教育は何処へ?-2
前回の更新時と同じテーマ、そして今度は違う角度から教育を見てみたいと思いました。
都内のある区は学区制を廃止して学校選択制を導入、区内のどの小学校、はたまた中学校へも希望できるシステムを創り上げました。学級崩壊やいじめで問題になった区立小学校への入学者は激減(ある報道では1/6に減)し、そして人気のある小学校へは定員を超える希望者が殺到、こうして本来格差のないはずの公立小中学校に格差が出てくることになりました。かたやクーラー付き、温水プール付き、そして学級崩壊やいじめはなし、かたやその逆、これではその差が拡大していくのは当然のことです。
ある先生は云います。夏は暑いと分からせるためにクーラーは要らないと。確かに真夏は学校は夏休みですから、酷暑の中汗をかきながら教室に座っている時間は少ないでしょうが、そんな中で神経を集中させた学習が可能でしょうか? 大いに疑問です。夏は暑いに決まっている、登下校の際にそれを感じれば勉強の時間まで辛い想いをして夏が暑いことを思い知らせる必要はないと思います。それだったらこの先生は冬に暖房を使わないのでしょうか? 公立小学校なら全ての教室にクーラーを設置すれば良いだけのことだと思いますが。
格差が拡がること、平等な子供の教育を目指すのであれば、これはない方が良いのかも知れません。しかし、現代において戦争と表現される受験、”お受験”なるテレビドラマも話題になるほど加熱している現実の中で、学級崩壊やいじめのない学校へ行きたいと思うのは当然のことではないでしょうか? その一方で全く子供の教育に無頓着な親がいることも確かな事実です。かつて私が校医をしていた学校で、女子生徒が不登校となり、学校も心配して調べてみると良からぬ大人と付き合っていることが分かり、その旨親に諭すと”放っておいてくれ、私には関係のないこと”と信じられぬ言葉が返ってきたこともありました。私もその生徒自身と少し話をしたことがありますが、ほんのあどけない普通の女の子だったことを憶えています。暴力沙汰で結局は少年院送りになってしまった男子生徒も、話してみれば人なつっこい普通の男の子でした。むしろこんな子が本当に? と思ってしまうような印象を受けました。つくづく思いました。彼等は愛情に飢えているだけのことだと。しかし、そんな生徒が同じ学校に所属することは少なからず真面目にやっている生徒にも悪影響を及ぼすもの、出来ればそんな生徒がいない学校にと思うのは親としても当然かも知れません。同じ公立の学校の中でもそんな格差が存在し、○○中は荒れている、△△中学は平穏だなんて噂が私の耳にも入ってきました。そこで、誰もが地域によって平等に振り分けられる学校の中でも格差は生じてしまうものでした。自分ではどうすることも出来ない、たまたま住んでいる町が何処かでその生徒が成長する中で悪い影響が決まってしまうことに不安を感じます。こうして短い間についた格差を元に戻すのには、少なくも子供の保護者達にその格差を感じなくさせるためにはかなりの努力と時間を要するのだそうです。それも当然の事でしょう。むしろその差は放っておくとドンドン開いてしまうのだそうです。こうして学校の格差が今度は教育内容の差にすり替わり、そして大人になったときのレベルの差になってしまう可能性があるわけです。
だから学校選択制が導入されたのでしょうか? だとしたらそれはあまりにも安易な切り捨てではないでしょうか? 落ち着いて学生生活を送れる学校に希望者が集中するのは当然のことです。そしてそこで更に格差が開くのは当然でしょう。
日本にもゆとり教育をと云うことでカリキュラムを減らし、結局一生懸命やる子とそうでない子の格差が拡がりそうです。ゆとり教育の先輩であるドイツ、15歳の学力が先進国中最下位の同国は驚いて教育改革に取り組むことになりました。一方で日本ではその反目教師をそのまま目指してしまっています。日本の15歳の学力は31ヶ国中8位、10年以内に第5位までの入賞を目指すドイツと席次がひっくり返るのにそう時間はかからない勢いです。教師にもしっかりして欲しいと云いたいところですが、彼等も愚かな親達の言動に怯え、事なかれ主義に走ってしまう傾向が強い印象を受けます。熱血先生は何処へ? 私はゆとり教育は辞めるべきだと考えます。競争する中で自分を磨いていく、そして自分の適性に合った道を選ぶ、こんな当然のことが何故行われないのか? 何故安易な道に走るのか? 不思議でなりません。