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体罰

 ある日の新聞に学校における体罰についての討論のことが記事になっていました。この記事を読んでホッとしたのが、今の若い人達の中で過半数が必ずしも体罰を否定していないこと、体罰と云う言葉そのものにもう既に偏見が入っているように思いますが、今国が如何なる場合も体罰は許されないと云う立場をとっており、ここに教育現場の”事なかれ主義”が蔓延する原因になっているような気がしてなりません。その記事の中で”魂がこもったこぶしは体罰ではない”と云っている若者がいましたが、教師の方も未熟となり、こぶしに魂を込めることが出来ない教師がいることも確かです。しかし、子供が成長する過程で殴られなければ分からない時期と云うのが必ずあると思っています。新聞の記事にも出ていましたが、殴られて痛かった、傷ついたと云っている子がいるようですが、何故自分が殴られるに至ったか? それを反省する部分があるのでしょうか? 教師に殴られるときは対等ではないと云っている子もいますが、ホントに先生と生徒が対等だと思っているのでしょうか? 生徒は先生に教えを乞うている身であることを全く理解していないようです。確かに殴られれば痛い、だからこそ他人を殴ったときのその人の痛みが分かるようになるんです。痛みが分からないから、気付いたときには暴行を加えた相手はもう既に事切れている訳です。
 まず私の場合、小学校から高校まで.......、思い返せばたくさんやられましたよ。まず小学校では担任の先生の往復ビンタが結構痛かったです。往復の往きよりも帰りの方が指や手の甲など硬いところが当たり、痛かったものです。体育の先生もホントに怒ると身体が吹っ飛ぶくらいひっぱたいていました。
 中学に入ると、私はクラブ活動の中で顧問の先生に散々蹴飛ばされ、スリッパで叩かれました。しかし、だからこそ我がチームは都大会まで出ることが出来ました。今現在でもその先生と一緒に飲みに行っています。体育の先生は竹刀を持って授業に臨み、その握り手の部分には”愛のむち”とマジックインキで書いてありました。英語の先生は凄かったです。質問に答えられないと云うことでみんな殴られました。しかし、私のクラスは学年の中ではあまり成績が良いクラスではなかったのですが、英語だけは良い成績をとっていました。正にその先生のスパルタ方式が効を奏したと思っています。放課後にクラスメートと濡らした雑巾を投げ合っていたことを女子生徒に告げ口され、担任の先生に呼び出され、塩ビのパイプでお尻を思いっきり叩かれました。それを事前に察知した私は、お尻のズボンの中にタオルを入れておいて難を逃れました。映画”小さな恋のメロディ”から仕入れた知恵です。それから私の中学校の担任の先生はバリカンを持っていました。虐めがあったときには、少しでも手を出した奴は全員丸刈りにされました。1日で10人以上が五厘刈りになりましたが、その中の一人の生徒のお母さんが担任の先生に「10人も普通のバリカンでやるのでは大変でしょう。」と云って電気バリカンを寄付しました。教室の前のロッカーの上に上って遊んでいたら、外から見ていた先生(全く我がクラスに授業を持っていない先生)が飛んできて一列に並ばせられ、端から思いっきりビンタを浴びせられました。そう、3階の窓際のロッカーですから、誤って転落したら即死です。「お前ら!死にたいのかぁ~!!」と怒鳴られてひっぱたかれました。
 高校ではやはり体育の先生が厳しかったです。平手でひっぱたかれることが結構ありました。大学ではさすがに叩かれたことはありませんが、医者になってから手術中に手を叩かれたり、頭突きを喰らったことがありました。でもそうやって自分自身が成長してきたように思います。
 私は自分の息子の柔道部の顧問の先生に「どうぞ、悪い時はひっぱたいてやってください。」と頼んでありますが、どうやら未だやられていないようです。現在では親が許可しても先生は手を出せないみたいです。私自身は自分の子供を今でもひっぱたきます。さすがに私が教えている看護学生に手を出したことはありませんが、叩いてやりたくなる生徒がいるのは事実です。また、学校の先生が生徒の親からとやかく云われ、思い悩んでいることが多々あるようです。私の外来にもそんな悩める先生が体調を崩して来院されたことが数回あります。今の先生達は精神的に病んでしまう場面がかなりあるようです。子供を叱ることが出来ない親も結構います。叱られない子供が正常に育つとは私には到底思えません。10代の若い子が凶悪な事件を引き起こす原因の一端がそこにあるような気さえしています。
 私の独断的な考えです。体罰と云うイヤらしい言葉を使うのを止めて、”教育的指導”と云う言葉で生徒をひっぱたくことを定義づけたらどうでしょうか? 大学の教育学部で身体のここをひっぱたけば怪我をしないと云う講義をして。お尻だったら直径10センチの青あざ(皮下出血)が出来たって心配ありません。それこそ私の中学の担任の先生のように塩ビのパイプを使ったらどうでしょう。細い方が痛くて効果があると思いますよ。自分が小さい頃に叩かれて、それが”愛のむち”であることを理解する能力を身につけないまま親になってしまうからおかしくなるのだと思います。かつてのGrumbleでも書きましたが、特に私立の小中学校では”愛情を持って生徒をひっぱたきますよ”と入学案内に明記すれば良いと思います。そして我が子が愛情を持ってしても叩かれるのがイヤであればその学校を受験しないと云うことにすれば良いではないですか? そのかわり、先生の方も充分な教育を受けて、自分を抑えることをよく学んで、それでもこの生徒は! と思ったときにはGo signが出ても良いと私は考えています。”事なかれ主義”では決して子供は良い方向には育ちません。確かに卒業してしまえば先生の責任はなくなるでしょうけれど、そんな子供が大きくなって、進むべき道から逸れるようなことがあれば、その責任の一部は学校の先生にもあると判断して良いのではないでしょうか? もっともっと議論が必要ですけれど、如何なる場合も体罰は許されないと云う考え方は事なかれ主義、教育現場での逃げの姿勢にしか私には映りません。ここにも日本がダメになっていく原因の一端を見る想いです。