第4日目、 今日はフィレンツェをあとにしてボローニャへ向かいます。個人的にはフィレンツェの街を楽しむのが大きな目的、しかし実は今日と明日が今回の旅行のメインイベント、ボローニャで友人達と合流し、ランボルギーニ創立50周年のイベントに立ち会い、そしてサンタアガタにあるランボルギーニ本社、工場を観に行きます。自分の愛車が生まれた地を訪れます。それにしてもこんな遠くから来たのか? 生まれ故郷を見るにつけ、ますます愛車が愛おしくなります。そしてフィレンツェからボローニャへ移動する際にユーロスターに乗ります。正にイタリアの新幹線、そのチケットを購入し、電車で改めて足を踏み入れたことのない地に降り立つことが今回の旅行の最難関です。幸いにして日本人の女性ツアー・コンダクターからアドバイスをもらい、昨日のうちに指定席のチケットを既に入手しています。ラッキーでした。最難関をこのアシストでくぐり抜けました。ボローニャのマヨール広場では400台のランボルギーニ達、そして多くの友人達と会いました。そしてランボルギーニ・オーナーズクラブの会長がご招待、ご馳走してくれるレストランでディナー、仕事をサボってまで出てきた旅行も佳境に入ります。
またまた朝はシャキッと起床、本当に不思議です。就寝後にすぐに意識はなくなり、途中で目が覚めることはなく、ピッタリ6時間後に目覚ましなしで爽快に目が覚めます。僕の体内時計は5分と狂わない、そして直ちに行動すべく、身体が軽く動いていきます。早速朝の散歩に出掛けます。
ありゃ〜、ハードロック・カフェがあったのですね? 昨日は歩いていて気付きませんでした。もし昨夜のうちに見つけていたら、恐らくは中を覗いていただろうに。昨日は結構貧弱な食事しかしていません。それにしても今回の旅行ではパスタとピザしか食べていません。そろそろ米が食べたい……。
中二日間、徒歩のみではありますがフィレンツェの街を歩き続けました。何となく憧れて昔から来たかった街、取りあえず目的のドゥオーモのキューポラからの景色を眺め、ベッキオ橋のジュエリーショップを見て、後は歴史探索とまでは行きませんが歩き廻って満足です。夜には少し雨が降ったみたい、少し路面が濡れています。
車仲間はツアーでローマからバスでボローニャへ入るようです。でもその旅程にフィレンツェは入っていません。パッケージ・ツアーの方が楽でしょうけれど、こんな一人旅に慣れてしまった僕にはせっつかれるスケジュールは辛いものです。わがままを言いましたが、前半は自由にさせていただいて、今日からツアーに仲間入りします。
フィレンツェ、良い街でしたよ。歩いていて楽しくなる、ワクワク出来る街でした。でも……、ここに限らずイタリアの大きな街は全部そうでしょうけれど、物価が高い! 東南アジアの贅沢しない旅行になれてしまった僕には、当然移住の選択肢には入りません。でも英語は割と通じました。不自由はあまり感じませんでした。
そう、フィレンツェに来たい、と云うよりはドゥオーモ昇りたかった、その方が正解だったかも知れません。映画の1シーンを実際に見てみたかった、それが本音のところです。娘も映画を観てここに来たいと云っていました。ブティック巡りなら、或いはミラノの方が楽しいのかも。でも堂々たるこの勇姿、やはりヨーロッパ文化は素晴らしいようです。
しばしあのてっぺんにいました。恐らく1時間以上景色を眺めていたはずです。フィレンツェには高層ビルはありません。だからあそこに昇ると街が一望、眺めてみるとそこそこ街は広いのですが、まぁ今回歩き廻ったところ、主に中心部だけで観光としては満足してしまいました。やはりここは遠く、滅多に来られない処ですから。
ただこの街、食べ物には苦労しました。一般に支払いは高め、そして一人きりでは食べるものはパスタかピザ、せいぜいそれにジェラート。確かにパスタの茹で加減は絶妙、日本のいい加減な店とは明らかに一線を画すと云う感じでした。でも、本格的なイタリアン・キュイジュイーヌには巡り会えませんでした。一人じゃ無理か?
クロコダイルのバッグが欲しかったのですが、恐らくは高くて手が出ないでしょう。更に成田の税関で見つかればワシントン条約抵触で没収、やはり諦めました。バッグは10年前にBKKで買ったポルシェ・デザインのカーフのバッグが本当に活躍してくれました。でもそろそろだいぶくたびれています。
格好いいG-Shockがありました。あいにく値札は見えない、東京で手に入るのだろうか? 確かに日本製の腕時計をイタリアで余分な税金を払って買っていくなんて愚の骨頂、この写真を元に国内で探してみることにします。お店が開いていなくて良かった! 開いてたらどんな行動に出たのだろうか?
