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ものを大切にすること

 私は小さい頃、よく親から「お前はものを大切にしない。」と怒られたものです。欲しいものがあって何とか手に入れても暫くすると飽きてしまい、そのうちに何処にしまっておいたのかさえも忘れてしまう、今にして思えば、我が子たちもそんな気配が。やはり血筋かと思いきや、そうではなくものの大切さが大人になって初めて分かる、ましてや子供の頃は親や他人から買い与えられたもの、今は自分でお金を払って手に入れたもの、そこには大きな違いがあることがこの歳にして理解出来るようになってきました。だから逆に子供達にものを大切にしろと云うのはちょっと無理ではないかと考えるようになってきました。大人になってその苦労が分かるまではやむを得ないのではないかと。
 従業員達にも時々注意します。ドアをバタンと閉めること、ラックの扉のネジが緩んでいたらすぐに締めること、パソコンのキーは速くても優しく叩くこと等々。よく注射器を落として割ってしまい、ナースが済みませんと報告しますが、それは大切に扱った上でのちょっとしたうっかりミス、そんなことはいちいち気にしていません。注射器なんてのは消耗品ですから。それに現在ではプラスチック製のディスポーザブルの注射器に変えていますのでそんなこともなくなりました。医療器械は非常に複雑なもの、通常の使用方法をしていても壊れることがあります。でも優しく使ってあげれば長持ちするものなのです。当院のレントゲンはもう既に15年目、しかし毎日少しずつ使うため消耗は緩やかで、未だに充分満足出来る写真が出来上がります。今これを交換すると云っても、現時点では到底予算がつきません。かと云ってなければ商売にならない、いつ寿命が来るか恐々としている処です。
 私の今乗っている車は故障が多いとされています。しかし、私は未だこの車でイヤな想いをするほど大きな故障はありません。よく他人から「故障は?」と聞かれますが、小さなパーツを除いては「殆ど皆無ですよ。」と答えています。世界最高品質を誇る国産車に比べればそれは引けを取るかも知れませんが、充分日常の使用に耐える耐久性をもっていると考えています。車高調整装置の油圧洩れが100%起こると云われていますが、私の場合は未だ大丈夫です。こればかりはいずれその時が来ると覚悟していますが、使うのは必要最低限、そして用が済んだらすぐに元に戻す、車高を上げたまま加速しない等充分な注意をしています。要は自分のものだからこそ大切にする訳です。ホノルルにフェラーリやランボルギーニのレンタカーがあったそうですが、すぐにクラッチがダメになってしまい、結局引き払ってしまったと云う話を聞いたことがあります。みんな自分のものではないから乱暴に扱う訳です。400馬力、500馬力あるエンジンの動力を乱暴に繋いでしまえば、クラッチなんてアッという間にダメになりますよ。当然のことです。
 今の世はディスポーザブル時代、高度成長の中でそんな認識が一般の人々の中に植えつけられ、ここ10年くらいで少し反省の様相が見えてくるようになりました。結局それが故に残ってしまったのがゴミの山、そして遂にゴミを溜めておくところさえなくなってきたので、今や国が慌て始めているところです。ゴミの山は宝の山? 結構使える良いものがゴミとして捨てられてしまうことが多いとのことです。それに現在ではものを捨てることについても料金が発生する時代、テレビや冷蔵庫を捨てるのにはずいぶん苦労するようです。かつてレントゲンの現像機の廃液は銀を回収するために業者が我々にお金を払って持っていったものですが、今では我々がお金を払って回収してもらうような事態になっています。全ての労力に料金がかかるご時世、これもやむを得ないことなのでしょう。
 こんなことを私が考えるようになって数年、割と捨ててしまうものが最近は少なくなってきたような気がしています。ただ紙だけは相変わらず捨てることが多いもの。一時期ペーパーレスと云う言葉が盛んに云われましたが、今はどうなっているのでしょうか? 当院でもIT化を進めているつもりではありますが、紙だけは一向に減りません。電子カルテこそその最たるものではありますが、複雑な事情を繁栄して(日本医師会がレセプトソフトを統一すると云ったり、不正を防止する目的で書き直しが出来ないようなカルテのソフトが必要だと云われたり、社会の反目の中で遅々として改革は進みません)なかなか思うに任せないのが現状です。
 しかし私もそんなものを大切にする中で社会に云いたいことがあります。壊れないもの、寿命の長いものを作れと。例えば蛍光灯は寿命の尽きない製品を造ることが可能だと聞いたことがあります。しかしそれを作ってしまうと、蛍光灯製作に携わる人の喰いっぷちが影響を受けるとのこと、確かに当人にとっては死活問題でしょうけれど、では我々は他人を喰わせる為にお金を払っている? 自分自身の生活を営む、或いはより豊かなものにすると云う本来のあり方が変わってきているのでしょう。これもやむなし? 現時点では自分自身がそんな中でものを大切に、長持ちするように使っていくしかなさそうです。