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苔むす転石


 ”転石苔むさず”と云う格言があります。あちらこちらに身を置く場所を替えると得るものがなくなる? しかしこれは日本古来の考え方? 今の日本では、そして欧米では昔から、むしろ苔がたくさん生えてくるような環境へ石が自ら動いていくのが当たり前になってきたようです。むしろ年功序列、終身雇用のぬるま湯に浸かっていた甘い考えの日本人に、欧米のより実力主義で、自ら戦わなくては給料がもらえない、そして良い仕事に対する見返りの大きくなるやり方を押し進める起爆剤になってきたような気がしています。雑誌では”とらばーゆ”を筆頭に転職雑誌が次から出版され、特にバブル絶頂期にはより給料の良い処に転職するのが流行だったようです。それも若い人ばかりではなく、中間管理職に当たる40代の闘志燃える企業戦士達も。それも更にはヘッドハンティングと云う形で優秀な人材が引き抜かれることもよくあったようです。私がフェラーリに乗っていたときのディーラーの担当者も、某西ドイツの高級車の日本代理店に引き抜かれていってしまいました。彼もホントに事細かにユーザーである私を支えてくれたものですが、やはりこんな男は引き抜きに狙われてしまうんだなぁと思ったものです。彼は今や新天地で活躍、最近逢いましたが素晴らしい仕事をやってのけているようでした。また私の親友にもそのようなヘッドハンティング(彼自身はリクルートと自らの仕事を呼んでいますが)を専門にやっている男がいます。時々”今の仕事に嫌気がさしている優秀な人材はいないか?”なんて聞かれます。まあ私は出入りの業者以外にあまり会社に属する人間を知りませんから、殆ど彼の役には立てませんが。しかし一方で成績の上がらない人間には冷たいのも事実、彼自身が自ら引き抜いた人間に引導を渡さなければならない辛い経験談を聞いたことがあります。
 今やよく仕事をしてくれた部下に処遇を良くするのは当たり前、そしてよく仕事をしてくれない部下に、悲しいけれどペナルティを下さなければならない現実があるのも確かです。一時期”窓際族”なんて言葉が流行りましたが、不況の今となっては窓際にいて給料を貰えるだけまだまし、遠慮なく会社や上司から”死刑宣告”が下るようです。なかなか自分の部下を評価するのは難しいもの、上司として悩むことも多々あるでしょう。現に私も悩み、悲しい”死刑宣告”をしたこともあります。映画や漫画等で”お前はクビだ!”なんてことがよく書かれますが、私が高校時代にちょっとアルバイトで使ってもらった小さな会社で、社長自ら社員一人(40歳代後半くらい)を自分の机の前に座らせ、「それでは明日から出社には及びません。」と話しているのをたまたま目撃してしまいました。その人がクビになった理由は良く分かりませんが、話の内容からは積もり積もった理由から挙げ句退職を迫られたのが見てとれました。結局その会社そのものが後に経営が怪しくなり、今その人がどんな仕事をしているのか分かりませんが、或いは良いときに宣告されたのかも知れません。
 いつもついつい引き合いに出してしまいますが、アメリカでは日本における愛社精神なるものはだいぶ薄いようです。より自分に良い待遇を求めて、非常にクールに自分の会社を捨てることができると云う話を、アメリカでの生活が永かった知人から聞いたことがあります。そして更に会社の側にも、終身雇用で一人の役に立たない人間を甘やかしておくことは少ないようです。石は極力苔の栄養になるような川の流れを求めて転々とするようです。
 不況真っ直中の今の日本では、未だに引き抜かれる人材と、職が見つからず(決して就職に不利ではない30歳代の若い人材も含めて)右往左往している人材とが混在しています。中間の人がいないみたい。かつて聞いた話では、”日本にもホントの資本主義がやってくる。中間層がなくなり、勝ち組と負け組がハッキリ分かれてくる。そして貧富の差が開いて欧米のようになってくる。国はそのような方向を目指している。」と云うことでした。確かに”護送船団方式”、”寄らば大樹の陰”的な考えは非難の集中攻撃を受け、自分一人でも会社や組織の中で頑張って生きていかなければならないと云う考え方になってきているのをヒシヒシと感じています。国がそのような方向を目指していると云われるとゾッとしますが、小泉さんが大企業が倒産する中で、”構造改革が進んでいる証拠だ”と云ってのけるのも(決して一国の長が口に出すべき言葉ではないと私は考えますが)そんな考え方に基づいているのでしょうか? ホントにそうならその冷たい言葉にも説得力を感じてしまいますが。
 ”苔むす転石”とテーマを付けてこのコラムを書いていますが、確かに転がって苔をたくさん付けてきた知人も多く知っています。某外資系コンピューター会社の監督役に抜擢された奴、系列会社への出向を命じられた後輩、先ほどの車ディーラーの男も然り、たくさんいます。今では必ずしも永く同じ会社に勤めるのが得策ではない、欧米流の考え方が浸透してきたようです。かつて”働き蜂”と揶揄された日本人も、より余裕が出てきて仕事一筋から家庭を顧みる、一番大事なものは家族と答えるようになってきました。でもそれが本来の人間の生き方? 何に価値観を置くか? 正に価値観が変わってきたのでしょう。より人間らしくなってきたと云っていいのではないでしょうか? 会社に尽くしたってそんなに魅力的な見返りがないことに気付いてきたのだと思います。一生を捧げた会社が倒産じゃ敵いませんものね。