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畳の上で死ぬと云うこと

 ちょっとシリアスな話です。突発的な事故の場合を除いて、もし死期が予測できるような病気で死ぬとき、あなたは手厚い看護、治療(いわゆる末期医療)を受けながら病院で死にたいですか? それとも看護、治療を受けなくとも、家族全員に囲まれ、住み慣れた自分の家の畳の上で死にたいですか? これは人それぞれ意見が異なると思いますが、半数以上の人は後者を選ぶのではないでしょうか? 私は勤務医時代にイヤと云うほど人の臨終に立ち会ってきました。1日で死亡診断書を2通書いたことが数回あります。また開業してからも、勤務医時代ほどではないにしても、随分臨終に立ち会いました。覚えているだけで、ここ数年の間、90歳以上の老衰の方の大往生を3人見ています。もちろん、開業医である私が看取るのは自宅で息を引き取る方々です。私自身は勤務医時代は人は手厚い看護、治療を受けながら病院で死ぬべきだと考えていましたが、開業してからはその考えもだいぶ揺らいできています。ただ自分自身が病死するのであれば、やはり病院、それも自分が勤務していた病院でと希望します。何故かって? それは死期を予測されるような病気で死ぬのであれば、Coffee breakの”解剖の意義について”で述べたように、私が死ぬ原因を子供や孫に伝えるために解剖を希望するからです。自宅で死ぬと、なかなか解剖して貰うのは難しいですからね。それに、延命治療は希望しませんが、苦痛を和らげる治療は最大限して欲しいからです。私の勤務医時代、或いは開業してからの臨終立ち会いの話をいくつか書いてみます。これを参考に皆さんも、そんな遠い自分の将来のことを考えてみてください。

 人の死期を予測するのはなかなか難しいものです。知り合いの病院勤務の先生がぼやいていましたが、最近余命半年の診断がつくと、保険金を一部先に受け取れる保険があります。余命半年の診断書を書いて欲しいと云う患者さんが時々いらっしゃるそうで、その先生は診断書を書く際に結構悩むんだそうです。でしょうねえ。勤務医時代も開業してからも死期の予測に対し、私が判断を誤ったことがあります。遺族の方には申し訳ない限りなのですが。こんなことがありました。勤務医時代に私が受け持った患者さんです。病名は胃癌、84歳の男性で、胃癌の手術治療目的で入ってきた患者さんです。入院してから検査を進めると、残念ながらもう既に胃癌が肝臓の両葉に転移しており、根治は望めない状態でした。家族には本当のことを話し、出血による急変や癌による通過障害を予防するだけの目的で、単純な胃切除術だけを施行しました。肝転移には手をつけず、リンパ節も郭清せず、単純に癌の部分だけを取り去り、繋げました。とりあえず患者さんは辛うじて食事を口にするまでになりましたが、84歳と云う年齢もあり、なかなか退院できません。その間、残存した癌はどんどん成長し、黄疸がかなり出始め、ちょっとでもいいから一度家に帰してあげたいと云う気持ちで主治医たる私は焦り始めました。徐々に全身状態が悪化してくるものの、その日その日によって多少調子の良い時と悪い時の変動はあります。ある朝、患者さんが比較的良い状態と判断した私は家族を呼び寄せ、「突然ですが、今日1泊だけでもご主人を一度家に帰してあげましょう。」と奥さんや家族の方々に申し上げました。「今を逃すと最期まで帰れなくなってしまうかも知れませんよ!」ちょっと戸惑い気味のやはり高齢の奥様の背中を私は押しました。奥様も納得してくれて、心配ながらも自宅にご主人を迎い入れる準備をし、寝台車で患者さんは家に向かいました。私はホッとして、また明日患者さんを迎い入れるつもりでしたが、その日の深夜、私の自宅に病院から電話が入り、その患者さんが自宅で急変して救急車で病院に戻ろうとしたが、間に合わず、途中の病院で息を引き取ったとのことでした。ゲゲゲゲ、まさか今日ステッちゃうとは全く予想もしていませんでした。正直なところ「やべ~なあ、奥さんに怒られるだろうなあ。」と思いつつ翌日病院の病棟にいたところ、奥様が挨拶にいらっしゃいました。「イヤ~、奥さん、申し訳ありません。こんなことになるなんて......。」と奥様に申し上げたところ、奥様はニヤっと笑って「先生? 先生は主人が昨日息を引き取ることをご承知でわざと家に帰してくださったんでしょう?」と云われました。(もちろん、そうですとは云えません。)「エッ!?」いやいやそれは違うんですけれど、まさかこうなるとは思わなかったんですけれど、悩みながらも敢えて私は奥様に強く自分が予測を誤っていたことは申し上げませんでした。奥様曰く「主人も家に帰ってホッとしてしまったのでしょう?」確かにそれはあるかもしれませんけれど、結局私の判断ミスは一時家族の方々を慌てさせたようですが、結果オーライとなってしまったようです。それにしても担ぎ込まれた途中の病院の当直の先生は焦ったことでしょう。詳細な報告の手紙が後に来たので、私はその先生宛にお詫びとお礼の手紙を書きました。まあご遺族の方々が怒ってはいないことだけは確かなようです。


