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あの頃なりたかった大人

 今日街を歩いていて何気なく目に入ってきたキャッチコピー、ブルース・ウィルス主演の映画なんですが、”今のあなたはあの頃なりたかった大人ですか?”と云うもの、何故かドキッとさせられました。それにしても良いキャッチコピーですよね。これでこの映画を見たくなりました。その後一人で食事をしに店に入っていったのですが、オーダーした料理が出来るまでずっと自分が小さい頃どんな大人になろうとしていたのかを振返って思い出そうとしていました。私はなりたかった大人になっているのでしょうか?

 小学校の頃は本気でプロ野球の選手になりたいと思っていました。クラス対抗で放課後によく野球をやったものですが、大体わたしはショートかピッチャーでした。クラスの同級生にリトルリーグに所属していた奴がいて、どうしても彼より速い球が投げられない、そして彼に追いつくべく練習をしたことがよくありました。また私は小学校の授業ではとにかく体育が好きでした。体育大学に行けばずっと体育が出来る、体育の教師になりたいとは思っていなかったのに、体育をやりたいと云うだけで体育大学に行きたいと思っていたようです。

 中学生になるとやはり父親の仕事に憧れるもの、この頃から私は医者になりたいと思うようになりました。どんな医者になりたいか? 完全無欠の外科医でした。決してミスを犯すことのない医師を目指していたようです。その割には勉強はあまりしませんでしたね。やはりこの頃も運動が好きで、私はバスケット部に所属し、土曜の午後から試合のあるような日の午前中の授業は上の空。割と私の中学時代のバスケット部は強かったんです。都大会に出るのは当たり前! みたいな感覚でした。その頃比較的英語は得意でしたが、数学はあまり良い点数が取れず、物理や化学、生物などの理科に至っては惨憺たるものでした。父親に「僕は医者になりたい。」と宣言したのは中学2年生の時、父はねじ伏せてまで医者にさせようとは思わないが、お前がなりたいなら協力すると云うスタンスでした。でも「僕は医者になりたい。」と宣言した時には父がうっすら涙していたのを今でも朧気に覚えています。

 高校に入ると担任の先生からPTAの時に母に話がありました。「医学部受験を目指すのであれば運動部に入ってはいけない。」と。その話が父に伝わり、結局私は好きなバスケットを諦めなければならない事になりました。クラブの先輩からは何故来ないんだ? と何回も責められましたが、確か自分ではハッキリと理由は明かさなかったように記憶しています。そして放課後は予備校の補習へ。この頃予備校で一緒になる他校の女の子が好きになり、将来自分がどうなりたいかを話したことを覚えています。この頃にはもう私は運転も出来ない車が好きで、”Car Graphic”と云う雑誌を毎号買って、彼女に将来は医者になってこんな車に乗りたいんだと、フェラーリやポルシェの写真を見せたものでした(あの彼女は今どうしているんだろう?)。この頃になりたいと思っていた自分が、正に今日見た映画のキャッチコピーとオーバーラップするのではないでしょうか? 実は今だから話せますけど、いろいろあって予備校にもあまり行かなくなり、新宿当たりでほっつき歩いていたことが多かったんです。それも高校の制服のままで。今でこそ歌舞伎町あたりには高校の制服で歩いている女の子も多いのですが、私の高校生当時はあまりそんな奴がいなかったように思います。まあ遊びほうけていても、将来は医者になって、父の診療所を継いで、好きな車に乗ってと考えていましたから、とりあえず”今のあなたはあの頃なりたかった大人ですか?”と聞かれれば、”almost yes!”と答えられるのではないでしょうか?

 最近よく昔のことを思い出すようになりました。年とった証拠でしょうか? 高校時代の同級生と未だに飲みに行く機会も多く、よく昔話をすることもあるのでなおさらのことなのだと思います。同級生達もいろいろな会社で役職に就くようになり、お互いに成長したものだと話し合います。ついこの間も「○○は今こんな仕事をしていて、責任を持ってしっかりやっているよ。」と云う話から「エッ? あいつが? 信じられない。あり得ない。」なんて誰かが云っていたなんて話しになりました。もちろん同級生から見れば私が人のお腹を開けて手術をするなんて信じられないでしょう。そんな中でも飲みに行くうちに信頼関係も出来、私は彼等に保険やコンピューターの相談、依頼をお願いし、逆に私は彼等の胃カメラをしたりしています。彼等を見る限りやはり同じ質問を受ければ”yes!”と答えるのではないでしょうか? 米国アップル社のCEO、スティーブ・ジョブスが最近あったテレビのドキュメンタリーの中のインタビューで云っていました。最近の起業家を目指す若い人達に「どのような人間になりたいのか?」と尋ねるとみんな「金持ちになりたい。」と云うんだそうです。彼は「それなら起業家になるのは止めろ。」と答えるんだそうです。確かに金持ちになりたいと云うのは正直な気持ちだとは思うのですが、それは後から付いてくるもの、やはり仕事をやるときはコツコツと真面目にやっていくべきなのでしょう。そして私の信念の如く「遊ぶときはとことん遊ぶ!」、これが出来ると云うことは、少なくとも自分が満足できる範囲まで遊べると云うことは幸せなのだと思います。我が子達にも云っています。勉強するときは一生懸命、そして遊ぶときはもっと一生懸命、と。得てしてその本当の意味が分かるのは年をとってから、自分がやり直すことが出来なくなる年齢になってからと云うのが何とも皮肉に思えます。よく私が若い人と話をするときに、その若い人にこんな質問をすることがあります。「あなたにとって青春の定義は?」って。みんなそれぞれ答えはしてくれるんですけれど、なるほどって思うことはあまりありません。辞書を引くと”年が若く元気で、人生の春にあたる時代”と書いてありました。全く違いますよね。私の答えは”やり直しができること、そして恋ができること”と云っています。そう、だから私と同じ年齢の友人でも青春の真っ直中にいる奴がいます。私は? まあ開業医として地域に定着し、なおかつ今更恋は出来ませんから(但し女房には今でも恋をしています)、どうやら私の青春は終わりですね。私自身、もっとやっておけば良かったと思うこともしばしばあります。学校の講義でも若い人達に大いにそのことを考えてと訴えているのですが。この次の講義では是非”今のあなたはあの頃なりたかった大人ですか?”を自分のことも含めて若い人達に話すつもりでいます。