フィレンツェでお土産はそこそこ買っているのです。家族、クリニックのスタッフ、友人などなど。しかし! 自分のものは殆ど買っていません。実は昨日からホテル向かい側のこの店に目をつけていたのです。この靴、やはりクロコダイル。グリーンのパンツにグリーンのソックスと靴、一度やってみたいスタイルですが、やはりクロコダイルは通関時にRisky…。
結局この靴を買っていくことにしました。カーフなら文句ないだろう? これと同じ素材、色のベルトもありました。靴の値段はまぁ納得、しかしベルトがちょっと高い。でもここで買い逃せば、恐らくイタリアには当分来ない、実はこのブランドは日本で殆ど手に入らないのです。迷いましたがベルトも買いました! 荷物もドッと増えました。
いろいろなことを考えながら、反省もしながら散歩からホテルへ帰ってきました。1時間以上歩いてきました。フィレンツェは堪能した! そう云って良いでしょう。また来ることがあるのだろうか? いずれ高望みするようになればヨーロッパには来るのでしょうけれど、僕にはアジアの方が肌に合いそう。
3回目のホテルでの朝食、正直に言って「もう飽きた!」 これが本音です。トーストに変わり栄えしないおかず、タイやフィリピンのホテルならビュッフェの種類も豊富で、連泊しても飽きることはありませんでした。まぁこのホテルで米を出せ と云うのが無理な注文であることは充分理解しますが……。
ホテルの中にバーもあったんですね。でも夜遅くまではやっていないみたい、今回フィレンツェではあまりお酒は飲んでいません。せいぜいビールとワインくらいでした。好きなウィスキーは飲んでいません。街中にも気軽に行けるようなバーは見かけましたけれど、何となく東洋人であるComplexが足を向けさせなかった、そんな印象です。
部屋は良かったです。屋根裏部屋? そんなところに泊まるよりは遙かに快適でした。もうちょっと安い部屋でも良かったかな? でもこのベッドは寝心地最高でした。元々この街には僕の好きな高層階のホテルがありません。建物も古いけれど、内装は充分Rennovationされ快適、そしてお風呂や洗面台などの水回りも良かったです。
昨日のうちに荷造りは9割方終わっています。そして今荷造りを仕上げ、忘れ物がないか充分にチェックします。これからの電車での移動はそれほど永くない、今夜はボローニャに、そして明日はサンタアガタに宿泊です。実際にもうこの旅行も後半、無理矢理出てきた旅行ですが、フィレンツェではのんびり出来ましたよ。
さてチェックアウトも終わり、重いトローリーをガラガラ引きずりながら10分ほど歩いて行くフィレンツェ駅に向かいます。タクシーは? とホテルスタッフに尋ねられましたが、「駅まで歩いて行くから良いよ。」と断りました。フィレンツェではタクシーにもバスにも乗りませんでした。結局徒歩だけの移動でした。
未だ午前の11時過ぎ、街は割と活気にあふれ、人々が忙しそうに行き交います。ジャケットを着て少し汗ばむ程度、今のGW後の時期としては日本に比べ若干涼しいかな? と云う程度の気候。天気も良く、そこそこ吹いている風が頬を撫で、清々しい気分です。駅までの道順は充分に学習しています。フィレンツェ、また来るのだろうか?
ルイ・ヴィトンの店は結構見かけました。他グッチやらエルメスやら高級ブランドのブティックを見て回りましたが、今回はブランドものは買っていません。まぁ、最後にパリのシャルル・ドゴール空港で免税のブティックがあるでしょうから、そこで買い物をする可能性はありますが、市内ではVATのやり方も判らないし……。
約10分ほど歩いて駅に着きました。昨日も一昨日も駅に来ているので勝手は分かっています。そしてチケットももう手元にあります。ホント、日本人のツアコンに出会って良かった、感謝、感謝。もしかしたら今頃チケットを入手するために大汗をかいていたかも知れません。だいぶ時間的余裕を持って駅まで来ました。
日本の駅と違い、電車は前向きにホームに入ってきて後ろ向きに出て行くような形、つまりホームは行き止まりになっていて、駅を通過するような形になっていません。そして電車が来る数分前にこの電光掲示板に案内が出て、何番線に着くのかが直前に分かるようになっています。未だ僕の電車は何番線なのか分かりません。
駅は結構混雑、人々も忙しなさそうに行き交います。恐らく飛行場以上にスリや置き引きが多い? まぁクリスチャンは懺悔をすればすべての罪が許されるのですから。結構緊張しながら時間が経つのを待っていました。ホームは10数本ありそう、どのホームにでもサッと行けるように、ホームが並ぶ手前の真ん中当たりで電光掲示板の点灯を待っていました。
手荷物は下に降ろしてあるものの、こんな風に両足でしっかり挟み、置き引きに遭わないよう気を張って待っていました。もう少しホテルでゆっくりしていれば良かったかな? 乗り遅れると面倒そうなので、十分な時間を確保しています。指定席は窓側を確保しました。未だ電光掲示板の数字は点灯しない、若干イライラして来ました。
もう一度チケットを出して時間を確認しました。間違いないだろうな? 僕の電車は午後12時発、恐らく一番速い特急電車なので、こんな切りの良い時刻なのだと思います。降りるのは次の停車駅ボローニャ、1時間もかからずに到着予定です。車窓から観る田園風景も楽しみの一つです。突っ立ったまま動かず未だ何番線なのか分からない、けっこう焦りが出てきています。
おい、おい、いい加減にせ〜よ! 他の電車は出発の15分前、10分前にはホームの番号が掲示され、余裕を持って人々は移動しているようです。だけど僕の電車に限りもう出発の5分前になってもインフォメーションが出ない、日本の電車なら初めから出発するホームが決まっているのに。つど状況で変更するのでしょうか?