もう一人、予測ミスの患者さんの話。この方は10年近く寝たきりで、私が毎週訪問看護で診ていた患者さんです。一度老衰であと数日と家族に引導を渡してしまったのに、また寝たきりながらも元気になったおばあちゃんです。92歳、寝たきりで難聴はあるものの全くボケてはいません。毎年冬や夏になると、今年の厳しい季節は越せるかどうかなんて考えていた方です。老衰の診断と云うよりは判断は難しいものです。やはり患者さんが食べなくなると先行きは厳しいものになります。これは私が経験的に思うことなのですが、老衰で食べなくなった患者さんは、高カロリー輸液をしても栄養として受け付けてくれません。結局体全体のシステムが死ぬために全ての治療を拒否しているような印象を持ちます。この患者さんは私に老衰と判断させるくらい状態が悪くなったり、それがまた回復したりを何回も繰り返しています。ちょうど家族からちょっと様子がおかしいと連絡を貰い、3日連続で点滴をしに往診で出向きました。最後に私が出向いたのは土曜日の午後、状態はわずかながら上向いたので、「明日の日曜日は点滴はしなくていいでしょう。また月曜日にこちらからお電話して、あまり思わしくなかったら点滴をしに行きますよ。」と申し上げて帰ってきました。月曜日になってこちらから電話をする前に家族から電話があり、「おばあちゃん、如何ですか?」の私の問いに家族の方が「実は、昨日亡くなったんですよ。」再びゲゲゲゲ。そんな~。私のところでは、家族の誰かがいて、外出中の私にもすぐ連絡がつくように準備しているのですが、急変したときに私の診療所に電話をされたとのことですが、たまたま家族が家を空けた30分の間の出来事だったようです。病院に入院させて一時期落ち着いたものの、その夜息を引き取ったとのことでした。終わりよければ全て良しの逆です。ここ10年近く、毎週火曜日に欠かさず往診をしていた患者さんの最期でドジりました。家族はそれほど怒ってはいらっしゃらないようでしたが、やはりチクリと「先生に看取って欲しかった。」と云われてしまいました。私もショックを受けました。数日後、3日間の往診料とお礼を家族の方が持って来られましたが、私はその全ての受け取りをお断りしました。受け取る資格がないと考えたからです。

 失敗ばかりを先に書きましたが、開業してからも遺族の方にご満足いただけるような臨終も結構あります。私も定時の診療があるわけですから、何をおいてもすぐに飛んでいけると云う訳ではありません。患者さんご本人の意識が殆どなく、家族に充分納得していただいた場合には、ベッドの横に心電図モニターを置いて帰ってきたこともあります。家族の方に「この波が平らになったら電話で呼んでください。」と。穏やかなご臨終を迎える患者さんであれば、このやり方で充分満足していただけます。そして私が出向き死亡を確認して、死後処置を施し、死亡診断書、埋葬許可書等を作成します。そのような穏やかな臨終であれば、私もこれで充分納得できるのですが、やはりそうはいかないケースもあります。突然来てくださいと云われ、行ってみたら患者さんは冷たく、硬くなっているなんてことが何回かありました。これらの場合私は死因を特定できず、死亡診断書を書くことは出来ません。結局警察に連絡し、行政解剖にて死因を特定すると云う形になってしまいます。

 一人の人がその人生の幕を閉じる一大事ですから、いろいろとトラブルもあります。家族には充分なインフォームドコンセントが取れているにも関わらず、患者さんの死亡後、初めてお目にかかる”遠い親戚”と云う人が出てきて、ああでもない、こうでもないともめることが結構ありました。末期には人工呼吸器をつけるような延命措置を行わないと前もって取り決めていた家族が、いよいよ患者さんの状態が悪くなり、その姿を見ていられない、何でもいいからとにかくやってくれと云うことで急遽人工呼吸器を装着してしまったこともあります。苦しみを伸ばすだけの効果しかないにも関わらずです。

 私は私の母からリビング・ウィルと云う、苦しみを伸ばすだけの延命措置はしないでくれと云う旨の直筆の書類を預かっています。もちろん、未だ命を脅かすような病気はないのですが、自分が死ぬときは医者である息子、あるいはその時の医療従事者の方にこのようにしてくれと云う嘆願書です。私の母の妹、つまり私の叔母からも全く同じ文面の本人直筆の書類を預かっています。もちろん皆さんがどのような死に方を選択するのかはご本人の自由です。私もそうですし、私の母親、叔母もこうだと云うことで、最後にその全文を写して皆様にお見せし、このコラムを閉めたいと思います。



 尊厳死のお願い
 私は、私の病気が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、ならびに私の医療に携わって下さっている方々に次のことをお願いいたします。

 これは私の精神が健全な状態にある時に書いたものです。

1)私の傷病が現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切しないで下さい。

2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施をお願いします。

 そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向に構いません。

3)数カ月以上に渡って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。

 以上私のお願いによることを忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の希望に従って下さった行為の一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
          平成○年○月○日

            ○△□◆子 (実印)

               昭和△年△月△日 生