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不良中年

 先日、作家の野坂昭如氏があるバラエティ番組に出て、相変わらずの毒舌ぶりを発揮していました。この人を見るといつも思い出すのが、自らを称して呼んだ”不良中年”と云う言葉。未だ私の学生時代の頃、不良少年と云う言葉がにわかに云われていたのですが、それをもじってか、自らがそうおっしゃっていたのです。若い私には当時、ただの駄洒落程度の意味しかくみ取れませんでしたが、今この年になって(正に自分が中年にさしかかってきて、イヤ、真っ直中か?)その言葉が妙に魅力的に聞こえるようになってきました。野坂昭如氏と云えば私が強烈に印象に残ってるのが、友人のとある映画監督が表彰を受けたときに、壇上に上がり握手を求めながらいきなりその監督の顔を殴った時のこと。殴らなければいけない理由は分かりませんが、正に不良の所業だったのではないでしょうか? 働き盛りの中年男たるもの、ただ真面目に仕事一筋ではあまりにも寂しいではありませんか? 私も不良中年を目指したいと思っています。
 ”不良”と云う単語を国語辞典で引いてみると、”品行の悪い人”とあります。そして品行とは行い、ふるまい、行儀となっています。つまり行いの悪い人、ふるまいの悪い人、行儀の悪い人と云うことになりますね。決して犯罪者ではありません。しかし少年が不良であることはあまり誉められたことではありませんが、中年が不良であるともう少し意味合いが緩和される? まあ、あまり良いことでないことは確かですが。私はもともと”頑固”と云う言葉が嫌いです。私流に解釈するなら”頑固”とは年寄りのわがまま、若い人がわがままであればそれは責められますが、年寄りなら違う言葉を用いて責めを緩和している? 昔ながらの悪知恵が働く人が作り出した言葉ではないでしょうか?
 中学、高校の同級生にも不良がいました(私も片足くらいは突っ込んでいたかも)。中学時代に街(当時の吉祥寺)をほっつき歩いて飲食店に入ったりするのは不良だと云われました。当時ボーリングやビリヤードが流行っていましたが、そんなところに寄るのも、またゲームセンター(当時はテレビゲームではなく、主に今で云うピンボールが主流でした)なども不良の溜まり場でした。中学の時にタバコを吸って停学を喰らった奴もいます。そんな彼等(私も含めて)も今や一流企業に勤めて立派に仕事をしています。時々そんな昔のそんな仲間と飲みに行きますが、みんな今や重要なポストに就き、なかなか稼いでいる男もたくさんいます。ただ私の独断で云わせてもらうなら、彼等(私も含まれるでしょう)は未だ不良です。品行方正とはほど遠い奴らがたくさんいます。「まあ、遊ばなきゃやってられね~よ。」ってのが本音でしょうけれど、私もそれに賛成です。暴走族=不良とまで云って良いのか分かりませんが、派手な車に乗って隊列をなして高速道路をぶっ飛んでいくなんざ、正に不良中年の集団でしょう(さすがに私が一緒に走る仲間に少年はいません)。スピード違反で免停、簡易裁判なんてことは、正に学校で云えば停学に価するのではないでしょうか? 夜な夜なネオン街に飲みに出ていくのも不良たる証拠かも知れません。まあ、大いに楽しんでいます。「”頑固”と云う言葉が嫌い」と云うのと矛盾してしまうでしょうか?
 そのかわり不良少年と違うところ、得てして不良少年達はあまり勉強せず、成績はあまり良くありませんでした。成績優秀な不良少年を私はあまり見たことがありません。しかし不良中年は勉強します。学校で云うところの成績は我々社会人には仕事の実績と同意と思いますが、私の仲間の不良中年達は仕事の成績、実績もなかなかなものです。この不況の時代に立派な業績を生み出している男もいますし、どんどん事業を拡大している男もたくさんいます。そしてその専門分野で同じ不良仲間を助けています。私自身も医者や歯医者にお世話になることもあるし、生命保険や損害保険でもお世話になっているし、はたまた友人の専門分野でアドバイスを受けることも多々あります。逆に私が彼等の胃カメラをやることもあるし、中には悪い遊びをしてもらってきた病気の治療をすることもあります。お互い様でありながら、お互いに助け合っています。これぞ真の友人の姿ではないでしょうか?
 私も今しばらくは不良を卒業する予定はありませんが、まあ他人に迷惑をかけず、ましてや警察のお世話にならないですむ程度(車でニアミスはありましたが)に不良を続けていきたいと考えています。野坂昭如さんを久々にテレビで見てこんなことを考えてみました。きっと頷いていただける御同輩もいらっしゃるのではないでしょうか?