下請け
最近、公共工事や通常の建築工事を見るにつけ、非常に高額の報酬を受け取るゼネコンや建築会社の構造に疑問を持つようになりました。と云うのも7年前に当院如きの小さな改築工事を似つかわしくない大手ゼネコンに依頼し、結局いろいろなボロが出てきたところでその対応について大いに不満があるからに他なりません。公共工事では入札と云う形で大手が安く品質の高い工事をする約束をして契約をとります。そしてその契約を取った大手が自分の抱える下請けにそれぞれ仕事を分担し、司令塔のように機能しながら一つの目標を目指しています。その司令塔が高ければ高いほど、それにぶら下がる下請けの数が多くなり、その中で多くの人達が生活の糧を得ているわけです。その下請けの中には確かな技術を持ってその目標の創造に大きく寄与するばかりではなく、その後のアフターメンテとして腕を振るう場面も多々あるはずです。人それぞれの役割があり、そんな下請けの中で力を発揮する人が多くいるのも事実です。別に建築に限らず、最近聞いた話では、ある私とつき合いのあった会社が携帯電話の部品で特許を持っているために他の部門の事業までカバーすることが出来る、或いはかつてのプラモデルのモーターを作っていた会社が、携帯電話のバイブレーター用のモーターを手がけるようになって急成長したと云う話も聞き及んでいます。今ここで良い例ばかりを挙げましたが、その一方で悪い例もあるはず。有名な大手の陰に隠れて、まともな仕事も出来ない会社がかろうじておこぼれを頂戴する様も見てきました。大手から云わせれば「あいつらはどうしようもないのだけれど、それを巧く制御するのが我々の仕事なのだから。」となることもあるようです。高校時代の冬休み、私も欲しいものがあってアルバイトをしたことがあります。その時の話ですが、私がそこの会社の社員と車に乗って、ビルの間仕切りをやっている現場に赴いたときの話。その間仕切りのパネルに大きな擦り傷がありました。その傷が丸見えの状態で間仕切りが施されています。私と同行した正社員は下請けのアンちゃんに指示して、その傷を巧く見えないようにパネルを入れ替えました。傷物もそうやって無駄にしないで済んだのです。その時、彼が私に自分達がそのような監督をしないと顧客が満足するものが出来上がらない、下請けの人間をしっかり監視しなければならない旨話しました。バイト料は今から思えば決して高くはありませんでしたが、ここでも人生における教えを得たような気分になっていました。自動車を作る場合でも、いろいろなリサーチをする場合でも、分野が全く違ってもやはり下請け、孫請けと云う関係は成り立つようですが、私の見える範囲では特に建築分野においてこのような関係が多く見受けられました。
これは私の偏見かも知れませんが、このような建築関係の会社に属する人は大酒飲みが多いように思っています。当院の患者さんでもべらんめえ調の親方風の人で、肝臓を悪くして通っていると云う人が少なくありません。確かに腹を割って話をする上では酒が良い潤滑油になることは確か、お互いに相手に気遣いやはたまたおべっかを遣わなければならないと云う抑制がとれて、本音で話が出来るようになるのは私も認めるところです。今話題にしている下請けの人間に対してもそのような抑制をとりながら仕事の打ち合わせ、或いは仕事を一緒にしていく上での人間関係をスムーズに持っていく目的で一緒に酒を飲むってことは、世間で幾らでも転がっている話だと思います。むしろこんな人達は仕事が朝早くから始めるのが常、夕方早い時間から飲み始め、早々に家に帰って早く寝、そして翌朝の早朝には現場に立っていると云うのが一般的な姿だと思っています。昔、ある人からそんな建築会社の重役について「あの人は酒を飲むのが仕事だから。」と聞かされたことがあります。当時はその世界はそう云うものだのだろうと自分なりに納得していたものですが、それが今回のような疑問を持つのにしたがって、ホントにそれが本来の姿なのであろうかと、これも疑問に思うようになってきてしまいました。酒の上での約束や合意には拘束力がない、詳しくは書けませんが今回私はそんなことを身をもって思い知らされた手前、そのような酒を飲みながらと云う風習が自分のやり方にそぐわないと考えるようになりました。最近ではそれなりの重要な約束をするときには、素面の時にキチンと話しましょうと云ってしまうまでになってしまいました。
自分の今の仕事(医療)に関しても、これに近い関係が見て取れます。下請けと云っては怒られてしまうかも知れませんが、患者さんの診療をすると云う目的の中では、血液検査の結果を出したり、患者さんの手術に使うガーゼや縫合糸を作るような人達も、或いはその下請けに相当するのかも知れません。縫合糸ひとつをとっても、使いやすいものからにすぐに切れてしまうような劣悪な品質のものがあるのも確かです。当然悪いものは自分の仕事にそぐわないと判断し、やがては使わなくなります。また逆に保険支払い基金や厚生労働省などから見れば、私の如き小さな町医者は、世の社会保障の下請けに相当するのかも知れません。ただし、下請けでも私の仕事の評価をするのはお上ではなく、患者さん達。やはり下請けである以上はキチンとした仕事をしないと、次回から仕事を廻してもらえなくなってしまいます。だから一生懸命やっていますよ。だからこそ、自分で頑張って患者さんの診療をし、丸投げみたいなことはしません。業種によっては下請けの技術いかんによって全体の仕事の評価が変わることもあると思います。現に私の診療所建築の場合も思い当たる部分があります。下請けって云うと如何にも脇役と云う印象を持ってしまいがちですが、実は全体の出来を左右する重要なキーになると思うようになりました。私自身も信頼される下請けであるべく努力をしていこうと考えています。