研修医の受難
今新聞記事やテレビ番組で”研修医”が話題によく挙がり、すったもんだしていますね。なかなかの酷評も多く、ホントに悩んでいる研修医の先生も多いのではないでしょうか? 日本の研修医システム、まだまだ不備だらけだとは思いますが、当事者達はただ決められたコースを走るのみ、自らこれで良いのか? なんて自問自答している余裕なんてさらさらないはずです。じゃあどうすればいいの? 答えはなかなか難しいはず。世間の人達の発言力が強まる中で、頭数で少ない当事者達は八方ふさがりになっているような感が否めません。勿論私が解決策をぶち上げられるほど簡単な問題ではありませんが、少なくも同業の後輩達を養護する立場でこのコラムを書いてみました。長編になるので、4つに分けました。やはり国上げての討論が必要だとは思いますが、先導する○○○○省だってホントに頼りになるの?
まずは私の研修医時代を振り返ってみました。At Randamに書いてみます。以前にもコラムで少し触れたことがあるはずですが、私の研修医時代はこんなでした。是非聞いてやってください。
確か医師国家試験の合格発表が5月半ば、私の医師免許交付日は5月28日になっています。それ以前にもう既に自分が入局する医局は決定していましたが、一応初出勤は6月1日付。国家試験の出来の悪かった私は眠れない夜を過ごしていました。ホントは結婚式の準備をするはずだったのですが、「とりあえず合格発表までは待ってください。」と云ったのは他でもない私でした。辛うじて? 医師国家試験には合格、これで医者になれるぜ! と思うのも束の間、早速6月1日に勤務開始。私の入った大学病院の外科医局は希望すればレジデント・ルームと云う寝泊まりする2坪くらいの部屋を病院の中に与えてもらえるのです。私は車で通勤でしたし、自分の住むところはあるのでそんな部屋は要らないんですが、「要りません。」と云うのは如何にも最初からやる気がないように思われそうで、「是非とも貸してください。」と申し出ました。教授も「研修医は寝る暇もなくなるから、仮眠出来る部屋を確保しておけ。」と云うスタンスで我々に話していました(これが罠だったぜ)。レジデント・ルームで夜寝ていると、受け持ち患者についていくらでも遠慮なく叩き起こされました。
勤務して最初の約2週間はオリエンテーション、外科に限らず内科や血液センター、放射線科、薬剤部などの先生からカリキュラムに乗っ取って説明を受けます。手帳とペンは手放せません。片っ端からメモ。この時血液内科の先生が輸血に関して説明をされたときの言葉が印象深く残っています。「おしっこは汚くない、うんこも汚くはない、だけど血液は汚い。」って。つまり肝炎ウィルスがあるかもしれない血液の取り扱いには充分注意しろと云うことなんですが、うんこはやっぱり汚いと思うんですけれどね。血液に関して怖かったのは輸血をするときのクロスマッチ、つまり輸血が必要なときに血液型を合わせるのは勿論ですが(これの間違いも最近多いようです)、輸血を受ける患者さんの血液と、輸血する血液が特異的な反応を起こさないかどうか、患者さんの血清と輸血用の血液の血球成分、また逆に患者さんの血球成分と輸血用の血液の血清とをそれぞれ混ぜ合わせ、凝集反応を起こさないかチェックするわけです。昼間は血液センターがこれをやってくれますが、夜の緊急手術や患者さんの急変等では我々研修医の出番です。もちろん上司はそんなことしてくれません。どんな夜中でも同級生の一人や二人、探せば必ず病院内にいます。友達を捕まえて「ねえ、これからクロスマッチするんだけれどつき合ってよ。」と頼みます。勿論断る奴はいません。お互い様ですから。そしてスライドガラスの上の検体を見せながら「な!な!間違いないよな!」って何度も確認、相づちをくり返すわけです。研修医時代に上司から「クロスマッチ要らねえからB型の血液全部持って来い!!」なんて云われて吹っ飛んで行ったことがありました。