もうイライラも頂点に達した12時数分前、ようやく10番線との掲示が出ました。何で僕の電車だけギリギリになるんだよ!? 幸いにして10番線はすぐそこ、直ちに移動して、チケットに書いてある車両番号のプレートがぶら下がっている乗り口まで移動しました。
と思ったらもうすぐに電車が入ってきました。恐らくはこのホームの先の線路はポイントがたくさん? だからどのホームに入れるか、右往左往しながら決定されるのでしょう。やはり日本の鉄道は優れている、そんな面倒なことはせずに、決まったホームに定刻に入ってくるはずです。
真っ赤な何とも格好いい電車でした。でも日本の新幹線の方が曲線を多用して、如何にも空力学を応用して考え抜かれたフォルムをしています。時速300kmくらい出るのでしょうか? ホームに人が入って来ますが、それほど多い人数ではないみたい、乗降客は特急ではそれほど多くないのでしょうか? さぁ、今回の旅行の最難関をクリアです!
さぁて、電車に乗ります。どうやら日本と違い駅構内は禁煙ではないみたい。電車の入り口に陣取って煙草を吸う人が。外に出て吸えば良いものを、いきなりドアが閉まって乗り遅れることを懸念してか、しばらく外で待っていたのですが、乗ろうとする僕を見ても、どいてくれる様子はありません。「おい、ネェちゃん、邪魔!」
でかいトローリーを引きずるように持ち上げて狭い通路をすり抜けました。こいつは一時ホームに降りて、僕を通してくれましたが、またすぐにその入り口に立って煙草をスパスパ。そこに立っていたら乗る人の邪魔だろう! ここからこいつの後頭部に思いっきり前蹴りをくれてやりました(ウソです)。
座席に座りました。乗客はかなり少ない、車内はスカスカでした。でっかい荷物も自分の隣に引き入れました。テーブルもあります。シートの座り心地はまぁまぁかな? 海外で長距離を電車で移動するなんて初めての経験です。電車での旅、何となく心浮かれます。
掲示板がありました。フィレンツェに11:51に到着、9分停車後12:00ちょうどに出発、わずか37分でボローニャへ到着、ここで降りますがミラノまでここから1時間45分? 東京から名古屋へ行くくらいの感覚みたいです。ミラノでのブティック巡り、楽しいだろうなぁ?
定刻にさりげなく電車は走り始めました。何となく心ウキウキ、駅弁はなさそうです。僕自身、こんな列車に乗るのは恐らく大阪へ行った新幹線以来? 今回はきわめて短い時間ですが、列車の旅、世界の車窓から と云う気分です♪
S.M.N 何の略だろう? そう、だから今回の旅行では飛行機でパリからフィレンツェに入り、そして帰りはボローニャからパリに戻るコースなのです。パリとイタリアの2都市間はアリタリア航空、実際にはエール・フランスとのコードシェアだったのですが、エール・フランスでチケットを取るとメチャ高でした。
列車の速度が表示されるみたいだったので楽しみにしていたのですが、どうやら表示はされないみたい。確かフィレンツェとボローニャ間は調べたところ距離にして50kmくらい? それを30分ちょいですから時速は100kmくらいしか出ないのでしょうね? ボローニャを出た後はミラノまでスピードを出すのでしょうか?
いよいよフィレンツェを出て田園風景が広がると思ったら、結構トンネルが多いのです。超特急で車窓を楽しむなんてのは無理なのでしょうか? 時々こんな風景も見られましたが、殆ど真っ暗な処ばかり、ちょっと残念でした。列車のスピードも新幹線ほどではありません。
ここはフィレンツェとボローニャの中間点くらい、家も殆どないみたい、イタリアの田舎暮らしなんて楽しそうですね。どうやら高速道路のネットワークも発達しているようです。車をイタリアに持ち込んだメンバーは今頃高速をぶっ飛ばしている?
やがて田園風景も終わり、家が多く見えるようになりました、むしろ集合住宅が多い? 列車もスピードを落とし始め、ボローニャの駅が近づいてきたことが分かります。席に座っていれば何のことはない、ほんの僅かな列車の旅でした。でも街には緑が多いようです。
マンションなのか、アパートメントなのか? でも大体4-5階建ての建物で、フィレンツェと同じく高層の建物は見当たりません。道はそれとなく整備されていて、木々が多く、住み易そうな街を想像します。フィレンツェと何より違うのが、新しい建物が多いこと、歴史的な建物はなさそうです。
サッカー場がありました。恐らく日本よりサッカー熱が熱い国、きっと盛んに行われているのでしょう。サッカーに車にファッション、やはりイタリアは情熱的な国なのでしょうか? でも正直なところ、イタリア車に乗ると申し訳ないのですがドイツ車には乗れません。
この幹線以外にもボローニャに入る鉄道があるようです。やはりターミナル駅なのか? 僕が降りるこの列車もミラノまで行くようですが、日本と同じく鉄道網が発達しているのでしょうか? でも今や日本の鉄道技術は世界のトップではないでしょうか? 大震災でも大事故を起こさない鉄道技術!
