絶え行く恐竜たち
今日何気なく読んだ新聞に、米国GMモータースのポンティアック・ファイアーバードとシボレー・カマロの2車種が生産を止めると云う記事が出ていました。一時期年間20万台を生産していた車が今では4万台に落ち込み、燃費が悪いことを理由に打ちきりになるとのことです。別に縁がある車ではないのですが、何故かもの凄く寂しい気持ちになりました。そう、身体の大きな恐竜たちはどんどん死に絶えて行くんですね?
高校時代に友人と見に行った映画、スティーブ・マクウィーン主演の”栄光のル・マン”、そして浪人中に見に行った”バニシングイン60”(後にリメイクされたのがニコラス・ケイジ主演の”バニシング”です)、もともと車好きだった私がこれらの映画に強く影響されました。特に”バニシングイン60”(60秒で盗み出すの意)に出てきた黄色のフォード・ムスタング(当時はマスタングとは発音しませんでした)マッハ1に絶対乗りたいと夢を描いていました。ムスタングは74年型から小さなボディにモデルチェンジし、それなりの成功を収めましたが、私には全く魅力を感じられないものでした。そう、73年型のV8、7リッターエンジンを積んだでかい奴に憧れたんです。その時のライバル車が冒頭のファイアーバード・トランザムとカマロ、特にトランザムは真っ赤なボディでボンネットの上に”火の鳥”が描かれ、やはりV8、7リッターのエンジンを積んだのが最もHotな車でした。当時燃費リッター3kmと云うのは”ガソリンを垂れ流しながら走る”と悪口を云われたものです。更に当時のアメ車は1年で下取り額が半額、3年で使い物にならなくなると云われてきました。それをしても余りある魅力を持つ、正に恐竜と云う表現がピッタリの車達でした。私が記憶する初めて手にした車の本、小学校の低学年の時ですが、「自動車はなるべく軽い車体に強力なエンジンをと云うのが基本、しかし物量の国アメリカではそんなことはおかまいなし、頑丈な車体に巨大なエンジンを乗せています。」と云う注釈つきでかつてのフォード・サンダーバードが写真紹介されていたのを今でも鮮明に覚えています。確かに1970年代を境に、アメリカの車作りは変わってきました。1950年代はアメリカン・グラフィティに出てくる車を代表とするエレガントな時代、そして1960年代はそれが更に高性能化、そして70年代は巨大化、そして1980年代に入って省エネ化、1990年代に入り日本車に替わって一時の繁栄を見せた後、後半は衰退していったような印象を持ちます。かつては確かにアメリカの車の造りはいい加減でした。充分な溶接も行わないため、走行中にエンジンが下に落っこちてしまうなんてこともあったようです。そしてその後、日本車を見習えと云うことで品質は徐々に向上し、日本車と並び、更に日本車を上回る売れ行きを見せ、ついには日本車やドイツ車がアメリカに工場を持つまでに至りました。我が女房は何故かアメ車好き、子供が3人いるので大勢乗れるアメ車がもう2台目です。若者にも人気、特に中古車市場では値段もこなれ、20代の若者がよくアメ車に乗っています。私の所属するスーパーカークラブにもダッジ・バイパーが数台、この車は死に行く恐竜の生き残りとも云える魅力ある車です。
一時期に比べると日本車もだいぶパワーアップしてきました。どん底では2リッターのフェアレディZが130馬力ってところまで落ち込みましたが、その後3ナンバーのフェアレディZが出てきて、今では更に性能が上がってきました。省エネと云われた時代も今では引きずる雰囲気はあるものの、自主規制ギリギリの280馬力の車が増えてきましたね。何故か日本の自動車、オートバイ関連の企業は自主規制と云う名目で足並みを揃えるのが好きなようです。普通車は280馬力、オートバイは750ccってね。だから750cc以上のオートバイは、海外向けの国産車を逆輸入しなければならず、却って割高になります。私の大学の同級生がでっかい1100ccのバイクに乗っていましたけれど、かなり高価なもので修理費も高く、”ひとこけ40万”って嘆いていました。
アメリカ車もかつてほどの繁栄はないものの、また少し排気量の大きなものが出始め、高性能化してきているようです。環境問題や資源問題から反対する人も多いでしょうが、映画の”BACK TO THE FURTURE”みたいに、未来では車が空を飛んでる? 単なる移動手段としてではなく、車を操縦することに喜びを感じる私としては、クリーンで高性能な車がドンドン出てくることを切に望みます。