さて給料の件ですが、私が6月末日に受け取った給料、封筒に現金が入っていました。殆ど家に帰らず、殆ど寝れず、食事も病院内でとり、そんな生活を1ヶ月やって封筒の中身は4万5千円、もちろんこの金額では源泉税は引かれません。自分が病院内で仕事をしていた時間数で割ってみました。時給90円ちょっと。マクドナルドのアルバイトの1/8くらいですね。労働時間は1日平均16~17時間、労働基準法違反じゃねえか! なんて云うことは出来ません。外科の助教授が私達におっしゃっていました。「君らが給料もらうなんておかしいんだよ。ホントは月謝を払うべきなんだから。」って。なら病院辞めるよ........。テレビの報道では研修医の給料が20万くらいのところもあると云っていました。それなら良いよね。とりあえず人並みの生活出来るじゃん。4万5千円じゃ生活出来ないもんなあ。と云うかとりあえず出来るんですよ。3食病院で患者さんと同じ食事なら食券が出ますし、まず病院から出なければジュース代だけで済みますからね。半年経つと、あの悪名高きアルバイトが許可になります。週1日、夜の当直、それから月に1回土日の当直。これでだいぶ余裕が出来ます。私の行っていたところでは、当時夜の当直料が1泊2万8千円、土日の泊まりで12万円くらい、大学病院の時間外手当もつきますので合計月収30万円くらい、これで20歳代としては世間よりやや良い収入になります。(割って時給に直したらまだまだだぜ)
はっきり云って研修医は、大学病院内では臨床実習に来ている医学生の次に低い身分です。ナースも遠慮なく研修医を顎で使います。この辺で研修医は仲良く出来るナースと、そうではないナースとを嗅ぎ分けることになります。中にはナースとめでたく結婚に至るドクターもいます。あの厳しい世界で天使を見たのでしょう? 私の研修医時代出始めたポケットベルは、暗黙のうちに持つことが義務づけられています。初めは「あっ! 僕を呼んでくれたんだ。」と嬉しい気持ちも束の間、もう奴隷と同じ感覚で上司からもナースからもしょっちゅう呼びつけられます。ナースから「先生! 頼んであったことやってくれた?」なんてしょっちゅう、それから気を付けなければいけないのが教授、助教授、講師の先生から呼び止められること。たまたま目が合ったと云うだけで「おい、Tak。論文用に○○○(薬の名前)を使った患者のカルテを集めてくれないか?」と来ます。これに捕まると1~2週間どっと余分な仕事が増えます。上司と廊下ですれ違うときには、まだ距離の空いているうちにさっと挨拶だけして、すれ違う瞬間は下を向く。悲しくも経験から会得した研修医の習性になるわけです。「後で俺の部屋に来てくれないかなあ?」なんて云われた日には最悪、そんな時は仲の良い同級生やナースに「何時何分に僕のポケベルを鳴らして。」と頼んでおいて体よく中座します。これも自らの防衛手段。私の勤めていた日赤で、虐げられていた研修医でついに切れてしまい「研修医だって医者なんだあ!!!」と大声を上げた若きドクターがいました(気持ち分からないでもないけれどね)。
研修医はだいたい慢性の寝不足です。だからいつでも、どんな場所でもサッと仮眠を取れる習性を会得します。手術中に立ったまま寝ちゃうこともあるんですよ。手術と云うのは執刀医、第一助手は決して眠くなりません。研修医は”鈎引き(こうひき)”と云って、熊手みたいな器械で肝臓や腸が術野に入り込んで邪魔にならないように、ただひたすら押さえているんです。まあ、その手術を良く見ていろと云うことなんですが、これが結構辛い。手術が6時間、8時間と長くなると睡魔との戦いが始まるんです。いつぞや私の同級生がぼやいていました。ある大きな手術に他大学から著名な教授を呼び、その技術をみんなで見て学ぼうと云うことになりました(云い出しっぺは一人でしたが)。幸運にも彼はその素晴らしい?手術の鈎引きになりました。かなり深いところに手を入れる手術、勉強熱心な彼は頭をグッと乗り出して術野を見ていました。するとどうも手術の邪魔になったらしく、その教授が「鈎引きは術野を見るな!」と怒鳴りつけました。「見ちゃいけない手術だったら、わざわざ来てもらわなくても良いよな!」彼が私にうち明けた本音です。ごもっとも。この彼にはもう一つ想い出があります。彼が当直、私が夜遅くなり帰りそびれて当直室の空いたベッドで二人で寝ていました。すると明け方呼び出しの電話が鳴りました。当然当直である彼が出るべきなのですが、なかなか出ません。「おい!△△、早く電話取れよ!」って私が二段ベッドの上から彼を見下ろすと、彼は目をつぶったままサンダルを耳に当てて「もしもし!もしもし!」と必死に答えていました。
