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成人式での私語


 成人の日の前日の新聞に出ていました。祝辞を受ける新成人達の態度がなっていないと。私語は止まず、携帯電話の呼び出し音はあちこちで鳴り響き、その場で電話に出てしまう人が多いそうです。成人式会場での祝辞を憂鬱に考える市長さん、中には怒って祝辞の原稿を放り投げて祝辞を中断してしまった市長さんがいたことが報道されていました。若者のマナーだけが責められますが、私はこれにちょっと異論があります。

 私も看護学校で講義を持っていますが、講義中は携帯電話の呼び出し音は消すように指導していますし、私語についてはあまり酷いと講義室から出て行け! と怒鳴った事が何回かありました。私の講義を受ける学生達も17歳から22-3歳くらいが中心(中には私より年上なんて、人生の新たな出発を目指す人も時々いますが)、汚名を着させられる若者と同世代ですが、大体はよく私の話をよく聞いてくれます。私自身は学生達が興味を持って私の講義を聞いてくれるよう努力しています。世の教育者には”聞いてくれる”と云う言葉にアレルギーを起こす人もいるかも知れませんが、それは自惚れ。教えてやると云う考えではもう若い人はついてきません。医者が患者を診てやると云う態度で診療を行うのと同じ意味になると思います。もっと云うなら聞いてくれることによって給料を貰っている訳ですから、学生が聞いてくれない講義しか出来ない講師はとっとと辞めれば良いんです。少なくも私はそんな考え方でやっています。そしてそれなりの数の学生が集まれば、落ちこぼれる奴も必ず出てきます。それを如何にFollowして行くか。これも教職に携わる人間にとっては大事なことだと思っています。

 毎年1月中旬には医師会の新年会が市内のホテルで催されます。その際には市長の挨拶に始まり、特に医師会に縁のある国会議員や東京都会議員さんが来賓として招かれ、年頭のご挨拶を述べられます。しかし、かなり多くの人が前に出て祝辞を述べられ、それも乾杯の後に続く人達の話を聞く我々医師の態度も、決して成人式の若者達を責めることが出来るような代物ではありません。人が話しているときに大きな笑い声をあげる人、ビール瓶をもって各テーブルを廻り、ビールをついでいる人。このような状態なら、祝辞を中断してもやむなしと思えることもあります。でも数年前さすが! と思ったことがありました。地区選出の伊藤公介前官房長官の話し、今の医療について、具体的な数字を上げて如何に先行き行き詰まる危険性があるか、特に海外の事例を参照にあげて、まさに聞いている人を引き込むような見事な祝辞と云うよりは演説がありました。その時はみんながシーンとして聞き入っていました。この人、よく勉強しているなと思わせる上に、聴いている人を引き込む話術に私自身驚かされたことを覚えています。これを鑑みれば、原稿を放り投げた市長さんに云いたくなります。若者の門出を祝う祝辞であるなら、原稿なんか読むなよ! と。自分より遙かに年下の人間を相手に人生論をぶち上げるなら、喋ることくらい頭に入れて来いよ! と云いたくなります。もしこの人が聴衆を引き込むような内容、話術を持ち合わせていたなら、怒って放り投げなければならないほどシカトされることはなかったのではないでしょうか? (シカトの語源をご存じですか? 花札のモミジ、鹿はモミジを見ていないんです。無視しているんです。だから鹿頭=シカトとなったんです) 本当に市長自らが書いたのかどうか分からないような原稿を壇上で棒読みしていたのであれば、それはシカトされても仕方ないかもしれませんね。だからこそ私自身も自分の看護学校の講義の中で、如何に学生達が興味を持って聞いてくれるか、私が教えるのは解剖生理学や病理学等基礎医学ですが、臨床的な事例、学生達が興味をそそられるような実戦に沿った例を挙げながら講義を進めているんです。だから時々怒ることはあっても、講義を放り投げたくなるような事態にはなっていません。まあ、いつも目の敵にしている携帯電話だけはせめてバイブレーションにしてくれると良いと思いますが。