「ボローニャ〜、ボローニャ〜。」なんてアナウンスはありませんでしたが、拍子抜けするくらい早く着いてしまいました。電車から降りると、ちょっとフィレンツェよりはもう少し大衆的な空気を感じるような気がしました。さてまた初めて足を踏み入れる街、どんな処だのだろう?
何か出口が分かりにくい、少し右往左往しました。と云うのも、電車から降りた乗客が三方に散っていくのです。ホームに残って、次の特急ではない電車に乗る人もそこそこいそう、案内表示を探しても、明らかに出口と分かるものが見つかりませんでした。
ようやく出口に出て、ここではたと気付きました。「ホテルへの行き方が分からない……?」 実は…、何とか歩いても行けない距離ではないことは知っています。地図も見ました。Webから出した地図は何とも見にくく、別の地図を探そうと思っていて、忘れてそのままになってしまいました。結局フィレンツェでは十分な地図の吟味はしていたものの、ボローニャは殆ど何も調べていない……。
駅の出口に立って、ホントに大袈裟ではなく、血の気がサーッと引いていくのを感じました。もちろん送迎は頼んでいない、歩いて1時間くらい? まさかこのでかいトローリーを引いていくのも辛い、初めての地でタクシーに乗るのも結構Risky、バスもあるみたいだけれど、もちろんバスに乗ってどうして良いのかも分からない、さて、困りました……。
タクシーでも女性ドライバーなら大丈夫かな? そんなことで女性ドライバーのタクシーにホテルの名前を告げて尋ねましたが、僕のひどい英語が伝わらないのか? 本当に彼女がそのホテルの名前を知らないのか? とにかく乗せてはもらえませんでした。
さぁて困った……、取りあえず一休み、昼過ぎでお腹も空いてきたことから、何処かお店に入ってランチがてら作戦を立てることにしました。向かい側に駅前のホテルがあり、そこのフロントにでも泣きつこうかとも考えました。でも東洋人だと邪険にされる? そんな一抹の心配が。
するとこんな提灯を見つけました。「焼肉」と漢字で書いてありました。もしかしたら日本人がいるかも知れない! ここでランチを食べながら教えてもらおうと中に入っていきました。焼き肉あり、中華あり、寿司、天ぷらありの和食の店でした。ラッキー♪ と思いスタッフに話しかけたら……。
何とスタッフは英語も話せない中国人でした。無残にも希望を絶たれた瞬間…、取りあえずメニューを指さしてオーダーだけして、ゆっくりと考えることにしました。もう一度、Webの地図を引っ張り出しました。ここでは東西南北も分からない、何回見てもこの地図は理解出来ない!!
オーダーしたのは炒飯、4日ぶりの米です。味はまぁまぁかな? ここから携帯でアメックスのコンシェルジュにかけて相談する手もないわけではないけれど、そうしたところで解決策があるかどうか? 今更ホテルから送迎に来てもらうのも時間がかかりそうだし、目印もないし。
結局レストランを出て、意を決して外でだべっているタクシードライバーの3人組に英語で話しかけました。`Hotel Metropolitan? I know,I know.` やった〜♪ このタクシーの運チャン、良い人でした。それに乗ってみると距離は結構ある、歩いて行ったら酷い目に遭っていたでしょう。
「この奥だぜ。」10分ほど走って止まったところで指さして教えてくれました。ああ、良かった、フィレンツェの行動ばかり綿密に練って、ポカンとこのボローニャ駅からホテルまでのPlanningが完全に抜け落ちていました。仲間との合流も、小さな街だから何とかなるよ そんなスタンスです。まだまだこれからの不安があります。
タクシーの支払いはそれほどではありませんでした。良かった! 今後は反省して十分な計画を立てます。さてタクシーを降りてから40-50m歩き、ようやくWebで見たホテルのエントランスに辿り着きました。こちらもボーッとしていると通り過ぎてしまいそう、今回のこのホテルはそれほど贅沢ではないのです。寝れれば良いと考えました。
さてチェックイン、ここに来るまで気疲れしました。手続きに少し待たされましたが、フロントの女性が何ともにこやか、At Homeな雰囲気に溢れていました。ホッとしました。だいぶ気持ちが萎えているのか? 東洋人だと歓迎されないような先入観が先に立ち、イタリア人に対して半信半疑な考えを持つのは反省すべきなのかも。
部屋はあまり立派なものではありません。正直なところ、あまり宿賃は高くありません。実は日本でボローニャのホテルを取るのに結構苦労したのです。今考えてみれば、今日、この日はランボルギーニが数百台集まる日、恐らく早々から世界中の金持ちのオーナー達がどんどん予約を入れていたのではないでしょうか?
明日はサンタアガタのランボルギーニ本社近くのホテルをパックツアーで取ってもらってあるのです。フィレンツェを後にしてから1泊だけ自分で取りました。セーフティボックスとベッドさえあれば後はどうでも良い、そんなオーダーを出しても、やっとのことで取れたのがこのホテルなのです。
この部屋にはバスタブはありません。シャワーだけです。フィリピンにはそんな部屋がいくらでもあるのですが、「ボローニャよ、お前もか?」と云う感じ、まぁしょうがないでしょう。ここは1泊だけ、取りあえず汗だけ流せればそれで良しと考えました。しかし気に入らないことが一つ……。
お湯の出具合を確かめるためにシャワーパイプを手に取って左の蛇口を捻ってみました。そうしたらこう云うことでした。洋服を着たまま、これから外に行こうと思う直前にビショビショに、訳が分からない……。おかげで出掛ける前に余分な仕事が増えました。イタリア人なら上からお湯が降ってくることを知っているのでしょうか?