もともと研修医は寝不足ですから、とりあえず”鈎引き”をやっているだけなら脳みそは動かなくても仕事になります。あまり疲れてくると幻覚が見えてくるんです。術野の血だまりに溶けだした油分が黄色く浮いています。そこに手術用の無影灯の光があたり、黄色い油が動物に見えたり人の顔に見えてきたりするんです。それとエンドレステープでかけているBGM、確かに手術の緊張をほぐすBGMは良いのですが、定期的に同じ曲がくり返し聞こえてくると、「あと何回この曲を聴いたら解放されるんだろうか?」と思うようになってきます。やがて廻りの景色もぼやけてきます。そして立ったまま意識がなくなります。お腹を手術台のへりに押しつけて寄りかかっているので安定は良く、ひっくり返ることはないのですが、時に体重をかけていた膝がガクッと折れます。そこではたと目が醒めるわけです。そうすると隣に立っている上司の頭突きが飛んできます。手術が終わり外科医お互いや、麻酔科の先生、ナース達に「ありがとうございました。」と云って手袋をとり、ガウンを脱ぎます。すると現実の世界に戻っていくと同時に、全身に虚脱感がこみ上げてきます。当時は私は朝食を食べる習慣がありませんでした。長い手術があるときは朝食べて行きますが、受け持ちの手術がないときは食べません。ところが! 朝食を抜いたまま、「おい、Tak、今から○○斑の食道のオペ、ちょっと鈎を引いてやってくれ。病棟の方は俺がやっておくから。」と突然赤紙にも似た召集令状が来ます。朝食抜きで夕方6時半まで手術が続いたときは、さすがに体力のある私も手術が終わってから倒れました。非常に貴重な低血糖の体験をさせていただきました。それが分かってくると、低血糖を起こしそうになるとナースに頼んで手術用のマスクの横からストローを突っ込んでもらい、50%のブドウ糖液のアンプルをチュウチュウ吸います。これでしばらくは大丈夫。我が医局でも大体みんな一度は術後に倒れた経験があるとのことです。私の先輩は感心なことに、「すみません!」と謝りながら倒れたそうです。
私も研修医時代、結構患者さん相手に辛い思いをしています。患者さんから「先生には点滴をやって欲しくない!」と云われたことがあります。何とも刺しにくい血管の人だったんですが。確かに針を刺すのに上手い下手はありますが、それは経験によって培われていくもの。点滴の刺入なんざ上司はやってくれませんからね。もちろん、今じゃ大したものですが、やはり勤務し始めの頃はなかなか上手く行きません。イヤな顔をされて本気で悩んだことがあります。その患者には私の”ヘアトニックの臭いが気にくわない”まで云われました。しかし1年後には私の下に更に新入生の研修医が入り、患者さんからは「あの先生がやる前にTak先生やってよ。」って云われることもありました。私は「ハイハイ。」と云ってやっていましたが。でも現在での私の正直な気持ち、”点滴や採血の針を刺すくらい我慢してくださいよ。”大学病院というのはそんな若き研修医の研修につき合ってもらうからこそ、高度な医療を受けることが出来るのですよ。その代わり、研修医や或いは執刀する先生のそばに指導医と云うベテランの先生がいるわけですからね。何年生のドクターがどんな手術までやると云うのはしっかり決まっているんです。全ての手術を教授が一人でやっていたら、そこで各医師の技術の向上は止まってしまうわけですからね。その代わり、教授や助教授、講師と云った指導医の先生が手術を教えながら立ち会ってくれるわけです。
研修医も2年目になると、小間使いは少し減りますが、ある程度責任を負わされ、更にストレスが貯まっていきます。私の医局はまだ比較的新しく、教授があちらこちらにパイプを作って医局員を派遣し、これから増えてくる医局員のアルバイト先を開拓していました。特に夜のバイト、断らなければ帰る家は必要なくなります。夕方5時ころ、暇そうな顔をして医局に行こうものなら、「おい、今夜△△病院の当直に行ってくれ。」と命令が下ります。大学病院の当直か、病棟に重症患者を抱えていない限り断ることは出来ません。医局に行かないまでもポケベルで呼び出され、「今夜は何処かの当直か?」と聞かれ、そうして今夜の寝床が決まるわけです。夜のバイト病院にも眠れるところと一睡も出来ないところとあります。それを上手く自分で調整しないと、また手術の後に倒れることになります。「エ~ッ?!、昨日は□□病院だったんで、そこは勘弁してくださいよ。」なんて言い訳しますが、ダメなときは自分の意見は通りません。得てして、眠れない病院ほど給料は良いのですが、中には楽なのに高い病院ってのもあるんです。でもそう云うところは上級生が取っちゃうんですね。中には日払いで封筒入りのキャッシュで支払ってくれ、更にその封筒に”御礼”と書いてあるところがありました。