東京ER構想
東京都知事の石原さんは、都立病院の運営についてかなり意見を述べられています。当院の近くに都立病院があるのですが、そんな都政の改革案の中でこの病院の救命救急センターに総合救急診療科を設置する旨のことを聞きました。救命救急センターとは直ちに処置を施さないと死に至るような状況の患者さんを扱う、3次救急を扱うセンターです。確かにそのような施設が付近にあることは、地域社会で開業する我々には非常に心強いものです。実際に私自身も大学病院勤務時代に救命救急センターに配属され、勤務していた時期があります。まさに修羅場、本当に重症の患者さんが来ます。脳出血、心筋梗塞等の高度医療を要する疾患から交通事故等の最重傷の外傷患者等、内科、外科、整形外科の各医師がチームを組んで総合的に患者さんを診ていきます。多発外傷では脳神経外科、胸部外科、腹部外科、整形外科領域のどの治療を最優先にするかの判断を迫られます。
救命救急センターには通常ホットラインと云う救急隊から直接来る専用電話(私のところでは真っ赤に塗られていました)があり、この電話がなるとくつろいでいたスタッフ達の間に緊張が走ります。「交通事故、○歳男性、多発外傷、意識レベルlllの300!」こんなスタッフの号令で、医師、看護師は各持ち場に走り準備を始めます。我々医師も上に来ていた長い白衣を脱ぎ、マスク、ゴム手袋をしてセンターの入り口で待ちかまえます。ストレッチャーで運び込まれた患者を直ちに処置台のベッドに移し、一人の患者に5-6人の医師が寄ってたかり、着衣は鋏で切り裂き、気管内挿管、血管確保、尿道留置カテーテルを挿入、レントゲン技師もポータブルレントゲンでその場で撮影する準備を始めます。看護師は患者のバイタルサインをチェック、医師の要求するものを手際よく準備します。時間を争う中、診断と治療が同時に進行していきます。このような緊急時には、型通りの教科書なんて殆ど役に立ちません。臨機応変に、様々な可能性を考えて、ありとあらゆる手だてを模索します。それもどれを最優先するかを考えながら。まさに血だらけの修羅場になります。
先日、東京女子医大の救命救急センターのドキュメンタリーをテレビでやっていました。昔懐かしく当時の自分を思い出しながら見ましたが、やはりその中でも云われていたように、永く出来る仕事ではないんですね。特に都心、新宿に位置するところですからさぞかし大変なことと思います。主にここの医局長にスポットを当てて紹介していましたが、彼も未だ30代前半、家庭もおありのようでいつまで続けられるのかと悩む彼の姿も映し出されていました。私としては、3次救急の最前線にいる彼に対し、半分羨望のようなものも感じましたが、恐らく今の私があそこで働いたのであれば、体力的に1ヶ月くらいしか持たないと思います。私の時はローテーションで4ヶ月配属されただけでしたから。でもその短い間に得たものは今でも非常に大きな財産となっています。瀕死の状態の患者さんのベッドサイドで、その患者さんの全身管理をすること(それも最重症の)は、その後の患者管理の中で大きな自信に繋がったものです。
アメリカのドラマ”ER”が放映されてから、こんな3次救急のことについて随分関心が持たれるようになってきました。石原さんがこんな計画を立てたのは、このドラマの影響だなんて聞いたこともあります。実は冒頭に書きました救急センターのこと、今東京都では石原さんが先頭を切って”東京ER構想”なるものが進んでいます。今年6月の定例都議会で、日本の医療に欠けている透明性、信頼性、効率性を補うべく、都立の3病院に救急医療の更なる拡充を図るため、これらの救命救急センターに総合救急診療科を配備し、”いつでも、だれでも、様々な症状”の救急患者に的確に対応すると云うものです。どうやら2002年度を目標にと云う具体的な構想実現の時期も浮かんできています。この計画は大いに期待できそう、でも! ちょっと不安もあります。都立病院でも採算のとれていない病院もだいぶあるようです。石原知事はこれらの不採算医療から撤退するようなニュアンスをほのめかしたこともありますし、医療のフランチャイズ展開をしているある団体に都立病院の運営を任せるような提案をしたと云う報道もありましたし、更にはもう今年の9月より実際に目に見えてきましたが、東京都の医療・福祉の後退も非常に気になるところです。石原さんは医者なんてものに休日なんかは不要だと云ったとか云わないとか。私が思うになかなか強引な人、今こそ舵取りが非常に難しい東京都政、特に医療行政の先行きに一抹の不安を抱いているのは私だけでしょうか?