これが僕の部屋の出入り口、何となく惨め……。玄関の鍵もかなり貧弱で、スチール物置の鍵のようでした。しかもフロントまで相当歩かなくてはならない、途中、如何にも後から付け足したような渡り廊下を歩いて、わざわざ遠回りしなければならないようなロケーションです。火事の時迷いそう、さて出掛けます!
中庭がこんな具合、フロントの対応はAt Homeな雰囲気でしたが、部屋の出口もかなりAt Home、煙草を吸うような場所もありました。まぁ、今夜寝るだけの部屋と割切れば、却って節約が出来たと考えましょう。お天気はちょっと曇りがちです。
あっ、いけね、窓がきちんと閉まっていない。ここをよじ登っていく奴もいないだろうとは思いましたが、わざわざ部屋に戻って閉め直してきました。窓を開けてもここは3-4m幅の路地、景色もへったくれもありません。金持ちオーナーは良いホテルに泊まるんだろうな?
ホテルの玄関から40-50m歩くとこのメインストリート、もしかしたら門限があるのではないか? 夜遅く酔っ払って帰ってくると玄関が閉まっているのではないか? そんな雰囲気でした。こっちに行くと集合場所のマヨール広場、ちょっと逆方向に探索に行きました。
人通りが多く街は結構栄えていましたが、フィレンツェのように歴史ある建物はあまりありません。この周囲にはメインストリートの両側に店が建ち並び、商店街のよう。売っているものがみんなMade in Italyだと思うとなかなか心弾みます。道路も結構車が行き交います。
さりげなくオレンジ色のアベンタドールが停まっていました。何となくこれから数多くのランボルギーニ達が集まってくる、そんな雰囲気にワクワクしてきます。やはりランボルギーニが停まっていると、歩いている人達も足を止めます。イタリアでランボルギーニがバシバシ走っている訳ではありません。
ありゃ? 露天風の市場がありました。ちょっと興味をそそられて入ってみることにしました。かなりの人出です。そう。格安の掘り出し物がないかどうか? ちょっと楽しくなってきました。フィレンツェにも露天はありましたが、規模はかなり小さい、ここはだいぶ奥行きがありそうです。
おお〜! ベルトや革小物の店です。もちろんmade in Italyなんだろうなぁ? 値札を見るとかなり格安です。ベルトで1000円ちょいから2500円くらい、財布なども決して高くありません。お土産にもこんな革製品が良さそう。集合場所と逆に歩いてきて良かった! じっくり見て歩くことにします。
ちょっとクリニックの女性スタッフに下着を買っていくのはまずいかな? でもこれもMade in Italyなのでしょうか? 東北の震災の後、車仲間から現地へみんなで送ってあげたいと云うお誘いがあり、女性用下着を100枚買ったことがあります。役に立ったのでしょうか?
これは気を付けなければ。この店はスタッフが中国人で、Made in Chinaの生活用品が売っています。もちろん格安、しかしこれをお土産にするわけには行きません。3ヶでいくらと云う感じのようです。ここは素通りで行きます。何も買わないよ!
さりげなくバッグが売っていますが、中にはちょっと格好良い奴もあります。革製でもカラフルなバリエーション、日本ではなかなかこんなものは見つかりません。まさかMade in Chinaじゃないだろうな? そろそろ僕も新しいバッグが欲しいのですけれど。
この赤いレザージャケットを娘に買って行こうかどうかでずいぶん悩んだのです。すごく格好いい! しかし娘は割と自分の好みがうるさく、赤い奴は着ないかも。それにサイズがきちんと選べるか、自信がありませんでした。値段は決して高くない、ベトナムのハノイでは二人の息子に革ジャンを買いました。結局これは諦め。
悪友にパイソンのベルトを買って行くことにしました。日本で買えば2-3万円? ここに値段は書きませんが、買うのを躊躇するような値段ではありませんでした。ラッキー♪ 元々長さが120cmくらいあって、適度な長さにカットし、バックルをつけ直し、更にベルト穴も増やしてくれるのです。本当にお買い得!
1時間以上市場をほっつき歩きました。別の悪友には財布を買いました。ここはいくらいても飽きないよう。また明日も来ますか? さて! そろそろ集合場所のマヨール広場に向かいます。さっき1台しかいなかったオレンジ色のアベンタドールがもう1台、さすがに人がたくさん集まっています。
実はツアーの一行と合流するため、午後5時には集合場所のマヨール広場に来るよう指示されています。今は4時前くらい。マヨールとはラテン語の医学用語でMajor、Minorはミノールと発音します。つまり大胸筋のことをM.pectoralis major(ペクトラリス・マヨール)と発音します。
正面の建物の手前を斜め右に入っていくともう広場、きっともうランボルギーニ達が並んでいるのではないか? いよいよ! と心躍ります。自分の車を運転してきたら、それはそれは嬉しいだろうな? 楽しいだろうなぁ? でも、ど〜考えても僕には無理です。100万円以上のお金と10日間の休日が必要です。本当の金持ちは金も暇もあるからね。
中に入ろうとしたら小旗を手渡されました。もちろんいただきました。ランボルギーニ創立50周年、そう僕より若いのです。フルッチョ・ランボルギーニ社長がエンツォ・フェラーリから「お前はトラクターに乗ってろ!」と云われてから50年、フルッチョ氏は亡くなりましたが、会社は大きな成長を遂げました!! 僕もフリークです。
広場で一番最初に僕の目に飛び込んできたランボルギーニはこのエスパーダ、レアな車から始まります。そう、恐らく今回はランボルギーニのプロダクト車、全部そろうのではないか? もちろんディアブロも相当数来るでしょう。ミウラが何台集まるのだろうか?