つまり、御礼と云うことは、申告しなくて良い訳です。私は常に車のトランクに1週間分の着替えを積んでいました。新婚間もないころも女房に「今度はいつ帰って来れるか分からない。」と云って家を出ます。私は新婚1年目、1年間365日のうち192日泊まりでした。結構外の病院で覚えたことも多かったように思います。普段大学病院で使い慣れた薬以外に、病院病院によって在庫が異なり、そんな知識は随分外で蓄積しました。特に私の大学病院のローテーションでは4ヶ月の内視鏡室の勤務がありました。内視鏡ばかりやるのですが、この時期は病棟フリー、つまり患者さんを受け持ちません。束の間の憩いの一時でした。その代わり夜のバイトは内視鏡室に勤めている奴から捕まっていきました。しかし、お金も結構入ってきましたよ。結局使う暇がありませんから。27歳にして、当時でも結構高かった3リッターのソアラが頭金なしの24回払い(もちろん研修医如きにボーナスは出ません)で買えました。この時期に会得したもの、何とか自分一人でも頑張る自信と、寝ないでも仕事が出来る不屈の体力でした。
重症の患者さん、若しくは食道や膵臓など大きな手術の術後の患者さんはICU(集中治療室)に収容します。研修医の受け持ちがICUに入ると云うことは、”家に帰ってはいけない”と云うことを意味します。私は勤務医時代、幸か不幸か重症患者に巡り会うことが多く、ICUでは常連でした。だからICUのナースと仲良くなりました。患者さんはいわゆる”スパゲティ”状態。多くの患者さんはレスピレーター(人工呼吸器)がついており、この時は患者さんの呼吸管理について大いに勉強になりました。しかし、ここで一つ難問があるんです。当時のICUにはレスピレーターが3機種あり、それぞれ設定の仕方が違うんです。やはり自分の得意な機種とあまり得意ではない機種があります。研修医如きに機種を選定する権利はありません。ICUにずっと引きこもり、患者さんの血液を採ってはダイヤルを微調整していく事をくり返していました。ICUでは患者さんの尿量が非常に大事になります。尿量が思うように確保出来ないと、一生懸命尿道に入れてあるチューブを傾けたり、ギュギュっと絞って出てこい、出てこいと念じたものです。
ICUでは患者さんが急変することも多いのですが、ナースやドクターがすぐそばにいるのが強み、私自身も青ざめたことがあります。大きな手術をした直後のおばあちゃん、凄く痛がって痛み止めを私に懇願してきます。私は「うん、じゃあ今少し楽にしてあげるからね。」と患者さんに云って、点滴のチューブからやや強めの鎮痛剤を血管内に入れてあげました。即効性ですから「どう? 少し楽になった?」と聞きながら患者さんの顔を見ると........、ゲゲゲゲ! 呼吸してない!! そう、鎮痛剤の中には呼吸抑制が来るものが結構多いんです。慌ててナースを呼び、人工呼吸をしながら気管内挿管して人工呼吸器をつけました。まあ、私の目の前で起きたことですので事なきを得ましたが、この時は結構焦りました。上司に報告すると、「まあ良くあることなんだよな。」との答え。今までよく使っていた薬ではあるのですが、それからしばらくはなるべく避けて通るようになりました。
研修医は大学病院では下っ端扱い、大学病院のナース達にとっては体の良い小間使いです(時に恋人、或いは結婚相手となることもありますが)。ところが、バイト病院に行くと研修医、ベテラン医師の区別はありません。しかも研修医と云えどももてます。私が初めて夜のバイトに出たとき、綺麗なナース達に「先生も詰め所に来て一緒にお茶でも飲みませんか?」と誘っていただきました。誘われて行かないわけがありません。もう前払いで給料をもらっていたので気も大きくなり、「お寿司でもとろうよ。」と云いだした私は3人のナースに特上をご馳走していました。その日は病棟も落ち着いていてナースコールは鳴らず、2時間以上楽しくおしゃべりをしていました。土曜の夜から月曜の早朝までいて、診た患者は腹痛の女の子とバイクで転んで膝をすりむいた若いアンちゃん二人だけ。これで12万(申告不要)ももらっては申し訳ないなあと思っていました。
