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本音とたてまえ

 私は”本音”と云う言葉が好きです。今でこそ本音でものを云うようになりました。かつての若い頃の自分はそうでもなかったような気がします。まあ上の人に悪い言葉で云えば、媚びへつらうこともなかった訳ではありません。また私の上司の中でも本音でものを云う人と、たてまえだけで如何にも正道を歩いているように見える人もいました。得てして本音でものを云う人の方が敵が出来やすく、たてまえだけを云う人が模範であるように思われがちだったとの印象を持っています。でも何度となく失敗をくり返すうちに、いつのまにか初めから本音で話をした方が人生楽に行けると思うようになってしまいました。日本人は本音でものを云うのが下手だとよく云われます。あまり自分を前面に出さないのが美徳だと、日本にはそんな文化がありました。でも自分を抑えると云うのは苦痛ですね。しかし、本音同志がぶつかると時に喧嘩になってしまうこともあります。こんな事を聞いたことがあります。もし10人の会議で話し合うときは、自分の意見は1/10に抑えるべきだと。でも大体は一人二人が積極的に意見を述べ、他の人は聞き手に廻り、会議が終わってから陰で「あんなこと云ってやがる。」と悪口を叩くのがせいぜいではないでしょうか? 確かにこれでは進歩がありませんものねえ。ところで本音とたてまえの間の距離がものすごく開いているケースなんてざらにあるものではないでしょうか?
 昔の女性の職場の花形、スチュワーデス。私が学生時代にちょっと仲良くしていた国際線のスチュワーデスさんから聞いた話です。スチュワーデスと云えば正にたてまえに乗っとってそつなく仕事をこなしていく職業の典型。乗客からコーヒーの注文を受けると、我々素人が思うに「○○番のシートのお客にコーヒー。」と覚えながら心の中まで美しいまま準備するように考えますが、彼女の弁では「ハゲにコーヒー、ハゲにコーヒー。」って頭の中でくり返しながら準備するんだそうです。また学生時代にある海のホテルで私がアルバイトをしていた時に知り合って仲良くしていた、そのホテルの従業員の男の人から聞いた失敗談。田舎のホテルとは云え、お客様は神様、日頃博打と女以外に楽しみのない彼等も仕事の上では普段使い慣れない丁寧語をフルに活用しなければなりません。夜のホテルのダンスフロアで、生演奏の中、踊ってくれるお客さんが少ないので彼はマイクを持ち、「男性同士でも結構ですから、どうぞ踊ってください。」と云いたかったらしいのです。しかし日頃の日常会話がそのまま出てしまいました。「ヤロー同志でも結構ですから、どうぞ踊ってください。」と彼は云ってしまったそうです。
 よく転居の挨拶のハガキが来ます。”お近くにおいでの際は是非お立ち寄り下さい。”って。でもホントにお近くに行ったってなかなか行きませんよね。若い独身の女の子からもそんな挨拶状が来ますが、一人住まいのマンションに私が近くまで来たからと云って、いきなりお誘い通り来ましたよって云う訳には行かないでしょう? 私を入れてくれますかねえ。まず無理でしょう。
 昔子供心ながらに不思議に思ったことがあります。ご近所づきあいの人からは「偉いですねぇ。」「良いおぼっちゃまだこと。」などなど、誉められることはあっても殆ど怒られることはありませんでした。それなのにどうして幼稚園の先生は自分を怒るのか、子供心にお世辞と云う感覚はなかったと思いますが、云われてこっ恥ずかしくなるような誉め言葉をどうして幼稚園の先生は云わないのかと。自分の親だけが子供を叱り、それ以外の他人は絶対に誉めることはあっても怒るはずはないと。だから幼稚園の先生は何か特別な人なのかと考え込んだことがあります。
 最近思うのは先ほど書いたように初めっから本音で云ってしまった方が後々楽だと云うこと。確かに私は今でも見栄を張ります。しかし張り続けるのが辛くなるような見栄は張りません。よく人と話をしますが、見栄を張ると云うのは男にとって必要だと。見栄を張っているといつかその見栄を張ることが楽になってくる、その時は自分が成長したことになるんだと考えています。しかし、自分が云い続けることが辛いたてまえを振りかざして生きていくのは本当に疲れるでしょう。だから本音を云ってしまうのが楽なのです。但し、相手が本音を聞き入れてくれる、或いは聞き流してくれると云う事が前提条件ですけれどね。