自動車保険、傷害保険
日々の診療において、健康保険以外の自動車保険、傷害保険に関連して仕事をすることが多々あります。交通事故ではやはり追突による鞭打ち症が多いのですが、これはいろいろな条件で患者さんの訴えが変わるようです。時に時間が経ってから症状が悪くなるもの、以前に似たような既往があったり、もともと頚椎に潜在的な病的所見があったり。このような時、どの程度まで加害者、つまり代行する保険会社が責任をカバーしてくれるかということが問題になります。特に鞭打ち症と腰痛症については、自覚症状のみならず、医師が理学的にとる他覚所見を診断書に詳述するように求められています。時には両者で大きく意見が食い違い、その煽りを治療した医者が被るということも結構あるんです。まあ遠慮なく云わせてもらうと、最近の保険会社も昔に比べてずいぶんせこくなりました。かつてはもっと大らかだったのですが、ここ数年の不況による収支の悪化、またそれに便乗したちょっと悪い医者もいたのでしょう? 我々としても反省すべきことがあるのかもしれません。こんなことがありました。
若い女性の鞭打ち症患者さんが初診で来院されました。もの静かで上品な、美人の患者さんです。鞭打ち症としての他覚所見はバッチリあります。痛みはそれほど酷くなく、当初筋弛緩剤と消炎剤、外用剤を処方し、暫くしてから頚椎の牽引を開始し、外来での話でも確実に症状が軽減、「もう少し頑張りましょう。」と話していました。通院も熱心で、まあ鞭打ち症としてもあまり気にかけることなく済んでいました。ある日、何の前触れもなく突然一通の厳封、親展とされた封書が見知らぬ弁護士事務所から私宛に来ました。全然心当たりがなかったので、何か自分が知らない間に患者さんに訴訟でも起こされたのかと思いました。以下原文のままです。全て匿名にしましたので医師法の守秘義務違反にはならないでしょう。
代理人就任並びに支払不能通知書
拝啓 平成○年○月○日発生の交通事故に関し、当職は貴院患者××××殿との損害賠償関係一切につき○○○○氏及び□□県共済□業協同組合連合会外より委任を受け代理人として就任しましたので通知申し上げます。また本件については、右患者が治療を要する受傷をしたとは考え難く、従って貴院の右患者の治療費について、本来支払は一切致しかねる所ですが、右××××殿と示談が成立した時に限り、本日までの治療費を支払い致しますので通知します。
なお本書到達日以降の分は当方は一切支払い致しかねますので通知申し上げます。なお右患者に対しましては当方からその旨通知致しましたので念のため申し添えます。
平成○年○月○日
弁護士 △△△△
なぁに、これ? 突然拝啓と云われてもねえ。だって今まで何のトラブルもなく治療して、効果が出てきて、「もう少しですね。」とつい数日前に和気あいあいと話をした患者さんのことですよ。まずどうして患者が治療を要する受傷をしたとは考え難くって思うんですか? きちっとした他覚所見はあるんですよ。早速弁護士△△△△先生の所に電話をしました。お忙しいのでしょうか、全国を飛び回っているらしく、なかなか捕まえることが出来ないのですが、数日後やっとお話が出来ました。お会いはしてないのでよく分かりませんが、お声からすると年の頃50代半ばくらいの方でしょうか? 優しそうな、もの当たりの柔らかい先生でした。先方がまず「先生には御迷惑をお掛けして申し訳ありませんねえ。」と。こちらも紳士的にいろいろお尋ねしました。結論は、この患者さんが以前にも同じようなことで保険会社に法外な請求をしたため、今回は前もって動いたとのこと、どうやら噂では保険会社のネットワークの中に被害者のブラックリストというのがあり、私の患者さんもそれに載っているのではないかとアドバイスしてくれた知人がいました。でも鞭打ち症というのは、車で止まっているところに、他の車が追突して起きるわけだから、本人の責任ではないでしょう? 弁護士△△△△先生と数回電話でお話するうちに、医師:「私は患者さんの味方になりますよ!」弁護士:「それは勿論、先生のお立場はよく理解できます。」 