如何でした。こんな経験を積みながら現在の私に至っているわけです。受難とは銘打って、体力の限界まで追いつめられた私の研修医時代も、今振り返ってみれば結構楽しかったと思います。そして徐々に知識を身につけ、少しずつ経験しながら技術を会得して成長していく自分に、「やっぱり医者って面白い!」と思ったのが正直な気持ちです。しかし、稀には医者になってから自分には向かないんだと思ってしまう人がいることも確か。私は看護学生の講義の最初にいつも話しますが、医者もナースも仕事が楽しくなくなったらそれは地獄だよと説いています。これはホントです。おじいちゃん、おばあちゃんに手を握られ、「ありがとうございました。」って涙を流しながら云われることに喜びを感じないとしたら、医師と云う仕事は地獄以外のなにものでもありません。何も”おひねり”をいただかなくても良いんです。巡り会えて良かったと思っていただければそれで良いんです。よく知り合いから聞かれます。「主治医の先生にどれくらい渡したら良いのか?」と。私の答えはいつも必ずこうです。「気持ちが伝わればそれで充分ですよ。それと必ず退院の時にね。」って。私は私立の病院にしか勤務したことがないのでもらうことは差し支えないのですが、退院直前に「そんなお気を遣われなくて良いですよ。」と一度お断りして、もう一度「そんなことおっしゃらず。」と薦められたときは喜んで受け取ることにしていました。そのかわり入院時や手術前には絶対に受け取りません。そんな時は、「退院の時に私のやったことに満足していただけたらまたお願いします。その時は喜んで受け取りますから。」とお断りしていました。まあ、怒る人もいらっしゃるかも知れないけれど、それが自分のしてきたことに患者さんが満足してくれた証し、勲章みたいなものだと考えていましたから。中には5万円もする聴診器をくれた患者さんもいらっしゃいました。Diaryに書きましたが、10年以上その聴診器を使ってきました。正に私にとっては勲章ではないでしょうか?
今までお話しましたように(だいぶ暴露しちゃいましたね。書けない部分があるのも事実ですが)、私の研修医時代は、振り返ればこんな良いことが多かったように思います。でも、最近の研修医は風当たりも強く大変みたい。途中で科を替えてしまったり、或いはDrop outするドクター、はたまたこれからのところで自らの命を絶ってしまう最悪のシナリオになってしまう若きドクターも少なからずいらっしゃる様子。ホントに残念です。医者の世界って閉鎖的で、ピラミッド型で、時に足の引っ張り合いもある、これは私も否定はしません。でも医者の世界に限ったことではないでしょう? どの世界にもあることですよね。でも医者だけが何故特別視されるのか。一番の理由はやり直しが効かない、ミスに対してお金で解決しない(お金しかやりようがない?)ことがもっとも大きいのではないでしょうか? 命と云う特別なものを扱うわけですから。最近研修医のシステムが取り沙汰され、いろいろ文句を云われていますね。まあ、これは研修医のせいではないのですが、インターン制度復活との過激な意見も出てきているようです。アメリカではレジデント制度と云うのがあるのですが、このレジデントでもそこそこの経験を積んだドクターはオールマイティに様々な診療をこなす優秀なドクターであることを聞いています。今国を挙げての”聖域なき見直し”がなされていますが、業者を潤わせるためのやらないでも良い道路工事と、人の命がかかっている医療とを同列に並べて論じられている以上はなかなか改善しないでしょう。どうやら国を引っ張って行く人達が少し我々の感覚に近付いてきた様子、これを邪魔する旧体制や既得権にしがみつく官僚達を如何にうまくかわしていくか? これが今の政権の一番の課題ではないでしょうか? 批判を覚悟で敢えて断言します。人の命を預かる医療は聖域ですよ! だからこそ我々も日々勉強しなければならないんだし、医療全体が進化しなければならないんです。聖域に携わる覚悟をしてこの世界に入ってきましたし、現在もその覚悟を持っています。人の反対を押し切って海を遮断するのと一緒にされたんじゃかなわないよ。医療の発展に反対する人がいますか? しかしここ数年で少し医療のしくみは変わるような気がしています。それには患者さんの側も、我々医師の側にも痛みは伴うでしょう。私はその痛みを甘んじて受ける覚悟は出来ていますよ。だけど既得権に群がる奴らのために痛い思いをするのはまっぴらです。もし研修医の若きドクターがこのコラムを読んでいてくれたなら嬉しい限りですが、私も心から応援しますよ。あなた方は余計な心配せずに、日々の診療に邁進すれば良いんです。身体を動かしてその日その日を大事にすれば、いつの間にか実戦を戦い抜ける知識と技術が身に付きますから。是非そんな方、Mailを送って下さいね。