態を、日本そのものが攻撃のターゲットになりうることを悟りはじめ、将来の不安に恐れおののいています。いつも日本はことが起きてから議論をし、そして間に合わないと嘆きます。でも湾岸戦争の時とは少し日本の態度は違います。自らが当事者であることを認識し、そして一部には海外からも評価されるような公約をしていきました。そして公約は実行しなければなりません。今、日本は試されているのだと思います。自らの身体の中、経済が停滞して死に体になっている日本でも、何とか世界に認められるべく努力をしていこうとする気配が感じられます。戦争はしたくないが平和は欲しい、しかし平和を得るためには戦争をしなければならない、21世紀に入って世の中の構造が変化し、今までの古い憲法では対応できなくなってきた世界情勢の中で、今日本はどうすべきなのかを問われています。未だ私個人では何が出来るわけでもないのが歯がゆいところですが、そろそろ日本も考え方を変えて新たな一歩を踏み出さなければならないようなところまで来ていると思います。世界はもう日本は軍国主義にはならないと認めていてくれます。自衛隊とは自らを守る軍隊、こんな理屈はもう世界で通用しなくなってきています。小泉政権もただでさえ困窮する経済の中で苦しみもがいているところに、とんでもない難題を浴びせかけられて大変な立場に立たされています。でもアメリカと同じ価値観を持つ以上は、アメリカに追随していかなければならないのでしょうか? 私はもう選択の余地はなくなってきていると考えています。今平和を到来を祈ると云うことは、戦争でアメリカが勝つことを祈るのと同じ事になってしまうのでしょうね。難しい選択、それも複数の回答を用意された現状でこの先日本はどう歩んでいくのか、むしろ私は今の自分の時代よりも、自分の子供達の時代を懸念してきています。世界が手を繋ぎつつある今、テロリストに進む道はないと考えていますが、あまりにも無頓着で来た日本、この怠慢に対するこれからのしっぺ返しが本当に怖い想いで報道を見つめています。