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団塊の世代

 ある雑誌に団塊の世代を”責任感ないのに横柄で横並び主義”との見出しでこき下ろしている記事が出ていました。私よりはもう少し上の世代、恐らくは30~40歳代時でバブル絶頂期に良い想いをした人達ではあるのでしょうけれど、それまでの大きく成長した日本の先兵になってきた功績を考えると、こんな酷い云い方をして良いものなのかと興味を持って読んでみました。
 もともと”団塊の世代”と云う言葉をよく耳にし、自己紹介の中でも「私は団塊の世代です。」と聞いたこともあるし、普段も何気なく団塊の世代の人達は今何歳くらいの人と云う漠然とした印象は持っていたのですが、何故団塊と云うのか、この世代の人達が他の世代とどのように違うのか? 何が特殊なのか? と云う疑問には自分なりの答えを持たずに来たことは確かです。広辞苑で引いてみると団塊とは”地層中に存在する球状、楕円状、扁平状などの形をなす硬い塊”とありますが、ある時代に労働力としての正に地層に相当する一塊りの集団、或いは第一次ベビーブームの人口構成が突出しているところだから?(第二次ベビーブームは1971年から1974年生まれ) また学生運動の中心になった世代であることから特殊な目で見られるようになったのでしょうか? この辺のところは私は勉強不足ですが、現在50歳代前半のこの人達(1947年から1949年生まれ)、リストラに遭い、そして50歳を過ぎると再就職はなかなか困難であることから現在では非常に憂き目を見ておられるようです。”食い逃げ世代”(後述)とまで批判されているようですが、本当にそうなのでしょうか? 恐らくこの人達が定年を迎え、引退する頃、国の無策な年金制度は崩壊とまでは行かないまでも(崩壊しているかも知れない?)、予定されていた年金などはもらえず、悠々自適な生活とはほど遠い老後を余儀なくされるのではないでしょうか? ましてや現在でさえも上からの抑えつけと下からの突き上げに挟まれて、更に責任を負わされて、自殺者が多い年齢層でもあります。自殺が一番多い60歳代の自殺する理由が健康問題なのに対し、この団塊の世代を含む50~59歳の自殺の理由で一番多いのは経済、生活問題だそうです。ここにも無策な国政の責任がないわけではないでしょう。
 1歳刻みの人口ピラミッドを見ると一番突出した部分、男女合わせて約700万人近い人達がこの世代です。様々な会社の話すところではこの年齢層が企業の収支を圧迫しているとのこと。まあ一番多い人口の部分であるし、もう50代前半になればそこそこの収入を得て当然とは思うのですが、年功序列、横並び主義を否定する矢面に立たされているような気がしてなりません。
 ”民主的だが精神的にひ弱で信念がない”、”エネルギーがなく耐える力もなく、事なかれ主義で何か問題があると隠蔽する体質”、”心が病んでいる”、”他人と共感出来ない人間が多すぎる”、”責任感が希薄”などなどボロクソに書かれていますが、別にその年代に限ったことではないと私は思うのですが。精神的にひ弱でエネルギーがなく耐える力もないのは20歳代でも30歳代でも私は経験していますし、事なかれ主義で何か問題があると隠蔽するのは今の社会の経営陣たるもっと上の年齢でも云えることではないでしょうか? 責任感がないのは個人的な資質であり、どの年齢層にも共通して存在する人種だと思いますけれどね。バブル崩壊後に大企業のリストラが始まった時、そのリストラは当時の50歳代、つまり団塊の世代の一つ上の世代に始まり団塊の世代は先輩を失った、管理職としての企業社会の中ですべきことを学ばなかった、そして団塊の世代のすぐ下の世代は団塊があまりにも大きくて活躍出来ず経験を積んでいない、だから現在では40歳代前半から人材が抜擢されているとのことです。しかしそれくらい若い(私の世代?)中から人材を抜擢するのは、企業が将来を見越してとのこと、云ってみれば賞味期限の未だ充分ある人間を選ぶのは当然ではないかと私は考えます。団塊外しと云っても、今の30歳代が50歳代前半になったとき、もし未だ景気が思わしくなければ(そんなに永く続けば日本はとっくに沈没しているでしょうけれど)やはりその世代も同じことを云われるのではないでしょうか? 賞味期限が迫っているのに食べたくはないものが捨てられてしまうように。
 また企業だけではなく、官僚の世界でも同様にこき下ろされています。特に今回の外務省改革で立ち上がったのは40歳過ぎの若手官僚、団塊の世代の官僚達は出世競争の中で横並び主義、護送船団方式でやってきて改革のエネルギーを失っているとされています。しかし、団塊の世代の年齢になると、もはや天下り先の模索が始まるのではないでしょうか? それこそこんなどうしようもない国のために自らの今後をかけてまで自分の古巣の改革を目指すくらいなら、大人しくしていて新天地でのんびり楽に稼ごうと考えるのは当然だと思います。つまり団塊の世代の官僚をとりまく環境そのものがそんな人間を作り出しているのではないか? 悪いのは団塊の世代ではないと擁護したく(と云うより従来の日本の汚い風習が悪いと考えたく)なってしまいます。
 また給付年齢を段階的に引き上げる年金制度の改革に伴い、現在の40歳代後半のサラリーマンは給付開始時点で団塊の世代よりも3割もらえる額が少なくなる、このままでは”食い逃げ世代”とのそしりを受けかねないとありますが、やはりその責められるべくは団塊の世代ではなく、そんな給付額が目減りせざるを得なくなった状況に陥ることになったバブル絶世期に踊った連中こそ責められるべきと考えます。全ての大手銀行が公的資金注入を受け、ある銀行が唯一それを償還したのは、バブル時代にも少なからずブレーキをかけていたのが理由だと聞いています。どいつもこいつも踊っていたのではないでしょうか? それを一番人口構成が多いと云うことで、不況真っ直中のこのタイミングで悪口を云うのは私はどうも納得できません。
 どうも大勢から責められるとそれに反抗したり、責められる人を擁護したくなるのは私の悪い癖ですけれど、ひ弱で信念がなくエネルギーも耐える力もなく、事なかれ主義で隠蔽体質で責任感ないのは日本人全体ではないかと私は思うのですが如何でしょうか?