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歴史のロマン

 以前から正直に書いているように、私は学生時代に社会科が大の苦手でした。取りあえず地理は割と好きで、高校時代の通信簿でも10点満点で8点くらいを取ったこともありましたが、世界史や日本史は本当に苦手で、成績たるや惨憺たるものでした。しかもそれがコンプレックスになり、医学生の時代も、ましてや医者になってからも全然解けない歴史の問題用紙を目の前に途方に暮れると云う夢にうなされたことが何度となくありました。
 しかし最近、テレビでの歴史のドキュメンタリーやNHKの”その時歴史は動いた”などにはものすごく興味を引かれ、非常に面白く見入っています。これくらい学生時代に興味を持っていたらここまでコンプレックスを抱えることなくそこそこの成績が取れたであろうに、何故今さら? と考えると、それは歴史にロマンを感じるようになったからに他なりません。正直なところ、私は中学、高校時代に歴史の先生には恵まれなかったと考えています。自分の不勉強を他人になすりつけるようですが、昔は本当にその授業が苦痛でした。授業中に先生が事前に用意した文章を読み上げる(恐らくは翌年も同じ原稿を使う?)、それを学生が全員、一字一句もらさず書き写すなんて下らない授業もありました。今の私に云わせれば時間の無駄遣い以外の何ものでもありません。その文章をプリントして配り、それに注釈を付けて授業を進めて行った方がどれほど学生にとって有用なものとなるか、今更のように腹立たしく思います。
 東京の中学生や高校生の修学旅行と云えば京都、奈良が定番でした。今でこそ飛行機に乗って海外へ出ていく修学旅行も決して珍しくはなくなりましたが、当時は京都、奈良は外せないものでした。しかし.....、歴史のロマンに気付かない中高生を京都、奈良に引きずり出したって、どれくらい興味を持ってお寺廻りが出来るかどうか? これは先公のエゴじゃねぇか? とも思うようになっています。先生達はそんな歴史のロマンを理解出来る歳、何回行ったってそれぞれ毎回新たな発見があって面白いのではないでしょうか? もし今の私に時間があり、その歴史を探索する修学旅行を引率できるなら喜んで付いていくことと思います。
 何故歴史のロマンを感じるか? かつては、特に戦国時代は自分の領土を拡げるために人を殺すことがよくあった時代です。その殺戮、恨み、そして裏切り、そこは人それぞれの悲喜交々の事情が複雑に絡み合い、その中での悲哀、同情、そして共感を現代人である我々が感じ、引き込まれるのだと解釈しています。もちろん領土拡大のために人を殺すのは決して許される行為ではないでしょう。でも人間の欲望の赴くままにその歴史は創り上げられてきました。歴史上どんなに名を残した名士でもいづれは死を迎え、永い歴史のひとコマに過ぎない存在になる、その中で如何に精一杯人生を駆け抜けてきたか? そこに歴史に名を残すことが出来ない私達がロマンを感じてもちっとも不思議ではないではありませんか。そんなことに私自身も目覚めてきたのだと考えています。
 NHK”その時歴史が動いた”のエンディングテーマの曲、これが流れるときはその時代に活躍した”時の人”の晩年をナレーションすることが多いもの、どんなに時代に貢献した人でも、或いは反乱を起こした人でもその最期は寂しいもの、その一抹の寂しさとこの曲のもの悲しさが妙にマッチして、その人が人生を終えるに相応しい雰囲気を感じ取ります。人間は必ず最後には死ぬもの、人生をどのように一生懸命走ってきたのか? その勢いが収束し、病に倒れ、或いは処刑され、そこに一つの時代の終わりがある、そう考えれば長い歴史の中で人が生き抜いた時間はほんの一瞬であるはず、そんなロマンの中に何かを感じるとすれば人生が如何に素晴らしいものであるかが分かってくるような気がしています。