奥へ行くとズラッとランボルギーニ達が並びます。見慣れた光景ではありますが、台数が集まる中で自分の車がないのは初めて経験するのではないか? ちょっと寂しい気もします。今頃家で大人しくしているんだろうな? 車種別には並ばないようです。
ここはガヤルドがかたまっています。でも広場は未だスカスカ、ツアーに参加しているオーナーは未だ到着していないのか? じゃぁ、入場してくるのを見ることが出来るな? 実は車を停めるところはサークルに囲まれ、一般の人は入れないのです。僕は…? さりげなく入ってきてしまいました。
ちょっと小腹が空きました。おやつの時間? 昼はボリュームの少ない炒飯だけでしたから。結構歩いたし。広場の周りにはこんなカフェがいくつかあります。ちょうど席も空いているようだし、集合時刻までもうちょっとあるし、座って軽く食べることにしました。
コーラにチーズトーストを。友達に「もう、着いているよ。」って電話をしました。彼は未だこれから? まぁ、ゆっくり待っているよ と返事。今日は一度サンタアガタの明日宿泊予定のホテルに行った後、JLOC(Japan Lamborghini Owner`s Club)の会長からご招待を受けてのディナー、あまり食べ過ぎないようにしました。
ランボルギーニ達が埋め尽くすはずの広場は未だこんな状態、ここにビッシリ並ぶのでしょうね? サークルの外側はもうかなりの人で埋め尽くされ、そろそろ場所取りも始まっている様子、本当に入ってきちゃって良かったのかな? 今はランボルギーニのウェアを着て、如何にもオーナーですってアピールしています。
テレビ局のクルー? テレビの取材も入るようです。イタリアの全国放映なのかな? さすがに日本では放映されないだろうけれど、トヨタや日産が創立何周年とやってもテレビ局は来ないでしょう? 国が自国の企業を大切にする、そんな態度が日本にはなかなかないように思います。
友達みっけ! 挨拶をします。Tak先生も来てたの? そう、JLOCのメンバーは殆どパック・ツアーで来ているようです。このツアーと一緒になるにはもう少しクリニックを閉めないとならなかったのです。それと、やはりフィレンツェには行きたかった? 我が侭言って済みませんでした。
ランボルギーニ社は時々パトカーを寄付しているのです。だから警察は今回のツアーでずいぶん便宜を図ってくれたそうな? 後で聞いた話ですが、交通規制をして白バイ先導で街中を時速200kmで突っ走るのだそうです。それに高速道路の電光表示で「ランボルギーニ車は次のICで降りてください。」と表示されるのだそうです。
いよいよツアーの車が爆音を鳴らしながら入ってきます。周囲から歓声が上がります。ドライバーは最高の気分でしょうね? ああ、僕も車を持って来たかった? しかし……、ど〜〜〜考えても無理です。日本のオーナーは3ヶ月前から車をコンテナに入れて船積みで車を持ち込んでいるのです。100数十万の出費と10日間の休日、やはり無理です(TT)
しんチャン登場、彼は車(ストロベリー号)を持ち込んで来ています。ツアーの車列でかなり前の方、と云うことは飛ばして来たんだろうな? 「ゴッドファーザーのテーマ」のクラクション。イタリア人には受けるのではないでしょうか? 日本からは4-5台が参加しているとのことでした。
彼と目が合い、手を振りました。楽しそう、きっと人生最高の時ではないでしょうか? そして例のLEDの電飾が光ります。でも後で本人から聞きましたが、ランボルギーニ社のステファン・ウィンケルマン社長には不評だったそうです。「まずあの日本人をはじき出せ!」って?
だけど良いじゃないですか? これが日本の文化だと示すことが出来たのではないでしょうか? 僕はお金もないし、この年で恥ずかしいから出来ないけれど。さすがに電飾でチカチカする車は彼の車が唯一のようです。しかし周りの観衆には大いに受けています。
テレビの取材?を得意げな顔で受けるしんチャン、そのシャツも如何にも悪そうだよ♪ これで彼も日本だけではなく世界的に有名になったかもね? 彼から聞きましたが、イタリア入りしてから1200kmを走破したのだそうです。フェラガモの実家でディナー? お金には替えられない経験ですね?
先導していた白バイならぬ青バイ? 不思議なことにイタリア製バイクではなく、ドイツ製のBMWでした。どうしてドゥカティにしないのですかね? 故障が多い? 前にも書きましたが、奔放なイタリア車に乗ると質実剛健なドイツ車はつまらなくなるのです。
僕と同じディアブロ6.0を若い女性が運転して来ました。右ハンドル? と云うことはイギリスの女性でしょうか? そう、ディアブロは18歳だった僕の娘でもお運転出来る、見た目とは異なり、非常に優しい車なのです。もう10年以上前の車です。でもしっかり走りますよ!
