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2010年の日本

 だいぶ前のニューズウィーク誌に”日本経済 衰弱死のシナリオ”と云う恐ろしいテーマで特集が組まれていました。政府が国債の利払いの一時停止を発表、国際通貨基金に緊急支援を要請、国内の金融資産は海外へ逃亡、円を買い支えてきた政府の外貨準備も底をつく、大手銀行の倒産、銀座をホームレスがうろつき、スーパーの陳列棚は商品がなくがら空き、こんな2010年の日本の姿が書かれてしました。小泉内閣の構造改革は進まず、不良債権処理もデフレ対策も時間が経過するのを見るばかり、大半の国民が危機を実感していないと云うのも大きな問題だそうです。首相にも危機感を見てとれず、これだけ国民が酷い目を見ているのに自らの構造改革は進んでいるって。冗談だろ? 最近従業員の手続きのためにハローワークへ出向いたことがありますが、求職のフロアは正にごった返していると云う表現がピッタリの混雑ぶり、みんなカリカリしているようで、一種異様な雰囲気がありました。実際に自分がリストラの憂き目に遭わないとこの危機的な日本の状況が理解出来ないのではないでしょうか?
 私も感じています。これから日本は裕福層と貧困層に別れていくのではないかと。以前から云われている勝ち組と負け組にはっきり別れていくような気がしています。かつてソビエト連邦が崩壊したとき、決して全国民が貧困に喘いだわけではなく、その中で少数ではありますがニューリッチと呼ばれた若手企業家達が出てきたテレビのドキュメンタリーを未だに覚えています。ペイオフ凍結が解除され、ただ資産を持っていてもそれは確実な飯のタネの手段にはなり得ないようです。ややもすればアッと云う間に資産価値が下がり、ものによっては只の紙くずになることも。如何にして自分の資産を守るか? 持っている人はそれなりの苦労があるようです。一方私は借金のみ、これと云った換金できるような資産を持っていないのがむしろ身軽なのかも。しかしこのデフレの状況下ではなるべく借入金は減らして方が良いと云う話を聞いて不安を持っています。
 年度末決算はどうやら何とか切り抜けたようです。しかしまだまだこれから日本が乗り越えなければならない難所はたくさん、下げ止まりの景況感なんて見出しも新聞に出てはしますが、日銀の楽観的な発表は到底鵜呑みに出来るものではありません。切り抜けた3月危機も演出されたものだと切って捨てる声もあるようです。
 小泉政権が発足して1年が経過、その評価たるや惨憺たるものです。しかし当の本人は”1ヶ月しか持たないと云われていたのに1年持ったでしょ?”だって。今のこの危機的な状況を楽観視している(と云うよりそう云わざるを得ない?)以上進展は望めませんね。それに対してアメリカでは.......、同時多発テロと云う大きな障害を乗り越え、かつての経済成長を取り戻し、更なる躍進を目指す活況が見えてきています。この違いは何か? 国民の素質は決してアメリカのそれにひけを取らないはず。要はリーダーシップを取る人達が今や足の引っ張り合いをして自己の保身に躍起になっているのが原因と考えています。政治家しかり、官僚しかり、国民あっての国ではなく、国あっての国民と云う思想の元、大きな企業が倒れてもそれは仕方がないと流し、既得権にしがみつく奴らが国政を牛耳っている、しかしそんな堕落したリーダー達を選んだのは我々国民、その責任が自らへのしっぺ返しになっていると私は考えます。もうその二人は姿を消しましたが、日本の2大都市の知事にタレントを据えてしまうようなレベルの低い選挙民に今の政治の堕落を責める資格はないのではないか? やはり自ら蒔いた種で自らが窮地に追い込まれるのは止むを得ないと私は諦めの境地に立っています。
 では今後どうすれば良いのか? やはり今のリーダーを取り替え、真に国民(国ではなく)のことを考えてくれるリーダーを選出し、既得権にしがみつく奴らを排除し、そして国民一人一人が個人の利得ではなく、国全体のことを考えて行かなければならないと私は思います。まずはそのリーダーが出てくるのを待たなければならない、でも次のリーダーに控えている人達、私はこの人達も決して信頼出来るようには考えていません。やはり多くの識者が予言するように、2010年には日本は破綻してしまうのでしょうか? 自分自身よりも、自分の子供達が生きていく時代に大きな不安を持っています。