海と音楽が好き、車とバイクが好き、夜景と絵が好き、そして何よりも遊ぶことが大好き。でも家族(愛犬を含む)と部下を大切にし、仕事もしっかりやる、そんな男のホームページです。ご覧あれ!

HOME > Grumble > 041_Communication

通信とコミュニケーション

 近代、科学が進むに連れて我々は多くの通信手段を持つようになってきました。情報を征するものが世界を征すると云われるように、情報を得ることは現代人に取って非常に重要なことになってきました。そしてその情報を得るために数多くの通信手段が生まれてきました。日常生活にすっかり溶け込んでいる電話は勿論、今や携帯電話、E-Mail、i-Mail等々、我々一般人でも比較的気軽に使える通信手段が更に高機能化してきています。ついには第四世代の携帯電話? もういったいどうなる事やら? でもふと考えてみると、現代の若い人達がMailで用件を済ますことが出来ても、或いは友達同士で意思の疎通を図ることが出来ても、面と向かって話をすることが苦手になってきています。よく若い人達が使う言葉を例にして、日本語が壊れていくと日本語学者が嘆きますが、これは学術的な力を持った人達のエゴだと思います。それならば、我々は江戸時代や室町時代に使われていた言葉を話していなければならないことになります。今の若い人達が国語を先導するようになる20年後、30年後を考えれば当然日本語は形を少しずつ変えてきているはずです。それを進化と呼ぶか退廃と呼ぶかはその時代に誰が力を持っているかによって幾らでも解釈が違ってくると思います。

 さてこれらの通信手段について、私自身がちょっと懸念することがあります。過日私は警察署に車庫証明を取りに行きました。二人の係官が次から次へと並ぶ人達に対応し、忙しく手続きを処理していました。そこへ電話が鳴り、一人の係官がコンピューターの操作をしながら電話の対応もしていました。自分の順番を待っている私としては、時間が遅くなりイライラする電話です。どうやらやはり車庫証明を取得するための説明を求めている電話らしく、初め係官は事細かに説明していましたが、そのうち「こちらにおいで下さい。説明しますから。」と繰り返し答えるようになりました。結構永い時間やりとりしていたようです。電話を切った係官が「車庫証明の取り方を最初から教えろって云うんだよ!」と隣の係官に話して苦笑いしていました。車庫証明の取り方はいろいろなところで分かるはずです。確かに私自身も何時から受付してくれるのか、予約なしでいきなり云って良いのかだけを電話で問い合わせをしましたが、たかだか30秒で終わる質問です。それで車屋さんから聞いたやり方で何のトラブルもなく車庫証明を発行してもらいました。一から説明を受けたいのであれば、やはり電話の主は警察署に来るべきだと思うんです。今回のGrumbleで云いたかったのはそこなんです。当院でも受付から問い合わせだと診察室の私に外線が繋がれることがありますが、あまり細かい説明を求められると、「充分説明しますからこちらへおいで下さい。」と云って電話を切ります。第一失礼ですよね! 電話で何もかも済ませようとする態度が。だからちょっとしたE-Mailで良いのか、或いは電話で丁寧な口調で話をするのか、はたまた面と向かって頭を下げて話をするのか、その内容によって自分がどのような通信手段で相手に伝えるのか、お願いするのか、また詫びを入れるのかが程度の差こそあれ、必然的に常識の範囲内で決まってくるものだと考えます。だから私は電話勧誘が大嫌いなんです。節税マンションなんて数千万もする買い物を、見ず知らずの人間からの電話で決めるはずがないじゃないですか? 通信がいとも簡単に出来るようになりすぎたため、全く以て非常識な行動を起こす人間が増えてきたように思えてなりません。こちらが腰を抜かすようなドタキャンをMail1本でやられたことがあります。私もMailはよく使いますが、これは最低限のコミュニケーション、自分の気持ちまで正確に伝えなければならないようなMailは、私が書くのに1時間近くかかります。所詮一方通行のMailではなかなか思うように相手にこちらの真意が伝わらないと思います。また電話もしかり、一方通行ではないにしても、顔も見せないで話をする事に限界があると思います。私自身の診療において、患者さんにわざわざおいでいただかなくても、YesかNoかで答えられるような簡単な検査結果の報告は私自ら患者さんに電話をいただければお話ししています。おいでいただければ再診料がとれますが、こちらがかけてくださいと云った電話に対しては電話再診料もとれません。こちらが患者さんの利便を考えてやっていることなんです。だから患者さんの方から「電話じゃダメですか?」と聞かれた時には私はまず100%Noと断っています。だいたい失礼ですよ。それぞれの状況に応じその通信手段を選択するのは、特に現代人にとっては常識を問われる試験の場と考えています。当然のことではあると思いますが、この常識を持たない輩が増えてくれば、人間関係にも様々な支障を来して来ると思います。まさに私自身もそれでうんざりしていることがあります。便利になりすぎたのでしょうか? 親友との飲み会の待ち合わせの決定はMailで充分と思いますが、相手に無理なお願いをするときは私は電話でアポを取り、出向いていきます。そのやり方を以て私自身が他人から評価を受ける試験を受けているようなものだと解釈しています。