Toppageにも載せましたが、格好いい女性と手を繋いで、これがまた悔しいことに本当に絵になるのです。やはり僕ではダメでしょうね? サークルの中にいると云うことはやはりオーナーなのでしょうか? 奥さんかな? イタリアのスポーツカーには必ず助手席のバイザーの裏に立派な鏡(Vanity mirror)がついているのです。もちろん、助手席に座る女性用です。
スカスカだった広場のスペースもドンドン埋まっていきます。後の発表で400台以上が集まったとのこと。もちろんボローニャ市や警察が肩入れしてくれなければ、この集まりそのものが成り立たないはずです。パトカー寄付の功績でしょうか? 堅い役人ばかりの日本ではなかなか実現しないでしょう。やはり日本はつまらない?
結構厳重な警備陣、そして警察官もたくさんいます。ブーツを履いているのは白バイ隊員? こんな人達にこの一大イベントは支えられています。それほど大きくはない街、地域の警察官はかなり厳しいシフトで仕事に臨んでいるのではないでしょうか? ご苦労様です。宜しくお願いしますね。
イタリアではパトカーもバイクも青のようです。でもガヤルドのパトカーはやっぱり格好いい! 日本の警察にトヨタがレクサスの高級車を寄付するでしょうか? やはり日本てつまらない国なのかも。もう1台のパトカーはアルファロメオ、こちらも何となく速そうに見えますが。
ベンツはVIP用? 結局イタリア車ではなくドイツ車を選ぶと云うことは、やはり質実剛健が選ばれたと云うことなのですかね? でも今のイタリア車は本当に故障が少なくなりました。僕も最近は痛い目を見ていません。BMWのバイク、これに先導されて時速200km!? 絶対ドゥカティの方が良いのに。ディアベルの白バイだったら格好いいのにと思うのは僕だけでしょうか?
そろそろ集合がかかりました。広場から300mほど歩いた道路沿いにバスが待っているって。これからサンタアガタのホテルに行くそうです。その後みんなで近くのレストランへ行ってディナーになります。今夜はJLOC則竹会長がイタリアに来たメンバーにご馳走をしてくれるのです。あいにくブティックを観る時間はありません。
バスに行くまでいろいろな店が並びます。ここはハムとチーズの店? 生ハムを買って帰りたいところですが、保存が心配なのと、恐らく通関が面倒そう。いつぞや家族旅行の帰り、封を開けたビーフジャーキーは没収という事で、息子と一緒に成田空港の職員の前で全部食べたなんてことがありました。
さて、バスに乗ります。ここからツアーのメンバーと行動を共にします。でかいバスに20人ほど、知った顔もたくさんありました。ここからサンタアガタへ、約25km、小一時間ほどの移動になります。一度ランボルギーニ本社近くのホテルでみんなが荷物を置いて来るようです。
ボローニャ市内を走ります。窓から観る景色も楽しみ、ランボルギーニ本社はだいぶ郊外の方にあると聞いています。田園風景も見られるか? 市内の道路は結構狭く、こんな大きなバスが走るのは大変そう、ドライバーと出発前に少し話をしましたが、英語が通じるようです。ボローニャ市内も高層ビルはありませんが、床面積の広い、大きな建物は多そうです。
しばらく走ると雨が降ってきました。結構な土砂降り、ラッキーでした。向こうではホテルとディナーの会場の移動だけですが、やはり雨だといろいろと動きにくくなりそう、あいにく僕は傘を持ち合わせていません。今日はもう一度ボローニャのホテルに戻りますが、レンタカーを借りている友人が送ってくれる予定です。
高速道路に入り、快適なドライブが続きます。もう外は畑やら農場やら、良い雰囲気です。やはりパック・ツアーは気が楽で良さそう、ただし自分で行動できないので、いずれ窮屈さを感じるようになるでしょう。でも友人との会話も弾みます。
もうそろそろだとのアナウンスがありました。バス内にはツアーコンダクターがいますが、彼もフェラーリを駆るツーリング仲間、お会いするのは久しぶりです、のどかな田園風景、こんなところで格好良い車を作る工場へ勤められるのも、これまた楽しい人生ではないでしょうか?
みんなが投宿するPersicoホテルに着きました。JLOC会長がランボルギーニ本社を訪れる時の定宿と聞いています。僕も明日はこのホテルに1泊だけ宿泊、そして明後日東京へ戻ります。バスに乗っていたのは30-40分ほど、少し休憩してディナー会場に向かうとのことでした。
5階建て? ごく普通の気楽なホテルのようです。明日の僕の宿泊費もそれほどではない、フィレンツェでは少し贅沢をしましたが、ボローニャでは慎ましやかなホテルになりました。皆さんと一緒に降りて、僕も少しホテルで休憩させていただきました。
清潔な感じのフロント、ツアーメンバーは一度自分の部屋に戻りますが、僕は未だ部屋がありません。フロントのスタッフに名刺を渡し、明日は宿泊させてもらう旨話をするとにこやかに迎えてくれました。さて、そろそろ出発するよ! の声がかかりました。
ホテルからバスで10分程の至近距離にディナー会場のレストランがありました。一軒家のちょっと良い感じ、如何にもイタリア郊外の小さなしゃれたリストランテというお店でした。何故か気持ちが落ち着くようなAt Homeなお店、ああ、やっとパスタとピザ以外のイタリア料理にありつける?