一応分かってはくれているんですね。また私のことを弁護士:「先生とお話をしていると、先生の良いお人柄がよ~く分かりますよ。大変ですねえ。」医師:「じゃあ治療費を払って下さいよ~。」弁護士:「だ~め!」 もう! 茶目っ気たっぷりの弁護士さんです。私、ちょっとこの弁護士さんを好きになってしまいました。顧問契約してもらおうかなあ.............。結論としては右××××殿と示談が成立したため、時期はだいぶ遅れましたが、治療費全額払ってもらいました。患者さんも元気になり、御迷惑をお掛けしました旨お手紙をいただきました。そのお手紙もなんとも美しい素晴らしい字でした。私としてはこの患者さんがブラックリストに載っているとは思いたくありません。それに引き替え□□県共済□業協同組合連合会の窓口の私に対する対応は酷いものでした。絶対悪人はあちらです。私は確信しています。患者さん曰く、□□県共済□業協同組合連合会の担当者が、「患者と医者が共謀して嘘の診療をして違法な請求をしている。なんなら俺が○○診療所に出向いて全て暴いてやろうか。」と云ったとか。来るなら来てみやがれ! お前の腹を開けて、真っ黒な腹の中を見てみたいぜ! 手術道具一式持ってこちらから出向いてやろうか!
もう1件傷害保険にまつわるトラブル。こんな患者さんがありました。ある時駅で階段を踏み外し、足首を捻挫された高血圧で当院通院中の患者さんが、受傷の数日後来院されました。腫れもそれほど強くなく、レントゲンを撮影しても異常なし。「捻挫だけですね。湿布をお出ししておきましょう。痛み止めの飲み薬はどうしましょうか? ちょっと胃が荒れることがありますけど。」と申し上げましたら、湿布だけで結構とのことでした。その後1-2週間毎に通院、徐々にではあるけれど痛みは引いてきました。結局かれこれ2ヶ月、やっともう治療はいいということを本人に云ってもらい、足関節捻挫の治療は終了しました。永かったです。そして患者さんが傷害保険に入っているので書いて欲しいと診断書を差し出しました。このような傷害保険の診断書には労務不能と認められる期間という項目があり、いついつからいついつまでの何日間、つまり仕事が出来なかった期間に応じて保険金が支払われる訳です。まあ正直な話、この患者さんがこの程度の捻挫で仕事を休んでいるとは思っていなかったのですが、一応本人に「どれくらいの期間お仕事を休んだのですか?」とお尋ねしました。何と! 怪我した日から今日まで2ヶ月間仕事を休んでいると云うのです。足の捻挫で2ヶ月仕事に行っていないんです。この瞬間「しまった!」と思いました。実はこの人、傷害保険で診断書を過去に2度書いたことがあるのです。前回もずいぶん長引いたことを思い出しました。平静を装い、「○○さん、足の捻挫で2ヶ月間休業というのは無理ですよ。骨折でも3週間から1ヶ月いいところですよ。」と申し上げましたところ、自分の仕事は立っていないと出来ない、痛みはものすごく酷かったんだ等いろいろ云って来ます。座っていても出来そうなお仕事なんですけどねえ。痛み止めの飲み薬も要らないっておっしゃったでしょう? やがて云い合いのボルテージも上がりはじめ、患者:「もっと患者の痛みが分かる医者だと思っていた。」医師:「これで2ヶ月労務不能の診断書を書いたら、医者としての良識を疑われちゃうよ。」等々。いよいよとどめは、「そんな診断書を書いたら林真須美と一緒だよ!」、どうやら私のこの一言が効いたようです。患者さんは完全に切れました。結局この患者さんとの6年間にわたる医者と患者の関係にはピリオドが打たれました。でも私は2ヶ月の診断書を結局書きませんでした。儲け損ないましたね。
実際に例の毒入りカレー事件以来保険会社の診査はかなり厳しくなってきています。私も2社ほど生命保険の嘱託医をしていますが、ごく最近から運転免許証、パスポート等写真入りの身分証明書にて本人であることを確認する旨求められています。問診に際しても以前にも増して時間をかけ、詳細に話を聞くようになりました。やりにくい世の中です。