Dr.Tak感度が鈍る?
このホームページで文章を書くとき、インスピレーションが次々に浮かび、いとも簡単に1編書けてしまうときと、思い悩み、時に本などを参考にしてなかなか書き進まないときがあります。やはりこんなことにもバイオリズムの波はあるのでしょうか? 前回更新時はそのバイオリズムのどん底? 書くのに結構苦労しました。自分自身にも、一緒に仕事をする人にも、そして講義を教えている学生達にも、そんな情報収集のアンテナを常に立てておくように云っています。何気なく見たもの、通り過ぎたものにも、ふと頭を集中させて注目するといろいろなことが思い描かれます。アンテナを立てることが辛いと思うと、なかなか有意義な生活が出来なくなるのではないでしょうか。正に私のホームページのColumnやGrumbleはそんなアンテナに引っかかってきた対象を元にして書いています。
かつて私は”Inspiration”と云うOutlineソフトを使って文章を書くことが良くありました。しかし最近では殆ど使っていません。特にColumnやTaste、Grumbleのファイルは思いつくままに書いていますから。最近は少しもの忘れが多くなったのか、ワープロのキーを叩きながら次の分節が頭に浮かんでいるのに、いざその分節を書く段になって「あれ? 何を書こうとしたんだっけ?」なんて忘れてしまうことが多くなってきました。「少し歳とったか?」 なんて思い悩む今日この頃。正直なところ、この年度初めはあまり心の余裕がなかったようにも思います。
もともと私は小学校時代には作文があまり得意ではありませんでした。書くのも時間がかかりました。そこでちょっと小学校時代の先生に反論があります。先生からノートはきれいな字で書くようにと指導されました。クラスの中でも字のきれいな男子生徒が3人、教室の前に出されて誉められていたことがあります。その彼等が誉められる姿を見て、自分もノートをきれいに書こうと決心し、そして実行に移しました。しかし! きれいに書くと当然書くのには時間がかかります。小学校時代についた癖と云うのはなかなか大人になっても取れません。それほど字がきれいではないのですが、私の字は割と読みやすいはずです。勤務医時代にはナース達からTak先生の指示箋や処方箋は読みやすいと云っていただけました。しかしその一方で浪人中や大学時代、字を書くのが遅い私はいつの間にか文章を書くのが遅く、ついにはインスピレーションを書き留めるのにも追いつかない作業効率であることを悩むようになりました。当然そんな状態では良い文章を書けるはずがありません。
そして現在、私は文章を書くのはそれほど遅くはなく、そしてインスピレーションを書き留めるのにも追いつけるスピードを獲得することが出来るようになりました。何がそうさせたか? それはワープロです。未だブラインドタッチこそ出来ませんが、ペンで文章を書くよりもキーを叩いて文章を書く方が早くなりました。これは私にとって大きなアドバンテージになりました。思いつくままに文章を書き、変換ミスや脱字があったって気にする必要はありません。あとで推敲するときに間違いを見つけ、訂正すれば良いからです。だから現在の私は自分の子供や私が教えている学生達に”ノートはきれいに書く必要はない、自分さえ読めればそれで良い”と説いています。私自身はカルテの記載があまり良い方だとは思っていません。英語、ドイツ語、ラテン語まぜこぜのカルテですが、その字たるやひどいものです。この医師が責め立てられている時代の中、医師はどのようなカルテを書けば良いか? 答えは簡単、訴訟を起こされたときに裁判所への提出に耐えうるカルテを書けば良いと思っています。しかしこれを実行するのがなかなか難しい。患者さんに充分な説明を求められる、もちろん診療の中でミスは許されない、そしてなおかつ患者さんを待たせてはいけない。まぁ私に云わせれば所詮そんなことは無理、1日6時間半でそれだけの説明をこなし、カルテも充分に書き、それを100回繰り返す? よく問診の取り方なんてビデオを見ますが、一人に10分も15分もかけて充分な問診をしています。実状に合っていません。だからこそ今電子カルテがもてはやされるのだと考えています。
よく若い医師はコンピューター画面ばかり見ていて、患者の顔を見ないと云われます。そして偉い先生はそれに相槌を打ちます。そんな相槌を打つ先生の中にパソコンを使える先生はいません。私も段々に電子カルテに移行していこうと考えています。今の私の診療は、カルテとパソコンの中のデータ(別に血液検査の結果ばかりではなく、心電図や内視鏡の所見もデータベース化してハードディスクの中に刻まれています)両方を合わせて患者管理のために役立つものが出来上がっています。だから今は移行段階にあると考えています。
ワープロとの出逢い、それは私がものを書き残す上で大きな改革をもたらしました。そしてワープロを打つと云うことがインスピレーションを書き留める、更に次のインスピレーションが湧いてくるのを手助けすると考えています。かつて日本語はワープロで処理するには適さない言語と云われた時期がありました。たった26文字で文章を書ける英語に対しては、未だ大きなハンディキャップがあります。でも先人達が血の出るような努力をしてくれたお陰で、文章を書くのが嫌いだった私が文章を書くことを好きになりました。そして更にアンテナを立てて収集した情報や思考をまとめることに大きく寄与してくれました。最近そんな感度が鈍ったかと思うようになってしまったのは残念ですが、これは歳をとってもまた鍛錬によって取り返せるものだと考えています。だからもし私の書いた文章を若い人が読んでくれるのなら、もう一度ここでもう少し過激にアドバイスしたいと思います。ノートはきれいに書くな! って。