こんな洒落た室外のコーナーもありました。椅子ととテーブルはイタリー製だろうか? ここなら犬を連れて来て一人でも食事が出来そうです。どうやらまた雨が降ってきました。今回の旅行はあまり雨には祟られませんでしたが、まぁこんな風情も良いのではないでしょうか?
ちょっと道路を渡って、レストランの建物全体を写真に納めました。2階は住まいなのだろうか? こんな店をやりながら、お客さんと楽しく語り合って、それで収支が取れれば、それもまた良いだろうなぁ? なんて考えました。レストラン経営、何となく憧れる仕事でもあります。
さて、店の中に入ります。どうやらここは厨房らしい、お皿がたくさん重ねられ、中で若いスタッフが忙しそうに動いていました。よろしくお願いしますね。どんな料理が出てくるのか? 楽しみです。そろそろお腹も空いてきました。今日は朝食後、炒飯とチーズトーストのみですから。
こじんまりとした個室もあるようです。他にも数組の客さんが来ていました。イタリアの田舎料理? ちょっと期待が膨らんできます。今夜は何と、JLOC則竹会長の奢りなのだそうです。この店は会長の行きつけなのだそうな。奥の広い部屋に通されます。
壁にはきれいなリトグラフが飾られ、サイドボードの上には大きな蝋燭とワインやシャンパンのボトルがズラリ、否が応でも雰囲気が高まってきます。イタリアワインも出てくるかな? あまりワインが得意ではない僕も、今日ばかりは本場のワインを味わいたく思います。
未だ皆が着席する前にまずグラスのシャンパンが配られます。そして会長の挨拶、遠くまで良く来たね♪ そんな言葉で乾杯となりました。本当に不思議です。思えば13年前、手に入りにくい1台の車を偶然に買うことになりました。それがなければ僕は今ここにいないはず……。
着席して料理が始まります。ここはかなり大きな部屋、30人以上のメンバーが楽に座れます。シャンパンの後、ワインのボトルも開けられました。そして料理はまず生ハムから。そう、やはり本場の生ハムは大振りに切って供されるようです。日本のはピースが小さい。
数年ぶりにお会いするバレンティノ・バルボーニ氏、日本でのミーティングで初めてお目にかかった時に愛車のトランクの所にサインをもらいました。もちろん未だ残っています。伝説のテスト・ドライバーと2回目のTwo shot! また宝物が増えました。
次に出てきたのはパスタ、今までペンネとスパゲティは食べましたが、こんな平打ち、丸いパスタは食べていません。また自家製でしょうか? このパンがなかなか美味しい。ついついやってしまうのですが、パンが美味しくていっぱい食べると、肝心な料理が入らなくなってしまいます。
ローストチキンとローストポーク、やや薄味に味付けされているので、見た目ほどしつこくはありません。もう既にメンバーは車談義に没頭、その後も料理は続き、ポテトの料理、野菜のフリッターなどが出てきました。ランボルギーニ本社から数名重役も来られ、大いに車談義は盛り上がります。
苦手なワインも結構飲みました。みんなでシェアして食べる料理ですから取った者勝ち? 僕自身は結構食べてしまいました。しかも只だし……、バルボーニ氏を始め、多くのランボルギーニ本社の人と話をしました。たまたま携帯に愛車の写真が入っているので、そんなのも良い話の種になります。
かれこれ3時間以上? 我々の愛車の故郷で楽しい時間を過ごすことが出来ました。もう旅行もだいぶ終盤に入ってきました。患者さんには申し訳なかったけれど、本当に臨時休診にしてまで来て良かった、一生に一度のチャンスをものに出来ました。デザートを食べて解散です。
友人にボローニャのホテルまで車で送ってもらうことになっていました。彼はこちらでアルファロメオのレンタカーを借り、ローマからナポリを回ってずっと北イタリアまで来るツアーに同行してきたようです。当初、ボローニャ・サンタアガタ間の移動をどうしようか悩みましたが、彼の車とバスで解決しました。
ものの30分でボローニャの街へ。高速道路を快適に走ってきました。送っていただいたお礼を言って、ホテル前で降ろしてもらいました。車の後ろの座席で友人の奥さんは飲み過ぎて完全に潰れていました。ちょっと酔い冷ましを兼ねてホテル周辺を歩いてみることにしました。ほろ酔い、だいぶ良い気分で、もし開いてたらバーでも?
と思ったら、どうやらボローニャはフィレンツェと異なり夜は早い? 開いている店など1軒もない! ちょっと少し遠くまで歩きましたが、ダメなようです。大きなホテルのバーはやっているだろうけれど、宿泊客ではない東洋人は怪訝にされるだろうと勝手に思い込んでいました。
結局夜中のボローニャのメインストリートを30分ほどふらつき、ホテルに戻ることにしました。後はシャワーでも浴びて寝るか? でも今日一日、フィレンツェから移動して、マヨール広場でランボをたくさん観て、ディナーをご馳走になって、充実した一日でした。でもお金は殆ど使っていない?